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2007年11月

49歳に

なっちまったよおお。

今日は妻も仕事だったので、わしがカレーを作った。
実は今とてもはまっているカレー。
ハウスプライムジャワカレー

カロリー30%オフ。
だからこそかえって、スパイシー。

ただし、我が家の息子たちのうち、長男と次男は辛いものがだめで
お子様カレーバーモント(でも辛口)と混ぜて使う。

でも、おいしい。スパイシー。

たまねぎ切って炒めて炒めて、にんじんとまぜてじゃがいもとまぜて
あそのまえに鶏肉を先に炒めてカレー粉付けて。
それらをまぜて、煮込んで、カレー粉入れて。

できたあああ。

今日は息子たちが全員家にいた。
5人で食べた。
テレビのクイズ見ながら食べた。
あ、これわかる、とかいいながら。

デザートは、バームクーヘンのバースディーケーキ。
お歳暮でいただいた。とても、おいしいケーキ。
みんなで適当にわけて、適当にぱくつきながら、テレビを見て、
口々に、クイズの答を言い合う。

いい誕生会でした。

あともう少し、待ってほしいな。

久しぶりのドライブ

そんなわけで、久しぶりの妻とのドライブです。

金土は、学会で司会の仕事やら院生の発表の見守りやらをやり、
(あ、そうそう、院生たちにお誕生会をやってもらいました! カジュアルなイタリアンレストランで。
うれしい〜〜。それから夜は久しぶりの名古屋時代の教え子がこちらに来たので飲み。これも楽しく。)

楽しい連休ですが、〆は三次ドライブ。

三次は仕事でよく行くのですが、なかなか遊びには行けなかったのです。
いろいろあって休みを休みとして過ごせなかったのですが、落ち着いたので思い切って行きました。

三次は霧の町。
今日もそうでした。
Photo
快晴なのにね。

今日は、三次にある、奥田元宋・小由女美術館に行くのです。

ここは前から行きたくて、所蔵品もそうですが建物がとてもおもしろい、というので。
これが入り口。
Photo_2

美術館の中から外を望む。
Photo_3

満月の日にはこの池に月が映る。
はじめから計算して建物を建てたようです。
今日は十六夜。ほんとうなら夜までいたかったのですが・・・

外から見るとこう。

Photo_4

まずは、腹ごしらえ。
美術館の中にあるレストラン、洋食工房へ。

ここのレストランは評判だったのでどうしても行きたくて。
入り口。


Photo_5

レストランの真ん中にオープンキッチン。

Photo_6
スタッフは緊張するでしょうね。

レストランの中から外を望む。

Photo_7


サラダは、生野菜と、カボチャと卵のソースをまぶしたパスタを混ぜたもの。さっぱりしたソースがかかっていました。継ぎは、コンソメスープ。メインは、私は肉。ロースとポークに和風のソース。妻は魚のポワレに貝の出汁がきいたクリームソース。なかなかです。最後にコーヒー。
これで1500円。
ううむ、三つ星ではできない芸当ですねえ。

いよいよ展示を。特別展がありまして。

この展示で、ルーベンスもブリューゲルも、一人で作ったいたのではなく、工房やら一族やら複製やら加筆やら注文生産やら大量生産をやっていたとよおおくわかりました。
ベンヤミンは知っていたのかしら。

常設展示を見て、美術館の外へ。
すぐそばに三次ワイナリーがあるので、そこでおみやげをゲット。
ピオーネソフトクリームを食べて、家路に就きました。

10時に出て17時帰宅。
いいお天気の、気分晴れやかドライブでした!!!

偶然と必然

下に書いた記事に加えるのを忘れていたことが、もう一つ。

なかなかブログが更新できなかった理由にもう一つ、ありました。

実は、かなり長い間風邪をひき、声も出ないような状況だったのです。
一つには、母のこともあったのでしょうが、一番大きな原因は、多分、
ダイエット。

そう、懲りない私はまたダイエットしていました。

しかし、今回は人間ドックでかなりこっぴどくしかられたので、本気。
体重を減らすのではなく、バランスよく食事をしようということになりました。
が、最初のうちはどうしても極端になり、少し少なめのカロリーで食事していたので
ちょっとしんどかった。
それで風邪が長引いたのでは、と思います。

今は、無理せず、なるべく野菜を食べる、決まった時間に食べる、食べ過ぎた日は翌日に調整する、
などをやっています。あ、あと揚げ物はなるべく避ける、とか。

というわけで、風邪ひきは必然。

では、題名の偶然とは。
そう、今日たまたま入った本屋で、なんと右の本を手に取っている人が私の前に!!!!
でも。
そう、ね。 オチはわかるよ、ね。
その人はその本を戻して、別の本へ。
結末は見ないまま、静かにその場を私は離れました・・・・・・・・・

みなさん、買ってね。

もう冬になりました

ご無沙汰しております。

みなさまにはご心配をおかけしております。

このひと月、変わったこと/変わらないことがいくつもありました。

まず、母のこと。

一時期は、「もう危ない」ということでずっと病院に泊まって待機しておりました。
医者も、「月は越せない」と聞いておりました。
ところが、医者も「奇跡だ」というぐらいの、生命力。
母は、今も静かにベッドでいます。
「眠って」と書きたいところですが、目は開いていることが多く、
でも、意識は(多分)なく。
呼吸、脈拍、血圧、全て問題なし。
ただ、点滴だけで生命を維持しているので、やせてはきています。
それでも、「そこにいる」ということは、
心が、強くなります。

ひと月の間、母に付いて、そして、今までの家族のことについて、考えました。
そして思い出しました。
多くの方にも、暖かい言葉をいただきました。
それが、とても心強かったです。

別居している父が、突然電話してきたので、
「今母が悪いんだ」と言ったところ、
「よっしゃ、見舞いに行くわ」
と、言いました。

別居して何十年・・
ああでもやっぱり「夫婦だった」ということが、このようなときには
働くのかなと思い、これまた、少しほろっ。

ところが。
父は、病院に来てみてびっくり。
というのも、父は、「妻の母」が入院しているものと思い込んでいたみたいで。
思いもかけない、母との再会となったのです。
30年ぶり。

でも、一方は意識がなく。
一方は、新しい奥さんがそばにいる。
まるで、ドラマでした。

今は偶然にもアメリカに留学していた長男が帰ってきていたので、
思いもかけない、私の「家族」と呼べる人たちが、母の病室に集まったのでした。
私、妻、長男、次男、三男、母、父、父の妻。

母をのぞいた全員で、お昼を食べました。
父がぽつり。
「自業自得やけど、こういう一家団欒がわしにはなかったな」

そんなことない。
私が生まれ、父が出て行くまでの13年間の間で、
ほんのわずか、ほんのわずかだけど、一家団欒の瞬間が、父と母と私との間にはありました。

生まれてすぐ父の実家や母の実家に居候し、私の目の病気のために母と私が病院の近くで二人住まいをした小学一年。その間は父の存在は希薄でした。
しかし、3人が一緒に住むようになったのが7歳、それからほどなく母が「鬱病」にかかり自殺を試みたのが9歳、
そしてその「鬱」が緩解したのが11歳、それから父が出奔する13歳までの2年間は、夢のような幸せな2年でした。

相変わらず、夫婦喧嘩は多かったけれど、父が家にいることの心強さとそれによる母の楽さを見ているだけで、私も、楽でした。家族で一泊旅行をし、もう一泊したいとだだをこねて2泊したのもこの時期でした。(そんなわがままがこの時期は言えた。言ってもいいと思えた。)

そのあと、いろんなことがあったけれど、この2年間があったから、私は生きて来れたのだと思います。

人は一瞬でも、「幸せの瞬間」を知っていれば、なんとかなる、と思います。

母には、もう少し、もう少し、がんばってほしい。

で、「変わったこと」
(1)家のパソコンが壊れた!

このブログをなかなか更新できなかったのは、むしろこっちの方の影響が大きかったかも。
私のiMacが起動しなくなったのです。
幸い修理できそうで安心しているのですが、まだ入院中なのです。
それで、学校のパソコンをつかったり、子どものパソコンを借りたりして(今もそうです)
なんとか仕事をしていたのです。

(2)携帯のアドレスをみんな消した!!

病院でつめていると、まあ、暇、です。
当然携帯を触ります。
「まあこんなときだから、アドレスを整理しようかな。いやなやつのメモリーは消しちゃえ」
と、ある方の(名前秘す)アドレスを消そうとすると、携帯が
「全て消しますか?」
と聞いてきます。
私は、その方のアドレスをみんな消すんだな、と思い
「そう!」
とクリック。

みんなのみんなが消えました。

ということで、私に関係があるかなと思う人は、
名前入り、で、私の携帯にメールをください!!!

(3)本が出ました!!!

右の本が出ました。2冊です。
買ってください。

(4)本が出ます!!!!

11月終わりに出ます。世界思想社からです。
右に出します。


と、まあ、こんな感じです。

これから、このブログ、復活しますよ。

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