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2007年3月

年度末に

年度末です。

いろんなことが終わり、始まりを迎えようとしています。

3月23日は卒業式でした。私は、国語文化コースから初等教員コースに本年度移籍したのですが、前のコースに卒論生、修論生を残していて、その人たちが卒業・終了を迎えたのです。つきあいの長い人では6年、胸に迫るものがありました。

そして、広大製さん、ご卒業おめでとう!!ずっと会えないでいましたね。これから教育現場に出るのは不安でしょうね。でも、現場にはいい先輩がかならずいるので、どんどん頼ってください。そして、なんかあったら私にも連絡下さい! 

24日は学思会でした。名古屋と北九州からも来られて盛会でした。詳しくは左の<行ってみたら>の<難波・国語教育ネットワーク>からどうぞ!

25日は結婚式。私のゼミ生だったK君と同級生の式でした。どちらも広島で私立学校の教員をやっているので
多くの先生が集まった結婚式でした。二人とも登山が大好き・フェレット大好きで、手作り感あふれる披露宴となりました。

そして、今週。18年度最終週。
遅れに遅れた仕事をどうしても片づけなくてはいけないので、これから缶詰めになります。
ある意味、これも、終わり、であり、始まり、でもあります。

そうそう、最近次の本を読みました。
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この本に見られるのは、エロという性欲ではなく、安さ(無料)という経済欲が、描かれています。
私たちの本能と(錯覚?)しているエロ(性欲)が、現在はいかに「経済」の中に組み込まれ支配しているか
逆に、私たちの経済欲がいかにエロ(性欲)を支配しているかが、わかります。

私たちの無意識にある根源的な欲望は<性欲>だと、フロイト好きの私は思っていたのですが、現代人は<金欲>になっているのかもしれません。エッチから無料へ。

そしてその<金欲>に勝てる一つのアイテムも、この本に書いてありました。
それは、
<おもしろさ>。

昔のエロ本に書いてあった、全くエロくない、変な・マニアックな記事。
(「89歳バアさんの暴走族」「日本一まずい缶ジュースをさがせ」とか、詳細は(p.69))
今ネットにあふれているごたごたの記事と違い、決して素人攻撃はしない、プロのによる章たち。
ここに、<金欲>に勝つ唯一のアイテムがあるのです。
確かにこれらの記事は、以前は<性欲>に勝っていたんですからね(勝っていたとは言い過ぎか。でも、載っていたと言うことは、読まれていたんですよね)。

戦いのトーチカは、やはり<おもしろさ>にありそうです!!

大学教員の仕事と評価

昔と比べて、3月は忙しい。

と、大学教員15年目が過ぎようとする私は思うわけで。

なりたてのころからつい最近までは3月はほんとになんにもなくて、この時期に、
時間をかけた論文を書いたり、じっくり本を読んだり、していました。

ところが、この2〜3年の間に、ものすごく忙しくなりました。

他の仕事と比べてたら楽していたんでしょ!
と言われるかもしれませんが、
私の仕事の特殊性をちょっとお伝えしたいです。

というのは、大学の教員の仕事は大体次の4つに分けられます。
(1)教育
(2)研究
(3)学校運営
(4)社会貢献

そして大体この4つで評価されることになっています。

目に見える仕事は、(1)(3)(4)です。これは実際に目に見えてやっていることなので、
どれだけ授業のコマ数をもっているか、学生からどのように評価されているか、学校の会議にどれだけ参加しているか、対外的な仕事にどれだけ関与しているか。。。
これらは、はっきりわかることです。

ところが、大学教員が昇任(講師から准教授(今は助教授のことをこういうんだよ))准教授から教授になるときは、研究の成果が絶対です。これがなければまず昇任できません。

では、研究は何で評価されるか。それは芸術系などを除けば、ほぼ論文の質と量とで決まります。
質は掲載された雑誌のレベルで決まります。

そのような質が高い論文をある程度の数書こうと思うと、時間がかかります。

ところが、長期休み以外は、そんな時間はなかなかないのが実情なのです。

ということは、結局通常の勤務時間以外で研究をすることになるわけで、なんとなくずっっっと仕事をしている感じになるのです。

そして、今。長期休みがほとんどなくなった今は、まともに研究する時間がなくなったのが、真実なのです。

教授になったら、昇任で焦る必要はない、だから、のんびりしよう。

そんなこと思ってはいけない、しっかり研究させるために任期制にするぞ、と言われても、

一体、いつ、研究すればいいんでしょうか。

と、多くの大学教員は思っていると思います。

その上で、また、競争させたがる、あの御手洗とかいうキャノンの社長。

ひどいです。

ANAのお話

今日、3月13日、高知空港にANAの飛行機が胴体着陸しました。
みんなが無事で、ほんとうによかったです。

この事故はANAにとっては問題である一方で、落ち着いたパイロットの行動は株を上げたという面もあるでしょうね。

ところで、この事件で思い出したANA話を一つ。

先日町田市であった児言態学習会の帰り、私は羽田から広島行きのANA19時30分発に乗りました。
昼食が担々麺だけであったのでおなかがすき、自宅に帰って晩ご飯を食べることになってはいたのですが、
売店で、シューマイを買って飛行機に乗り込んだわけです。

この時間の羽田はラッシュ。離陸・着陸する飛行機でいっぱいで、離陸しないまま滑走路で待っていたANA。
私は、おなかがすきすぎて、すごくにおいがすることもものともせず、まあお客が少なかったということもあって
袋の中でごそごそとシューマイ(弁当ではなく、シューマイオンリー)が入った箱をかぱっとあけ、爪楊枝にさして
食べ始めたわけです。なさけない格好。

と、すっと、CAの方が、後方からおしぼりを差し入れてくれました。
そのタイミングの良さ。私は見られていました。

おしぼりをつかい、再び、食べ始める。
3個ぐらい食べて、ああああ、のどが渇いたなあ、でもお茶を買うのを忘れたなあ、ドリンクサービスまで待てば良かったなとなどと考え始めたとき、

すっと、再び後方から。
ポケモンキャラの小さめのコップにお茶が入り、ふたとストローが付いたやつが。
私は見られていました。

見られることの、心地よさ。

ANA、やりますね。

JAL がんばれ!!

児言態学習会

3月10日は、東京都町田市で、児言態の勉強会でした。
児言態(児童の言語生態研究会)は、私がおいかけている研究会であることはこのHPでなんども述べました。

なくなられた上原先生は、民俗学と国語教育をつなぎ、人間の心の深層にあるイメージ(心象)に注目しその心象が地域の人々に伝承されてきたこと(心意伝承)自体が、日本にいる人々の変わらない本性であること、それを育てていくことが教育の根本であることを説かれてきました。

今回の勉強会は、上原先生の民俗学の研究における晩年の論文をまとめられた遺稿集をもとにしたものでした。
その本は、『曽我の雨 牛若の衣裳 −心意伝承の残像−』(暮らしの手帳社 編集   定価 1800円(税込み))
です。
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この本、文章を丁寧に読むのではなく、映画のように見、講談のように聴いてください。上原先生の肉声が聞こえてきます。
(私は上原先生の肉声を直接聞いたわけではありませんが、テープで聴いたことがあります。そうそう、この学習会では上原先生のご子息がいらっしゃいました。その声、風貌、ほんとに上原先生そっくり!!!)
なお、この本の注文は ここ です。

講師は、この本の編者でもある、本荘さん。
かっこいい。
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上原先生に大学1年生の時からついていた本荘さんの解説は、とてもわかりやすく、霧が晴れたような感じがしました。

キーワードは、やはり「心意伝承」。
聴けば聴くほどこれは、「心意が伝承されたこと」そのものが大事ではないと思いました。

日本ー人(この書き方、これからやっていきます。日本にけっこう長くいた・いる人、という意味です)には、意識的と言うよりは無意識的に昔から伝えてきてしまった、所作や振る舞い、儀式や祭祀(特にその中のことがらやものの扱い)があるわけですが、その伝えてきてしまったものやこと(心意)の、その伝えてきてしまう(無意識的にね)日本−人の、心の奥底にあってずっと変わらない「心の傾き(偏向性)」こそを、上原先生は問題にし、「心意伝承」と名付けたのではないかと思うのです。

そうそう、昔少し勉強した、「アフォーダンス」(プチプチをみたらぷちぷちをしてしまうわけですが、そのプチプチに、まるでプチプチすることを誘う力があるみたいで、その力をアフォーダンスと呼ぶようです)のように、日本の地理的形状が、日本−人の「心意伝承」を起こす力を持っているのかもしれません。

教育が、その土地にいる人にとって幸せなものになるためには、少なくとも、その土地にいる人の「心意」を裏切るものであっては、しんどいことになるでしょう。

ただし、心意伝承を、封建的な束縛と考えてはいけないことは強く言っておかなくてはいけません。
封建的な束縛は、せいぜい江戸時代に作られたものにすぎないわけで、「心意伝承」はもっと古くからのものと考えるべきでしょう。民俗学は、そのような学問であるわけです。(歴史学ではない)

訳のわからん国粋主義者に利用されないようにするために、上原先生の考えを、今に生かす方途を、特に私の場合、母語の教育に生かす方途を考えなくてはいけません。

心が晴れた、一日でした!

お別れ会連発

年度末です。

私のような仕事では、3月こそ「大晦日」の気分。
卒業生、修了生が巣立っていきます。

今週は、6日が学部生の追いコン。8日が院生の追いコン。(間の7日はある小学校の懇親会でした)

うれしいことに、卒業生・修了生は巣立つときになにかを私に残していってくれます。

6日いただいたもの。
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低反発仕様のクッション。
研究室のソファの上にあるクッションが、あまりにくたびれているので買ってくれました。
涙・・・・・

8日いただいたもの
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とっても高級なペン。
私がいつも油性の「お名前マジック」で院生たちのレジュメに書き込みをして渡していたのですが、字がにじんで全く見えなくなったことが多数あったので、買ってくれました。
涙、涙・・・

満足感と、反省の思いをいっぱいもって、いよいよ年度末です。

一方で、新しい年度に向けて動き出すことも平行してやっています。
新しいお仕事ブログ始めました。
難波・国語教育ネットワーク
これは、もっぱら私と一緒に研究している学校の先生方に向けた情報発信・共有のためのHPです。
もちろん、他の方もご覧下さい。
まだスケジュール的なものが多いですが、中身のことも掲載していこうと思います。

季節の変わり目で凝っていること

あんまりうまく写っていませんが・・・
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一瞬ですから著作権関係はゆるしてね。

iPodで映画。そう、これは「アメリ」。

今凝っています。

まだネットで映画配信がないので(あるんかなあ、iPod用って)
ネットレンタルでビデオを借りてマックで変換してiPodに入れて。

これで黒澤明映画の初期〜中期は大体見ました。

今は、見たいみたいとおもってみのがしていたのを見ています。

「アメリ」 も見たかった。

で、このやり方で覚えた、楽しみ。

ちょっとだけムービー。

私は原則として電車に乗っている10分間とバスに乗っている15分間のうちその半分だけの時間を
映画鑑賞に使っています。
そして、「続きは帰りに、ね。」みたいにしているわけです。

これがいい。
そう、今は私は、カフェの客になったような一日を「アメリ」ちょっとだけムービーのおかげで
過ごせるわけです。

この前は、蜘蛛の巣城にいました(笑)。

アクチュアルとリアルの「時間の長さ」が逆転した感じ。
まるで、芝居の稽古中のような感じです(ううむ、この比喩は一般人にはわかりにくいか・・)

まあとにかく。
ちょっとずつちょっとずつ、「アメリ」と生きています!!

追伸
 ますます起きやすい今日この頃ですが、早起き、できていません。
 明日、がんばってみます・・・
 あと、口内炎が痛いです・・・・

池田晶子さんが亡くなった

46歳。

どうして、そんなに「強く」死ななくてはいけないのだろう。

潔いからこそ、畏れもするし、嫉妬もする。

弱みをみせずに、逝くこと。

それは、私の望みではない。
私は、もっと「弱く」死んでいきたい。

だからこそ、憧れる。

池田さん。

安らかに。

弥生3月

弥生3月 春うらら

うららの冬や だめんずに

切れてみたくて 切れもせで

どこまで続く ぬかるみの

入りてゆられて ゆすられて

旅立つものは おあしのみ

貢いでそれも 我さがし

言いつくろって かたらって

美し国の どんつきで

安酒飲んで 倍払い

落ちてゆきます 花吹雪

ここが思案の

橋の上だあ


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