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2008年2月

macbook air を

買ってしまいました。

まだ、届いていませんが。

・・・・・もう、air ちゃんがいる生活を夢て見ているというか、

あることが前提の生活になっております。

air ちゃんがはいる、すたいりっしゅなかばんを買おうとか、

いやいや、airちゃんを直接かばんに入れるといたむから、

ちいちゃなかばんをまず買おうかな、とか。

手帳はもういらない、とか。

もう、うふふふ、状態です。

・・・・・・・・・

そんなわけで、すっかり じ のことは 忘れている
(というか、かなり小さくなったようで)

みなさんのはげましやアドバイスも嬉しかったですが、

なにより、airちゃんとの甘い生活を夢見る方が、効いたみたいで・・

いやいや、それはうそです。

・・・・・・・・・・・・・
今日の一枚

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小学校の子どもが授業で作ったんだよ。

「詩のレストランのフルコースメニュー」

子どもたちが、一行詩を自分で書いたり、詩集から選んだりして
それを、オードブル→スープ→メインディッシュ→デザート
と並べて、コースメニューにするわけ。

できたら教室に並べ、お客さんが来たら(友達とか保護者とか)
メニューから注文してもらう。
注文されたら、料理が出ます(朗読するのね)。

写真の一行詩
デザート:一しゅんにして どこかの世界へ つれてゆく

ああ、すごいねえ・・・・・



一週間前の神明市

私が定期的に伺っている学校の総まとめの時期、成績付けの時期、卒論や修論の発表会の時期、組合の団体交渉(私は組合の執行委員長なのだ)、指導要領の改定に伴うお仕事(私はある教科書の編集をしているのだ)、その他の論文のお仕事・・・・
とんでもなく重なっている中に、実はもう一つ、ちょっとわくわくするお仕事が重なって(秘密)、なかなか大変な年度末。

そんな中で、先週、三原市の神明市に行ってきました。

神明市について。

なんか、まあ、人がわあわあしているところに行きたかったわけです。

しかし、いつもの三原市はなんか人があまりいない感じで、ほんとうにお祭りみたいになっているのかなと思ったんですが・・・・

Cimg0166

これは、通りの間を横切る交差点で、信号待ちの人々の姿。

向こうに、とんでもなく多い人が見えるでしょう。

そうです、年末のアメ横みたいな感じ。

芋を洗う感じ。

とっても、いい感じでした。

通り端には、だるまさん。

Cimg0174_2

安いたいやきさんには行列が。

Cimg0175

回っていて気がついたこと。

中心となっている神社のようなものの存在感が薄い。
その分、露店が中心のお祭りのような感じ。
だるまやさんがもっと多いかと思ったら意外と少ない。
ものすごくいろいろな種類のお店がある。

一番気になったこと。

この神明市ではっきり認識したこと。

露店のお兄ちゃんお姉ちゃん、おじちゃんおばちゃんと
お客さんが、あんまし変わらなくなったこと。

下手したら、お客さんの方が、向こうの人、みたいに見えること。

露店で何かを売るという仕事は、神懸かりの仕事だと思います。
それは、役者や相撲取りと同じ、向こうの人ということ。
神と人との間の世界の人、ということ。

そのために、向こうの人は、こちらの人ではないことを示すために、
異形、隈取り、派手な化粧、目立つ服装、をしていました。

私も役者の端くれでした。
向こうの人、には人一倍あこがれがあります。

こちらの世界でいろいろ仕事をしても、なんとなく居心地が悪い感じがします。

ところが。

神明市で気づいたのですが、向こうとこっちの区別がもうあんまりつかないんですね。

それは、神と人との間が近くなったということでしょうか。

そんなことないですね。
間を取り持ってくれる人が、ずっと向こうに行ってしまった感じがします。

日本にはあちこちに神はいたし、神と人との間をとりもつ方々もいました。
それが、急速に消えていってしまっている感じがした、神明市でした。

きっとどこの祭りも、そうなんでしょうね。




じ と ぢ

 の コメントで 

「なんで  と 書かないのよお」
という声多数あり。

へへへへ、思うつぼでっせ〜〜〜〜〜。

必ず こういう反応がくる と思っておりました。

この話、けっこうおもしろいんでっせ。

まず、基本。
現代仮名遣いでは、「痔」は、「」と書きます。
文化庁のページ参照。

まあ、これだけでは全然面白くないね。

なんで、現代仮名遣いでは「」と戦後決められたのに
そして他の言葉はそのようにみんな使っているのに
なんで「痔」だけ、「」と書く方が「ぴったり感」があるか。

それにはいくつか理由があるでしょう。
一つは、ヒサヤ大黒堂の宣伝。
もう一つは、「血」からの類推。

でも、「痔」は、もちろん「血」から来た訳でもなく、
(そもそも「痔」の「ji」は音読み(中国由来の音)に対して
「血」の「chi」は、訓読み(日本古来の音。音読みは「ketsu」ですよね)
だけど、「痔」には「血」がつきものだし(いまの私の  では 大丈夫ですけど)やはりヒサヤさんの新聞広告や街頭看板の「」というインパクトが大きいから、現代仮名遣いが決まってから大分経つのに「」の方がしっくりくるでしょう。

そうなると、「痔」を「」と書く方が、別の意味を持つようになる、ということになりませんか?
つまり、「痔」はなかなかやっかいな病気でその雰囲気をぴったり伝える文字としては「」の方がいいというようになっていって(これは上の二つの理由が大きいでしょう。まだ他の理由もあるかもしれません)、そうなると「じ」と、いわゆる正しく(私は言語においてはこの「正しさ」というのは大嫌いなんです。ここでは、正書法として国家が決めたという基準で、正しい、と使っています。言語の適切さは国家が決められるものではないことは、この「痔」が証明しています)
使ったら、なんとなく「軽い」感じがかえってつきまとうということにかえってなる、ということなんです。

で、わたくし、「痔」を「」と書いてみたのであります。

実際、私の「痔」はたいそう軽いものですし。
ブログを見た人が、「」と見ると、わあああ大変そう、と思われたり、なんとなく読みたくないなあと思われたりすることを避けてみた、ということも言えるでしょう。


日本語は、いかに、「文字に縛られた言語か」と思わざるを得ません。
文字が私たちの、言語を受け止める感性を明らかに衰えさせていると思います。

言語は、本来、音 なんですから。

文字のない台湾語と、文字に縛られた中国語を、一つの会話で自在にあちこちする(情況や場面で使い分ける、のではありません)台湾からの留学生を見ていると、ますますそう思います。

「痔」を「」と国家が決めても、「」と書きたい、読みたいと思わせる社会情況があれば、「」は「痔」らしくないニュアンスを作ってしまう。つまり、コントロールできる。

私が、大変な「痔」だったとして、このブログで、国家的に正しく「」と書いていたら、きっと、そんなに大変じゃないかも、と思われたと思うと、恐ろしい。
でしょ??

とはいえ、私の  は、 まったく大丈夫。

でもね、薬を飲んでもつけても、まったく変化ないんだけど・・・・・



じ の 人気

あのねえ、すごいんですよ。

いえ、 ではなくて。
 の ブログ記事が。

今までない反響。

そんなに みなさん お気に入り?

コメントは、「こまつ」様「元・広大製」様からいただき、直接メールで何人もの方からコメントをお寄せいただきました。

その上。

電話や直接会って仕事などの打ち合わせをしているとき、「ところで、 の方はいかが」と、付け足す方、多数!!!

当分、 で攻めようかと 思いつつ、 いやいや まずは  を攻める必要ありと、思う 今日この頃。

とにかく 辛いものを食べてはいけないと思い また 辛いものを食べることがなんとなく怖くなり

と、思っていると、はっ と思うことあり。

実は、辛いものは  にも 良くないことを思い出しました。

 の 前には  のことを かいていたでしょ?
こういうふうにつながるんだあああ。

隠れた主題は 辛いもの。

ああ、目の前にある これも食べていはいけないんだ・・・

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・・・・・私はですねえ、時々駅で、週刊誌と「酒のつまみ」みたいなものを買うのが習慣になっていまして・・・・
お酒は飲めないのに、駅のベンチに座り、「酒のつまみ」のようなもの(「黒豚ソーセージ」とか「ピリ辛かまぼこ」とかね)を、お茶でいただきつつ、週刊誌の芸能記事を見るのが、なによりも嬉しい帰宅前の時間なんです。

ああ、「酒のつまみ」はなぜか、ピリ辛のものが多く、食べていはいけないのです

じ の ねた 続けます(笑)。

じ つづき

というわけで、病院に行くことになった私

妻に車でつれられ某病院へ。

ここは、実は因縁の病院

何年か前、妻が腹痛で担ぎ込まれた病院。
しかも、救急車で。

原因は・・・・「便秘」(笑)。

ほらほら、思い出すねえ、なんて軽口を妻にたたきながら余裕の感じ。

病院に着きました。

ちょっと恥ずかしかったけれど、問診票にも正直に、 と。

土曜日ということもあって、とても混雑しています。

まあだんだん心を診察に向ければいいや、と思って、おもむろに
左翼雑誌「情況」などという硬派読書をやろうと開けて、
金子勝さんが吠えている座談会などを楽しんで読んでいると・・・

「なんばさあああん」

え?もう?

あわてて、診察室へ。

そして、

そこには

そこには

そこには、驚愕の事実がー







なんと、女医さんだったのですーーーーーーーー

そんなことって、あります?

女医
さんですよ。

しかも、眼鏡をおかけになって、ちょっとタカビーな、
絵に描いたようなSキャラの、女医さん。

あのう、あのう、私、そっちの趣味は、ちょっとあるんですけど・・・

って、言っている場合ではない!!!

「あ、そこに座ってください」
「は、はい」
(ああ、とても事務的な感じが、これからの至福の、ちがった、屈辱の時間の序奏曲か・・・)
 ですか」
「あ、たぶん」
「では、そこに横になってください」
「あ、あ」
看護士一言(この方、これまた絵に描いたような、で〜〜んとしたお方)
「そっち頭で横になるんよ」
「はい」

横たわる。

女医
「ずぼんゆるめて、おしり出して」
(ひえええええええ)
(あ、冷静なふり、冷静なふり)
「はい。」
「もうすこしお尻を突き出して」
(ふわああああああああ)
ぺろっ。

しゃっしゃっ。
手袋をはめる音。

「あ、これでですね。」
ぴん。
「痛いですか」
「いえ」
(あ確認していただいた。さ、これで終わり・・)

ぐいっつ!
(e? e?)
ぐりっつ!!

女医様は指でお探りになられました。

(痛っ!)

「あ、ありますね。器具を使いますね」
(器具!!!????)

ぐいっ。ぐるぐるぐるぐる。

私のお尻が、開かれていきます。
死にそうに、痛い。
それは、明らかに、別の痛みです。

「ああ、ありますねえ。中にも。」
(中にも?そうなの?)

「はい、いいですよ。」
看護士
「ずぼんをあげて、いすに」
(ああそうか、この診察の後では、頭に血が上って、そのまま椅子に座る人が多いんだろうなあ)

「説明しますね。」

女医さんが絵に描いて説明してくださる。
このときにはすでに、頭に描いていた妄想はすっかり飛び去り
完全に患者モード。

「なんばさんの場合は、外側と、それから内側にもありますね。
11時に大きいのと、4時と8時ぐらいに小さいのが。全部で三つですね。」

つまり、お尻を時計に見立てて、おなか側を12時と考えた場合の位置の示し方で
中の じ の位置を教えていただいたのです。

つまり私は、気づいていた外側以外に、なんと内側にも三つもあったのです。
これは、驚きました。そして確かに、痛かった・・・

「ほっておくと手術になるところでした。まあ今のところは薬で様子を見ましょう」

手術・・・・まさか、わたしが、じ の手術・・・・・

よかったあ、早めに病院に行って・・・・

というわけで、お医者様に言いつけられた薬をしっかり飲み、つけています。

ほんとうに早めに行ってよかった。

遅ければ・・と思うと、恐ろしいことです。

多分原因は最近ほんとうに辛いものを食べていたからだと思います。

みなさんも、あれ?と思ったら病院に行きましょう。
思わぬ病気を見つけることができるかもしれませんよ。

慌ただしく一月も過ぎ。
卒論、修論もみんな出し。

ほっとしてたまった仕事を片付けている今日のこのごろ。

あのねえ、なんとなくねえ、違和感があったんですよ。

しも、の方に。

その日の朝、その最中。
なんか、

もうお出ましになった、
と、
思ったのに。
まだ、なんとなく
残る、感じ。

まあ、シャワーを使えばすっきりするか、
と思い、してみる。

でも、なんとなく、やっぱり

そっと、ほんのそっと、指で触れてみる。
(シャワートイレの恩恵をこういうとき感じます)

あ!

あ!あ!

なにか、ぷくっ

これ、何???

あ、そうか、これが・・・・・

痔//////

わああああああああ、

忘れよう。忘れよう。

痛くないし。

と、とにかく忘れようとしました。

しかし、忘れても忘れても、朝のトイレのときに思い出します。

そして、私。
この1年ほど、辛みダイエットと称して、結構辛いものを食べていました。
しかも、辛いものというのはほんとうにエスカレートするもので。
どんどん、どんどん、辛い方へ辛い方へ。

ひりっ。

そうです。痛みがやっぱりやってきました・・・・・

妻に脅されて、いよいよ病院に行くことに。

そして、今日、行った訳です。

それが、こんな悲劇につながるとは・・・・・・

(この項つづきます)

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