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2012年3月

若者に、語り直していく責務

(2012年3月20日09時39分 読売新聞より)
政府は19日開いた「雇用戦略対話」で、大卒の2人に1人、高卒の3人に2人が、無職や非正規雇用だったり、3年以内に仕事を辞めたりしているという推計を報告した。
 推計によると、2010年3月に大学・専門学校を卒業(中退を含む)して社会に出たのは77・6万人。このうち正規雇用で就職したのは56・9万人で、正規雇用となっても約3分の1の19・9万人は3年以内に辞めるとみている。
 卒業した若者のうち14万人は、無職だったり、アルバイトなどの非正規雇用に就き、6・7万人が中退するとした。
 中退者や早期離職者、無職、非正規雇用に就いたのは計40・6万人(52%)に達する。高卒は一段と深刻で、35万人のうち23・9万人(68%)にのぼる。

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教員は、公務員であり、離職率は低いと言われています。
また、私の勤める大学は、かなり教員採用試験の合格率は高いと言われています。

ただ、私の関係の人を見ると、教員志望者10人のうち、大体7人が正規教員、3人が非正規教員になり、その3人も、3年以内には2人は正規教員になります。けれど、先の7人のうち3年以内にⅠ〜2名は辞めてしまいます。

こうして、10人のうち、3年経つと2人ぐらいが正規労働者ではなくなっています。

上のデータからはとても少ない方でしょうが、その2人にとっては、比較的少ないということが逆に大きな心の痛手になります。

そういう人は、学校という規定の枠からは既に出ており、アドバイスも受けることが難しいでしょう。
また、恥ずかしいとかプライドがゆるさないとかの理由で言い出せないことも考えられます。

そして、この2人という数は、増えている感じがします。

現場が、即戦力というたびに、大学は、大学であることを辞め、教員採用試験対策/採用前研修請負という道をより強めて行き、大学の余裕はますますなくなっています。

このような中で、今までのようなやりかたでいいのかどうか、大学における教員養成関係の教師は、考えなくてはいけないと思います。

ほんとうに、「役に立つ」ことを教えることだけでいいのか。
かといって、陳腐化した「大学教養」などは、もはやなんの意味もないでしょうし。

学問を、どれだけ、教師を志す若者の、生きる文脈に沿って、語り直すことができるか。
それが問われていると思います。

語り直すこと。

もう一度、語ること。


自分が大学や現場や研究の場で獲得した、知識や技能、認識や価値観、情動や感情、生き方、暗黙知、そういったものを意識化し、また、無意識化し、私自身の「声ことば(梅田規子さんの用語)」にしていけるか。

語り直した言葉で、若者と語り合うこと。それでなんとか、やってみようと思います。

卒業式とわかれとそれから

2011年度卒業式。

H大学K学部Sコース国語ゼミ(わかられていると思いますが笑)
のうち、一部の学部生、院生をのぞく、全員。
Img_3994

国語ゼミ4年生16名が卒業、院生5名が修了。みんななんかの職に就けそう。

送る人たちを撮ってあげようとする、3年生。
かわいい。なんか、いい感じなので、載せてみた。

Img_3995

来年度の体制。

3年生 14名
4年生 14名
修士   4名(現職1名含む)
博士   9名(現職5名含む)
研究生  1名(留学生だよ)

なかなか、ですな。


新しい体制で、再び力を得ることができます。


なんかやってられない感じに、職場がなってきています。

ハルマゲドン、なんかいやなんですが。

やらなきゃいけないですかね。

逃げたいね。

こんなとき、学生や院生との時間は、とても大事ですね。

がんばりましょ。

職場から、まだ、逃げたくないからね。

お別れの宴

今日は、自宅で卒業する学生たちを集めて、お別れパーティーをしました。

そのスナップをば。

 

 


息子のよめたち。みたい。

焼き肉作り中。

カボチャを切っている娘を撮る娘をほのかに見る男。

ほれ、切れた!

かんぱ〜〜い!

食べ中。

外でかんぱ〜〜い。

楽しかった!

また来てね。

あと、来られなかった人は、また今度!!

顔本

久しぶりに、facebookをのぞいてみました。

教え子や知り合いがいっぱい増えていました。


悲しかったです。


おいていかれた感が。


すごい。

ええええええん。

でもね、やっぱりね、なんかね、いややなんよね。
顔本。


でもね、ときどきね、みたくなるべ。ちがった、見たくなるね。
ひさしぶりのかおをね。


いいもん。でも、がまんするもん。

顔本。


ほんとはね。みたいひとのだけのね。ともだちになればいいんだけどね。
そうしようかな。
なんか、もどろうろうろうかな。

ううううううう。


気を取り直して、近況。

三月初めに、釜山に行きました。
広島から三月一ヶ月だけの、チャーター便が出るので、それに便乗して。

Img_3933


釜山港です。

あといろいろあったのですが、省略。

ま、また更新するわね。

本当の私 なんて ないさ〜〜 楽な私 があるだけさ〜〜

ユリさま

コメントありがとうございます。
いつもはコメント返しをしないのですが、今回は特別。

で、私の考え。

私は、「本当の私」はない、と断言できます。

ただ、いつも出している私ではない私が、「本当の私」らしく見える、ということは
あると思います。
いつも出している私ではない私 は 大体なんらかの力で抑圧されているから
「抑圧されているものは多分本当の、本来の私みたいな気がする」ということだと
思います。

AもBもCもDももちろん私、でありますが、出方が違ったりすると、それぞれの比重や重みが違って見えるということはあるでしょうね。

先日、児言態の上原先生の遺著の出版記念会(『続感情教育論』)に出たのですが、
そのとき私の頭の中に「つい」ということばがかけめぐっていました。

「つい」出てくる私は、複数の私の一つには違いないのだけど、なんとなく、「本当の私」ぼく見えるでしょう。
この「私」は、児言態の言う、分母ではないでしょうか。「通性」とよんでもいい。

一番楽な、昔からつながっている、私 ということです。

「楽な私」という言葉が一番ぴったり来るでしょうね。

楽な私 って つい 出てくる やつね。

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