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2007年10月

声を掛けること

声を掛けること。

意識のない母に向かって、看護師さんや介護士さんはよびかけをします。
「はい、たんをとりますよ。ちょっと痛いですよ。」
「起きられましたか?目覚めはいかが?」
・・・・・・
昔看護学校で教えている時、上のような状況でも話をすること、いや、無意識の患者の声を聞くことの重要性を看護学生に話はしましたが、まさかそういうことが日常的に行われているとは・・・
私たちの命はこのような人々で支えられているのです。

ただ、私は、声が掛けられません。
掛けてはみますがぎこちない。
母から声が返って来ないということ(目は開いているのに)に私は慣れることができません。
あれほどいやだった母の声を私はもう一度聞きたいのでしょうか。

私は病院で、死にゆく母を受け入れていく時間の中にいます。

こんなに長く

みなさまご心配をおかけしています。
やはりここに載せるべきではなかったのかと思いつつ、自分の私生活を表現として見せて行くためにこのブログを作った以上、やはり載せようと思いました。

それに、今もそしてこれからもご迷惑をおかけすることになるでしょうから、そのためにも状況を関係する人にお知らせする意味も込めて書きます。

入院して10日以上経ちます。一時期は呼吸も荒く熱もありかなり危なかったのですが、今は危機を脱したようです。
しかし、ずっと意識はなくいつ急変するかわかりません。
今携帯に向かって打っているよこで、DS-7100が呼吸が止まったことを知らせるキンコンを鳴らしています。これはずっとそうなので、気にはなりません。

空いている時間を使って私と妻と帰って来ている長男(こういうときは頼もしいです)とで分担して、病院につめています。

今私は意識のない母の横にいます。

母と二人暮らしになったのは私が13歳、母が45歳。それから曖昧な母子家庭(父親が出奔して行方不明だったけれど離婚していなかった)として結婚する直前までふたりで暮らしていました。

私はとにかく家を出たかった。けれど家を出るその家が曖昧だった。結局母と二人で京都に出ることになりました。結婚する直前まで、私と母は暮らしたのです。

結婚してようやく私は母と離れて暮らすことができました。母は、一人でしか暮らせない人です。自分が頼りたい人を試すかのように罵りそしてその人が離れていく。その繰り返しでした。私が自分の幸せを手に入れるためには、離れて暮らすしかなかったのです。私が25歳、母が57歳の時でした。

それからは、なるべく近くに住むことで、また子ども(母にとっての孫)を行き来させることで、おだやかな日々が続いたと思います。それでも私は一緒に暮らそうとは思いませんでした。なにもかも失う気がしたからです。

突然、母がころがり込みました。パーキンソン病にかかったのです。同居が始まりました。これは地獄でした。
際限のないいさかいが毎日続きました。結局私は母を追い出す形で再び別居を始めました。

それからはほとんど行き来をしなくなりました。

広島に行くことが決まったとき、母が歩く姿を見ました。パーキンソン病特有の、前屈みになって歩く姿。
それでも私は「一緒に広島に行こう」とは言いませんでした。

私が、そして私の家族が広島に来て、それから母も広島にやってきました。もちろん一人暮らし。
しかし、もう母は一人で暮らすことはできなくなっていました。

台所に座り込み、すべての鍋と食品を床に並べ食事の支度をしようとする姿をみたとき、それでも私は一緒に暮らそうとはいいませんでした。

母を有料の老人ホームに入れて介護しながら生活する途を選んだのです。

そのホームでの暮らしは、共同生活でありながら、それなりに楽しかったようです。
自分のところに来るセールスマンが気に入り、そのセールスマンが私の妻とできているという妄想を持つようになるほどに、ある意味元気でした。

少しずつ衰えていき、とうとう病院に。
病院で意識を失ってしまいました。

今、私は母と今までの中で一番穏やかに一緒にいると思います。

それが病院であることが、少し悲しいです。

今病院です

ここに載せようかどうしようか迷いましたが、いろいろな人にこれから(今も)
迷惑をかけると思いますので、載せます。

今、病院におります。
泊まり込みです。(今まで毎日ではなかったのですがこれからはわかりません)
母の容態が思わしくないのです。
こんな感じです。
1
心電図や血圧を測る器械のそばに簡易ベッドをおいて泊まっています。

母は少しずつ少しずつ衰えていっています。
その母のそばにいるわけです。
この母と私とのことについては、落ち着いたらここに書きたいと思います。

ということで、ちょっとみなさまお待ちください。

週末の京都で

といったって、色気のある話ではありません。
(いやちょっとあるかな)
この週末は京都で学会があり、私や研究室の院生が発表したので行きました。
会場が私の母校でもあったので懐かしく・・・
と思ったら、ずいぶん変わっておりました。
まあ30年近く前に卒業したのだからしかたないかなと思ったのですが、
よく見ると、変わっていないところもあり(西部講堂ね)

今の写真を載せようと思ったけれど、30年前の姿を知っている人がいないから
別に見ている人は感慨はないだろうなと思って、写真はなし。

京都の町は少しずつ変わり、でも全く変わっていないところもあり、そういうところが、
なんか「ずるいい」と思ってしまいます。
いいよねえ、結局京都は。
と思ってしまうわけで。

不思議な感じで京都にいました。

昔一緒に芝居した人と久しぶりに会い、芝居談義。
この人は最近すごく伸びているので、うらやましい。
これも「ずるいいい」と思ってしまい。

ううむ、学会のことなんかどうでもいいな、と思ってしまいます。

京都は、私にとって、舞台なんだなと、思いました。

>こまつさま
本日、あなたのコメントを見た妻が、グレープフルーツを買ってきまして、夜に食しました。
しゅっっぱいいい。
無理。
はちみつかけたい、と妻に申し出ましたが、即座に却下されました。
妻は食事療法で高血圧を征圧したのでかなり自信を深めておりまして。
しかし、グレープフルーツはきつい。
素のグレープフルーツは、特に。
ううむ、これは昔やってたアロマに頼るか・・・

>元広大製さま
だから、勉強しに濃いって、あちがった、恋って、あちがった、来いって。
わしの研究会に。
一人じゃ無理。

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