ご無沙汰しております。
みなさまにはご心配をおかけしております。
このひと月、変わったこと/変わらないことがいくつもありました。
まず、母のこと。
一時期は、「もう危ない」ということでずっと病院に泊まって待機しておりました。
医者も、「月は越せない」と聞いておりました。
ところが、医者も「奇跡だ」というぐらいの、生命力。
母は、今も静かにベッドでいます。
「眠って」と書きたいところですが、目は開いていることが多く、
でも、意識は(多分)なく。
呼吸、脈拍、血圧、全て問題なし。
ただ、点滴だけで生命を維持しているので、やせてはきています。
それでも、「そこにいる」ということは、
心が、強くなります。
ひと月の間、母に付いて、そして、今までの家族のことについて、考えました。
そして思い出しました。
多くの方にも、暖かい言葉をいただきました。
それが、とても心強かったです。
別居している父が、突然電話してきたので、
「今母が悪いんだ」と言ったところ、
「よっしゃ、見舞いに行くわ」
と、言いました。
別居して何十年・・
ああでもやっぱり「夫婦だった」ということが、このようなときには
働くのかなと思い、これまた、少しほろっ。
ところが。
父は、病院に来てみてびっくり。
というのも、父は、「妻の母」が入院しているものと思い込んでいたみたいで。
思いもかけない、母との再会となったのです。
30年ぶり。
でも、一方は意識がなく。
一方は、新しい奥さんがそばにいる。
まるで、ドラマでした。
今は偶然にもアメリカに留学していた長男が帰ってきていたので、
思いもかけない、私の「家族」と呼べる人たちが、母の病室に集まったのでした。
私、妻、長男、次男、三男、母、父、父の妻。
母をのぞいた全員で、お昼を食べました。
父がぽつり。
「自業自得やけど、こういう一家団欒がわしにはなかったな」
そんなことない。
私が生まれ、父が出て行くまでの13年間の間で、
ほんのわずか、ほんのわずかだけど、一家団欒の瞬間が、父と母と私との間にはありました。
生まれてすぐ父の実家や母の実家に居候し、私の目の病気のために母と私が病院の近くで二人住まいをした小学一年。その間は父の存在は希薄でした。
しかし、3人が一緒に住むようになったのが7歳、それからほどなく母が「鬱病」にかかり自殺を試みたのが9歳、
そしてその「鬱」が緩解したのが11歳、それから父が出奔する13歳までの2年間は、夢のような幸せな2年でした。
相変わらず、夫婦喧嘩は多かったけれど、父が家にいることの心強さとそれによる母の楽さを見ているだけで、私も、楽でした。家族で一泊旅行をし、もう一泊したいとだだをこねて2泊したのもこの時期でした。(そんなわがままがこの時期は言えた。言ってもいいと思えた。)
そのあと、いろんなことがあったけれど、この2年間があったから、私は生きて来れたのだと思います。
人は一瞬でも、「幸せの瞬間」を知っていれば、なんとかなる、と思います。
母には、もう少し、もう少し、がんばってほしい。
で、「変わったこと」
(1)家のパソコンが壊れた!
このブログをなかなか更新できなかったのは、むしろこっちの方の影響が大きかったかも。
私のiMacが起動しなくなったのです。
幸い修理できそうで安心しているのですが、まだ入院中なのです。
それで、学校のパソコンをつかったり、子どものパソコンを借りたりして(今もそうです)
なんとか仕事をしていたのです。
(2)携帯のアドレスをみんな消した!!
病院でつめていると、まあ、暇、です。
当然携帯を触ります。
「まあこんなときだから、アドレスを整理しようかな。いやなやつのメモリーは消しちゃえ」
と、ある方の(名前秘す)アドレスを消そうとすると、携帯が
「全て消しますか?」
と聞いてきます。
私は、その方のアドレスをみんな消すんだな、と思い
「そう!」
とクリック。
みんなのみんなが消えました。
ということで、私に関係があるかなと思う人は、
名前入り、で、私の携帯にメールをください!!!
(3)本が出ました!!!
右の本が出ました。2冊です。
買ってください。
(4)本が出ます!!!!
11月終わりに出ます。世界思想社からです。
右に出します。
と、まあ、こんな感じです。
これから、このブログ、復活しますよ。
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