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2011年3月

喪に服す、という考え方

東日本の震災(東北関東大震災)以来、さまざまな行事で、お見舞いの枕詞がつくようになった。

「この度の震災に・・・」

非常に個人的、限定的な行事であってもそれが「お祝い事」であれば、そのような枕詞がつく。

一つには、本当に気分的に「お祝い」する気持ちになれない、ということもある。

一つには、まわりが自粛気味なので、その空気を読まないと「空気を読めない奴」と排撃されるから、ということもある。

この最後の、「空気を読む」ことが大嫌いな人もいて。自粛自粛というなそんなのがファシズムだ!と叫びそうな、どこかの球団社長もいる。
あるういは、自粛自粛で商売があがってしまう、それが困る人や(どこかの球団社長)、それで景気が上がらないと復興もできない、と考える人も要るだろう。

この枕詞、ところで、みなさん、いつまでつけるつもりですか?

最初の理由なら、自分の気持ちが晴れたときになるのか。
二つ目の理由なら、空気を読む訳だが、そうそうお祝い事でなにか言うことはないので
空気を読むのも難しい。
また、地域も難しい。
このような枕詞を(空気を読んで使う場合)、時間と空間によって、使用期間に影響を受けるだろう。

東京だったら、3ヶ月ぐらい、広島だったら一ヶ月ぐらい、九州ならもう少し早く、とか。

私がこんなことをいうのは、この枕詞をつけなくなったとき、この震災がその個人の中で日常化される、と感じるからだ。

3月20日に地下鉄サリン事件の慰霊祭があった、というニュースがあった。今は誰も、「地下鉄サリン事件」のお見舞いの枕詞にはしないだろう。だけど、関係者にとってはずっと続いている。

私は、枕詞はつけないつもりだ。

明後日、卒業式がある。そこで、私は祝辞を述べる。そこには、枕詞は付けない。

みんなが枕詞をつけている間、私は、それをつけないことで、喪に服そうと考えている。

この国は、すばらしい復元力を持っているが、そのこと自体がすべて幸せにつながるかどうかは、私たち自身が、どれだけ自分で考えるかにかかっていると思う。

今、私はなにをするべきか

今、私はなにをするべきか。


3月11日から、16日(今日)まで、ソウルと北京に出張に行っていました。

外にいて、日本の様子を、外国のテレビで見ていました。

中国でも、韓国でも、連日テレビで報道されていました。

そんな中で、私は淡々と仕事を彼の地でこなしていました。


まずは、中断していた、ブログを再開しようと考えました。

この4月から、教育科学国語教育で始まった連載で、このブログを知った方。

実は、かなり長い間、このブログは放置していました。

書くことに、意味を見つけられなかったからです。


しかし、再開することにしました。



外国にいて、日本の被災を知るということ、外国の方に、お見舞いを外国にいて受けるということ、これらのことが、全て、私にいろいろなことを考えさせました。

韓国の教育部(文部科学省)で、ナンバースリーの方と約束をしていました。

その方は、約束の時間に遅れて来られました。

なぜなら、

幹部の方と、「日本にある韓国学校を、被災している人々に向けて活用できる方法がないか話し合っていた」そうなんです。

私は、韓国のソウルで、そのことを聞きました。

(歴史教科書問題の話がその後に続きました)

これから、長い時間、戦いが続きます。

私は、淡々と戦いを続けて行こうと思います。

教育に関わる人間ができることを考え、実行します。

日本が、世界の希望となるために。

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