プライベート

中国結婚式行顛末(3)

ということでいよいよ結婚式であります。

台湾と同じように中国の結婚式も、「だいたい」というのと「きっちり」というところがあり、そのへんの「あうん」はどこの文化にもあると思うんだけど、おもしろいものである。
たとえば、結婚式は18時から始まるのだけど(挙式と披露宴が同じ時間にあるのね)招待客は、18時から三々五々やってきてテーブルに付き、かつ、ぼちぼちではじめた料理を食べるのである。このへん、慣れていないとびっくりする(こっちは台湾で慣れていたけどね)。
かつ、招待客は、普段着。(たぶん、むしろ普段着なんだと思う)。
ところが、花嫁花婿は、玄関で、しかも部屋の入り口ではなく、結婚式場の玄関で、18時からずっと招待客を出迎えるのである。
福州という中国南部とはいえとっても寒い結婚式場(大きな中国料理店)の一階のロビーでずうううと出迎えるのである。
そのときの写真。

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この姿で1時間待ち続けるのである。これは、試練だわ。

つまり、客は完全に、客なのよね。

会場の様子。

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席の上にあるのは引き出物。日本とは違って、これがお菓子みたいなものなんだよね。

そして、客が座って行く。
また、それぞれの両親が座る。私が座るテーブルは舞台の一番そば。
ここに、両親も座り、なんと新郎と新婦も座るのである。
私の前に二人が座ることになるというわけ。

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そして、ちょうど1時間経った時に、新郎と新婦が会場に入ってくる。

このへんは、そうなっているようだ。

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当然、爆竹が鳴ったと思う。

二人が舞台に立つ。

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ここで、指輪の交換。介添え役は友だちみたい。

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このあと、シャンパンタワーとか、キスとか、二人の挨拶とか。

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そして、私の挨拶。覚えた中国語を披露。
「祝你们新婚快乐!」これだけを覚えて大声で。 
まあ、受けたね・・・。ほんまかな。

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このあと一回お色直しがあり、新郎が友人や親戚に飲まされてダウンし、
など、日本の結婚式でもありがちなことがあり、おひらき。

このあと、なんと新郎の実家を訪れました。
新郎の家には、二人の寝室ができていたのだけど、こんな感じ。

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寝れないよね・・・。
これみんな、「子どもがたくさん生まれるように」というおまじないみたい。
一人っ子政策は、すでに有名無実化しているようです。いろいろ裏技をあるみたいで。

寝室のそばにはこんな光景が。

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二人の写真が大きく引き伸ばされており、かつ、二人の写真集もベッドに。

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この習慣は、台湾でもよくみたけど、日本ではどうなんやろ。そろそろ流行るかな。
それとも、恥ずかしがりの日本人はやらないか。
あ、今年は少なくともあと二つ日本で結婚式をやるので、比べてみたいです。

そんなこんなで、結婚式は終了。私たちは、ホテルに帰ったのです。

中国結婚式行顛末(2)

さて、ここから19時45分までの6時間を空港で待ったのです。

というものの、私はこういうことが以前あったので大丈夫だったのですが、
妻は大変暇そうでした。御飯食べて、空港じゅうのお店を見て、またカフェに行って
ようやく吉祥航空に乗ることができたのであります。

ふううう。


さて。

ようやく、福州空港に到着。

待っていたのは、3人の人達。

一人は、花嫁の大学時代の友人、陳さん。もう一人は、陳さんの恋人の
楊さん。最後は、花婿の弟、陳さん。同じ陳さんなので、弟陳さんと恋陳さん(はじめの人ね)と区別。

恋陳さんと楊さんと私(これは翌日の写真)。

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えっとね、この二人ラブラブ。ずっと手をつないでいやがるの!
で、恋陳と名づけたり。

で、この写真の一番左が弟陳さん。

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ちなみに、真ん中と一番右が結婚した二人。

ま、はっきり言って、わが教え子肖さんは、兄と弟とを交換するべきだったね。
花嫁も、「顔ではない」とはっきり言っている(笑)。 

こうやって、29日は過ぎていきました。
(本来この日は、花婿の家族とご飯を食べる予定でしたが流れました)

12月30日
翌日は、恋陳さんとヤンさんに連れられて、福州探訪。
福州はあまり見るところがない、ということでしたが、一番手近な三坊七巷へ。
ここは古い町並みが残っているところということでした。

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三坊七巷の町並み。

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この通りの両側に古い町並みが残っているのだけど、なかは新しい感じのお土産屋
みたいなのがあるので、ちょっと興ざめしつつ、でも、そのお土産屋自体がおもしろいので、
お店を覗きながらゆっくり歩きました。また、通りから外れると巷がありそこはそこでおもしろいのであります。

その後、麺を食べ、福建博物院へ。ここは、福建省の博物館です。

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ここで、おもしろいものを見つけましたよ。ほれ。

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そう、ここ福建省は、尖閣諸島(釣魚島)が所属していると中国が主張しているところです。
(4つ目の展示は、釣魚島:歴史と主権 と書いています)
この展示も含めて、じっくり中の展示物を見ましたよ。
この展示は、写真パネルと古文書によって、中国支配の正当性を訴えるものでなかなか興味深かかったです。 

この手のことに興味ある人は行ってみたらどうかな?こういうこと、知っているのかな?

でもね、面白ことに、こんな写真が壁に貼ってあるんですよ。 

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つまりね、ほとんどの中国人にとっては「どうでもいいこと」なんよね。

反日の「は」の字もないんだよね。

ということで、もう夕方。いよいよ結婚式です!!!!
(つづく)

中国結婚式行顛末(1)

ということで、2013年もすでに3日でございます。

へろへろの中国帰りから少し立ち直ったので、中国行きの顛末を。
12月29日
 広島空港から上海を経て、福州に至るフライトに出発。
 広島空港のカウンターのおねえさんから、上海浦東空港で荷物をピックアップ
 する必要があることを告げられる。
 ・・・・私は、アメリカからカナダの乗り継ぎで時間がなくて必死に走った
 記憶があるので、乗り継ぎはとてもいや。特に、機内預け荷物があるときは。
 でもしかたがないので、そのとおりに。荷物は二つ預ける。
 
 広島空港940出発 中国東方航空 上海浦東空港着 1000過ぎ(現地時間)
 予定では、上海着940だったので20分遅延。福州行きは、1145発。
 国内便ではチェックインは30分前までに終わる必要があるので、時間が短く
 なっている。
 広島空港出発時にはおねえさんに、二つの荷物には「bussines」のタグを付けて
 早めにターンテーブルに荷物が出るようにはしてくれた。
 
 上海到着後、ビジネスクラスのバスになぜか乗れて建物に移動。入国審査を経て、
 ターンテーブルへ。この時点ですでに、10時40分ぐらい。
 そして一つ目の荷物がすぐに登場。ピックアップ。 
 が、二つ目の荷物が出てこない。 11時を過ぎた。11時10分。 
 あああ、もうやばい。そこにいた係員のおねえさんに、英語と中国語と日本語の
 ちゃんぽんで伝える。なんとか伝わる。一緒に探してくれる。が、そのうち荷物
 が出てこなくなる。ああ、荷物がなくなったのか・・・・いわゆる、ロストバゲージか・・・
 
 係員のおねえさんに言われて、乗り継ぎのカウンターへ。そこのおねえさんに話
 するが(もちろん、英語と中国語と日本語のちゃんぽんで)とにかく
 チェックインして乗れ!ということ。つまり、荷物を置いておけ、ということ。
 これではらちがあかないので、荷物問い合わせ係のカウンタへ今度は行く。

 ここのカウンタのおねえさんは、ほんとに親切だった。英語ももちろん、日本語
 も少しできたのが良かった。ここで待っておれ、調べてやるよ、と言ってくれる。

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年末挨拶、または、感動のメモ、または、リベラル性根入れろ

顔本にも書きましたが、年末年始は、教え子の結婚式のため、中国福建省福州(と厦門)に行きます。

作られた日中対立(作ったのは石原です!!!)のために関係が悪くなったみたいなことを言う日本の方が多いですが、それこそ、あちらさんの思う壺です。外国と対立を激化することを煽るのが、あちらのやりくちですから。

それにしても、リベラル左翼はこんなにももろいのですね。団塊の世代の人々のやり方が、(平和教育も含めて)いかに情緒的だったか思いしらされました。

とにかく、楽しみ。北京、上海、南京、台北、台中、と行きましたが、中国系の地域で福建省は初めて。福建省は、台湾とも近いので、いろいろおもしろいことがありそうです(福建省から多くの人々が台湾に渡ったそうです)。

・・・・・・・・・・・・・・

今年は年末に、立て続けに芝居的なものをみました。
一つは、ミュージカル映画、レ・ミゼラブル。
一つは、生演奏付き演劇、ペール・ギュント
それに加えて、何ヶ月か前に、リーティングシアター、ペール・ギュントも見ました。
(演出された、盟友石丸さち子さまと。彼女とは35年前から知っています。彼女はもとは、蜷川幸雄の助手でしたが独り立ちをしています。舞台メークの死人のままなのでちょっとこわい)。

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どれも、普通の映画、演劇と違っていた。
レミゼは、御存知の通り、撮影しているその場でキャストが生歌を歌いそれを録音するという臨場感。(サントラ買いましたが、映画の息遣いが聞こえます)。
ペール・ギュントの方は、一つは、演劇が行われている同じ舞台に、ピアノやバイオリンなどの生演奏がずっと演奏されている。キャストがいる空間に音楽がある、その暖かさ。もう一つは、リーディングシアターで、キャストは台本を持ったまま走り回る。

どれも、心が揺さぶられました。
そういえば、演劇学会の論文で、演劇を、ことばだけに純化させた張本人はアリストテレスだということを読み、自分が論理の研究をやっているときにやっぱり出会うのもアリストテレスなので、こいつ、相当な奴、来年は、アリストテレスの年にしてやろう、と密かに思っております。

ということで、らいねんはもうちょっと書きますので、みなさん、劇的な人生をよろしく。 
ちょっと早いですが、年末年始は、芸能人並みに 海外 なので ここでご挨拶でございました!!

54歳 ありがとう

顔本で、多くの方から誕生日お祝いのメッセージをいただきました。

ありがとうございました!!
これは、顔本のいいところですね。
(ただし、信用していません。)
学生や院生からも、プレゼントやケーキ、クッキーをもらいました。
54歳(泣)。

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ケーキたち。左が院生作成。右が学部生から。

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腹一杯になった。
送ってくれた院生たち。

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送ってくれた学部生たち。

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その他、スナフキンの人形や、綾波のフィギュア(なんでやねん!)、かごに入った鳥を模したステンドグラス(どういう意味やねん!)あと、クッキーももらった。
ほれ。

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最初これ、チョコレートの箱に入っていたので、チョコかと思ったらクッキーだった、手作りの。うまい!! 
というわけで、やっかみがいっぱいきそうな、11月26日でした。
あ、よめからは、セーターをもらったよ。

誕生日なんだけど

そんなことより気になるのは、やっぱり選挙。

どうも、中道左派の連合ができるみたいですね。
とりあえず選択肢が増えるのは良かった。
これで、中道の民主党、右翼の自民党、極右の維新なんとか、に加えて、中道左派が加わったみたいです。
というような、解説を、なんで新聞はしないのかね。他の国の政治なら
こういう色分けするくせに。
で、左翼はどうなん!前にも書いたけれど、いわゆる左翼の共産党は!!
「変わらないのがすごいでしょ」みたいなことを委員長が言っていましたが
それって、いいことなの?
私のような仕事をしていると、だれが文部行政という政治を握るかで
いろいろなことが変わるので、とてもひやひやしながら見ています。
ああ、それにしても、生活から政治を生み出したいと考えた小沢氏は、その夢を
どこで果たすのでしょうか。
そして、有権者は、「戦争」を選ぶのでしょうか。
戦後最大の岐路が待っていると思うのだけど、なんで新聞はこんなに冷静なの?
なんのための、NIEなの?
結局、NIEは、新聞御用教育なの?
今学会をしているそうなのだけど、どうなの?
こうやって、1937年ぐらいは、過ぎていったのでしょうね。

共産党よ、いまのままでいいのか?

右傾化した、右傾化した、ということばがもう何年もまえのような気がします。

今本当に、私たちの国は右傾化している。
前にも書いたけれど、中道と、右翼と、極右と、そしてふらふらしているもっとも危ない、国家社会主義と。
こんなとき、左翼リベラルはどうしているのか、ということになります。
共産党よ、いったい今のままでいいと思っているのですか。
自分だけの党勢を、少し伸ばせばそれでいいと思っているのか。
相変わらずの、「一人いい子」を演じるだけでいいと思っているのか。
かって、私がその「一人いい子」ぶりが嫌いで、共産党が嫌いでした。
本来、左翼リベラルの重要な一翼を担う党が、「一人いい子」を演じている間に、
それを嫌う他の左翼陣営は、ちりぢりばらばらになり、消えていった。
極左とか、過激派、とかいうレベリングをされて。
組合も、内部の崩壊によって、弱体化した。
その影響は、もっとも弱い労働者にきてしまった。
そして、とうとう、日本は、真ん中か右か、もっと右かを選ぶ選挙に突入してしまった。
他国と戦争をするということが本気で論じられるような人々を排出させてしまった。
このような中で、共産党は、やっぱり「一人いい子」を貫くのですか?
私は、わけがわからない。
それを貫いて、日本がよくなるんですか?
あなた方の敵は、大企業ではもはやない。
目の前の大衆の心の中にある、専制願望です。
それを打ち倒すためには、まず、共産党自身が変わらなければいけない。
そうすれば、ふるくからの党員や党友は離れるでしょう。
しかし、それらの人々はもう年齢が高い。
共産党だけではないですが、左翼陣営に見られる「一人いい子」は、
昔から言われていることですが、全く変わっていない。
この選挙で、共産党が、他の陣営とタッグを組み、左翼リベラルを統括していく姿が見られたら、状況は変わると思うのです。
いや、やっぱり無理かな。
党に関係している人々は、それが生きがいになってしまっているかもしれない。
悲しいです。
(次回、社民党などについて)

御手洗に行った

呉市豊町の御手洗に行きました。

御手洗のせつめいはこちら
こじんまりしているけれど、栄えた港町、しかも、色の香りがする町でした。
この高速船で、竹原から一路大崎下島へ。

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着いたのが御手洗港。

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港から、ちょこっと町を臨む。

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こんな町並みが、コンパクトに凝縮してある。

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時々洋館もある。

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ここは、遊郭。
この御手洗に、江戸時代の最盛期は300人も
遊女がいたそう。

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通りを抜けて歩く(前はよめさん)。

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そして、乙女座。
劇場でもあり映画館でもあった。
概観。いい。

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中。舞台側から。

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客席から。

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ここで、芝居がしたい。
客はくるんかな。
日本で一番古い、時計屋さん。

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堪能しました、御手洗。
ところで、こんな私ですが、リベラルです。
あのう、リベラル者は、もうちょっと、生活を語ったほうがいいのではないですか?
小難しいことばかり話すから、人々は、希望をリベラルに持たなくなったのですよ。

プレゼント、もらった!

昨日、いいことがありました。

仕事から帰ってくると、小包が。

開けると、これ。




中国の、ガールフレンド(古い言い方!)からの贈り物です。

手作りだそうです。


彼女とは、昨年上海に行った時に知りあって、その後、メールでやりとりをしていました。

ブログにも乗せたことのある、上海美人であります!




へへへへへ、おじさんは、うれしいな。

これで日中友好、中日友好、だ!



ところで、これ、どうやって、飾ればいいんだろう・・・・・

27年

 6月23日。

報徳学園の同窓会がありました。

私が、中学1年(副担任)2年3年(担任)と一緒に過ごした
生徒たちの同窓会です。

27年ぶりです。

生徒たちが高校に進学した後私は学年団から離れ、
また、彼らが高校2年の時、報徳学園を辞めたので、
そこから数えれば、25年ぶり。
生徒たちが卒業したときからは24年ぶり、かな。

遠い遠い時間の向こうから、生徒たちが帰ってきました。

これをぶら下げて(写真は27年前の写真)同窓会に臨みました。

変な気分。

変な感じ。

なんか、泣きそうで、でも、なつかしくて、いや、懐かしいというよりは、クラス担任のまま、という感じ。

目の前には、40歳を超えたおっさんばっかり。
なのに、27年前の姿がそこに見える。
授業が思い出される。

いろんなことをいっぱい言われました。

カンニングを見つけられて、廊下で私に怒られた話、とか、悪いことした生徒の家に家庭訪問に行ってそこで親から商品を買わされそうになった話、とか。

嬉しかったのは、こんなこと言われた、という話。

「定期テストではないけれどテストでいい点とってなんばばにほめられた」(なんばばとは私のこと)
「おまえは天才だから、きっとみがけばよくなるよ。このままだとさびてしまうと言われた」
「俳句で一等をもらってうれしかった」
とか。

覚えていることも覚えていないこともあって。

私、ちゃんとしていたのかなと、心配になって。

そこにいた生徒の全て(60人ぐらい)の全てに話できなかったことが悔やまれて。

授業なんかより、ほんの一言が、つながるんだなと思いました。


教師をやっている人たち!

そういうことなんよ。

27年経ってからのご褒美なんよ。

だから、今、がんばろう。

児童を、生徒を、学生を、ほめようよ。

どんなに疲れていても。


報徳生たち、ありがとう。

なんばばは、もうちょっと、教師をやるわ。


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