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2007年1月

スケジュールの形式

手帳手帳

どんな形式の手帳にするか、いつも悩みます。

何年も前から、Davinci のカバーに大きめサイズのキットをいれて使っています。
Sa270024

まあ、マック派なので、こんなマークもつけています・・・ちょっとはずかしい・・・・

もう10年以上、カレンダータイプのスケジュール帳を使っていました。
書くところは少ないのですが、一月を2ページに一覧できるので、便利だったのです。
(私の仕事は一月で考えることが多いのでちょうどよかった)
「1.htm」をダウンロード

しかし、3年ほど前からこのスペースではどうにも予定が書ききれなくなり、2週間タイプ、それもバーティカルタイプに変更。
Sa270025

これはかなり気に入っています。

さらに。
私はいわゆる「メモ」を書くのが苦手で、あちこちに書き散らしてどこにいったのかわからなくなってしまっていました。リファイルにもあるメモを全く使いこなせなかったのです。(いつも、くちゃくちゃになっていました)

ようやく去年の終わり、「あ、そうか、一日タイプのスケジュールに日記のようにその日にメモすべき事をしていけばいいんだ」という、全く基本的なことに気づきました。(どうしてこんな簡単なことに気づかないのかねえ・・・)

今まで、メモ帳のあいたところに適当に書き散らしてまったく無駄にしていたのを、その日のことはその日に書くというようにしました。
Sa270026

これはほんとうに具合がいい。書いた順番に書いた日にメモしているので、日付をおって確認できる。

この年齢になって、ようやくスケジュール書きが落ち着いたのです。

と思ったら。


視野が狭くなってきました!!!!!

カレンダータイプでものを考えていたときよりは、あきらかに目先的に思考しているのです!

ああああああ。

一回書いたら、一日・一週・一月のみんなにスケジュールが書ける手帳はないかしら・・・
でも、ITでやるのは、めんどくさいし、一覧性に欠けるしねえ・・・・

みなさん、スケジュールはどのように管理していますか?

私は、上の枠組みに、一月タイプのyahooカレンダーも加えようかな・・・

やっとおやすみでした!

コメント欄広大製さんも書いておられますが、私の勤務先では、卒論・修論とも締め切りが今月末で、私は講座を移った関係で、前の講座の学生と新しい講座の学生がいまして、総勢15人の論文をみています。しかも、3ヶ月カナダにいっていたもので、そのつけかどうか、ぎりぎりまでアドバイスが続きました。(この時期ですから、あとは知らん!です(笑))

少しさかのぼって先週のこと。

土曜日は、福岡で公開研究会でした。
九州大学の丸野先生が関わっておられる小学校での「話し合い」を中心とした公開研究会です。
ここにプログラムがあります。
教師主体の授業から、子どもの声を聞く授業へと変貌しつつある学校です。今は新しい模索の段階に入り、いよいよ授業の目標や教材研究の問題にぶつかっています。いい歩みです。
丸野先生、ますます、丸くなっています。私の同僚のある有名な先生の悪口を丸野先生と言い合えたのはとても楽しかったです。 やっぱり「教育は実験室では起こっていないんだ!」ですよね、丸野先生!!

金曜日は、尾道市立浦崎小学校の公開研究会です。ここは、話すこと聞くことの授業を、なんとか身のあるものにしようと真摯に模索している学校です。ここの先生も、ほんとうに良い研修の歩みをしておられます。自分の授業を評価にさらすことがどんなにしんどいことか私もよくわかります。でも、人が変わる姿を見せることこそが人を変える力になるんだとほんとうに思います。 ここの授業は、教師が「悪い見本」を示して子どもにつっこませて、学ばせるという手法をよくとるのが特徴です。これがほんとにおもしろい。先生が意図して間違ったところを入れて指摘させようとしたら、ほんとに間違っているところがあってそれを子どもに指摘されて先生も勉強する、なんて楽しいことが起こります。 

あとは、組合の活動ですね。これもかなりたくさんの時間を割いてきました。
2月8日の講演会、これがほんとに大きなイベントになりそうです!
こちらを参考に、ぜひお近くの方はご参加下さい!

新機軸いろいろ

この「劇的な人生:07年版」は、ココログというところでやらせてもらっています。

なんかしりませんが、投稿のフォームが新しくなったみたいで、いろいろ試してみます。

HTMLっていうんですか、それができる人はもともとやれるんでしょうが、そんなもの知らない私にとっては、

とてもおもしろい!

まあ、ココログもあたらしくなっていることなので、私もどんどん新機軸を打ち出してみようと思っています。

あのう、昨日のポッドキャスト、ちゃんと聞こえていますか?
少し心配です。声が小さいと思うので、なるべく声を大きくするか、ヘッドホンで聴いてね(秘密に聞くほど怪しいものではないけれど・・・)

新機軸を発表します!!

ほりだしもの ライトと武田

今日はお休み。
ある人から「青春18切符」の残りをもらう予定だったけれど、その人がなくしてしまい(泣)
(本当は、倉敷まで行きたかったけれど)せっかくなので、福山に行きました。

なにをやっているのか全然わからなかったけれど、
ふくやま美術館へ。
ここでやっていた「フランク・ロイド・ライトと武田五一展」、なかなかのほりだしものでした!

展覧会の中身はこちら

今日はひさしぶりに、ポッドキャストでおはなしを。

あそうそう、先に、おみやげをお見せします。
ライトが設計した帝国ホテル。そこで使われたテーブルウェア(これもライトがデザインした)を復刻し、ノリタケがマグカップにしたものです。一目で気に入りました。

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あと、この本もミュージアムで買ったのですが、谷川正己さんの本です。この方、ものすごい「ライトマニア」だったらしく、日刊で(!!)新聞まで出していたんです。もう30年前の本だけど、かっこいいね。


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では、あとはポッドキャストで。

「07.1.20..mp3」をダウンロード

ほうじゃねえ〜〜

ほうじゃねえ〜〜

ほんまやねえ〜〜

ほんとだわ〜〜

ええっと、私、広島←名古屋←関西 と移ってきたわけで、そこで聞かれた(合っているかどうかあやしいけど)「そうだねえ」という言葉の、地域別バージョンであります。

カウンセラーではない私ができることといったら、チョコか紅茶をおだしして、(あとなにがあるかなあ)「ほんまだねえ」と相づちうつことぐらいですねえ。

そして、そのことは、とってもとっても大事だと思うんですよね。


社会も、会社も、学校も、「私はという主語をはっきり出しなさい」という、日本語の文法を無視した(このへん話すと長いですが、簡単に言うと、日本語は主語を明示しないことの方がニュートラルの言語でして、主語を明示すると強調というレトリックになってしまいます。)動き強まっています。

相手が言うと、それに対して、自分の考えを打ち出す、ということ。

一方で、「相手の言うことはまず聞きなさい」という規範意識を強めようとする動き。

この二つを合わせると「相手の言うことを黙って聞くのだけど、あとで反論するつもりになっとけよ。だから、頭の中で扇風機を(ちがうちがう)と回しておくんだ(by  佐藤学)」ということですかねえ。


余裕のない、自己主張。


結局、腹と口とが違う人が勝ち組になっていく、ということなんですか。


やぶって離れるために、まず、守る。

の、はずなのに、

守っているふりで破って離れて結局守りもやぶりもしていない、勝ち組の人たち。

地道に守りながら次のステップに行こうとする人を貶める社会は、ゆがんでいます。


ほうじゃねえ〜〜と、一息ついてもらって、前に少しだけいってもらいましょう。

パッケージされた知識の誘惑

大人になると(学校を出ると)パッケージされた知識を、「教えて上げよう」といって教えてくれる人はいなくなります。

・私の、住宅ローンの賢い返し方
・私にとって、一番効率のいい情報収集の仕方
・年老いた親との、うまいつきあい方(含む、公的機関の利用の仕方)
・いろいろな年齢の人とうまく付き合うしかた(含む、困ったときの相談窓口)
・弁護士や司法書士、行政書士の違い、そういう人たちのうまい利用の仕方
・漢方のうまく利用する方法

・・・・・・・・

確かに自分にまつわることが多いので、一般論では語れないかもしれないけれど、
ヒントになるような一般論をパッケージで教えてくれたらどんなに楽だろうな、と思います。

学校という、近代が作り上げた場所は、パッケージされた知識を教え込む場所だというイメージが強いので
大人になってから、「さ、このテキストをしっかり学べば完璧です」的学習にかえって憧れるのでしょう。

だけど、今になって思いますが、大人になっていろんな体験をしてきたからこそ「パッケージされた知識」をほしがるし、それをうまく自分なりに消化する術を知っているかもしれないと思います。
学校時代は、パッケージされた知識を教わっても、それがなんだか缶詰のように頭にはいるだけで、自分なりの味付けにしていくことができない。

そうすると、頭の中には、知識の缶詰がごろごろ(大人になっても)開けられないまま転がっている、ということになります。
ほんとはこの缶詰を開けてみたら、上に上げたいくつかの問題に対処できるヒントがあるかもしれないのに。
でも、なんだか開けにくいし(さびちゃっている、とか変質しているという可能性もある)、開けても自分なりの味付けにする方法がよくわからない。(最近はやりの脳トレーニングは、缶詰を開けることをしている気がしています。ただし、自分なりの味付けはしないので、知識が知識で終わって再び缶詰されている感じですが)

だから、改めて、今、パッケージされた知識が欲しくなるのかもしれません。

なんか、もったいないねえ。

昔の缶詰めと、今抱えている人生上の問題とを、つないでくれる調味料があれば、あらためてパッケージされた知識を勉強しなくてもいいのかもしれません。

もしかして必要なのは、学校教育の改革ではなくて、(大人になってからの)生涯教育の改革なのではないかしら。

学校で勉強したことを、「大人の人生の文脈」の中で、思い出させてくれるような、生涯教育が必要だと、今書きながらだんだん思ってきました。

ロストジェネレーション

という記事が朝日新聞で連載されているんですって?

研究室の院生(28〜29歳)に聞きました。

25〜35歳の、団塊の世代ジュニアのことだそうです。

団塊の世代は、55歳から65歳というところでしょうか。

仮に、10歳ずつ年齢層でわけてみると

55歳〜65歳 団塊の世代
45歳〜55歳 遅れてきた世代(私はここ)
35歳〜45歳 新人類世代
25歳〜35歳 団塊の世代ジュニア
15歳〜25歳 遅れてきた世代ジュニア

ということになりますかね。

さて。それぞれの世代はいろいろな特徴がありそうですが、私はっきりいって、
上の世代とも下の世代ともどうもうまく気が合いません。
一番気が合うのは団塊世代ジュニアかもしれません。

団塊の世代ははっきりいって「口だけ」という感じ。
「僕はフェミニストだ(僕は、というのも気持ち悪い)」といいながら、「君にはちょっとわからないと思うが」と暗に女性差別する人がどうも多い気がする。
新人類世代ははっきりいって「何考えているかわからん」という感じ。

それで私が教員時代教えてきた世代は、ほぼ全て団塊世代ジュニアなんですよね。

ところがぼちぼち自分の子ども世代を教えてくるようになって、どうも違うなと思い始めています。

団塊世代ジュニアは、抱えている問題を掘り起こすことでかなり明確な形を示していくことが多いのですが、その下の世代はどうもそう簡単ではない。
まあ、私らの教育の責任もあるんでしょうが・・・

私たちの世代はすきま世代とも呼ばれて、数もそんなに多くないのですが、私はかなりいい人が多いと持っています。しかし、その「よさ」は、新人類世代から見れば、「なんとなく気持ち悪い」と思われているんでしょうかね。
そして、自分のジュニア世代からもそう思われているかもしれません。

世代論は、その時代の空気を抱えているので意外とあたるような気もします・・・

オレンジペコとギャパ入りミルクチョコ

まあ、なにを「はさむもの」にするか、じっくり悩み中のわたしでございます。

ええ、ええ、確かに。訪れ人はカウンセリングというものよりも、茶飲み話をしにきたと
思うわけで。

なら、茶飲み話にうってつけの、お茶。
なるほど、紅茶ねえ。いいっすねえ。

ただ、最近は、学生・院生の指導に追われて(そういうときは茶飲み話というより、修羅場になるので。これもまあ、あるいみ、「癒し」なんだなあ)お茶も飲んでいないねえ。

チョコレートもいいねえ。最近はやりの「ギャパ」でしたっけ。
ああいうのを、「ささ」とお出しする、なんていうのも、いいねえ。

となると、

「オレンジペコとギャパ入りミルクチョコ セットで700円」というのがいいなあ。

***********

勝ち組は、「労働ダンピング(ビッグバンなんて言葉は財界の言葉だから使いません」」
でも恐くないそうです。

「サービス残業なんてするやつは、甘えているんです。会社に言えばいいんです。」
と、ザ・アールの奥谷礼子社長が曰っていました。

みなさん。経営者とはこういう動物です。
だから、組合が対抗システムとして生まれたのでしょ!!

なんで組合に入らないのかなあ・・・

いいように経営者に搾取されて、それでも黙っている国民を作る教育なんか
絶対にやめなくてはいけない!!!!!

***********
ま。ま、落ち着いて。

アップルティーと、板チョコで、一息いれますか。

あ、そうそう、うちには実は頂きもののスイーツがたくさんあって、かなり幸せ。

とくに、博多スティックまんじゅう

Stick

土佐日記
Tosa320

は、ほんとに絶品!!

怒ることもおおいですが、今日は緑茶でいきますか・・・


労働者の切り捨て

私のもう一つの大きな取り組み。

それは、勤務先の労働組合の書記長という役目です。

5000人は軽くいると思われる職場の組合の事務方のとりまとめをしています。

多分他の人よりも大学全体の情報によく接すると思います。

この仕事をするようになって、
・看護師の仕事がほんとに過酷であること
・一方で、病院の偉い人は、そういうことにまったく無頓着であること
・医学部と他の学部の教授というのがまったく「異なった生き物」であること
・事務の人に、心ある改革の志を持った人が多くいる一方で、その思いを、大学教員が抑圧している面があること

などなどを知ったり感じたりしました。

さて、その組合で大きな取り組みをすることになりました。

2月8日(木)の午後6時から、法経255教室で、
「残業代がなくなるって!?」という題の講演会を開くのです。

残業代が無くなる???

そうです。

現在の政府や経済界は、とうとうこんなことを言い出したのです。


あなたの給料は時間ではなく、成果ではかってあげます。
成果が出ればはやく仕事をおわってもいいんですよ。
これこそ自律的な労働者ですよね。


あほか!!

今の日本の労働者が、サービス残業をしてしまう、させられている、日本の従順な労働者が
自律的な労働者になれるはずがない!

教員を見て下さい、

教職調整額があるから(わずかな額ですよ。しかもそれすらなくそうとしている)といって
サービス残業をさせられている教員の、その実働棟時間をご存じですか?
夏休みがあるでしょ、なんていう人がいたら、顔を洗って出直して下さい。

自律的労働、労働ビッグバンの美名のもとに、

こんなおそろしいことが導入されようとしています。


これでもあなたは、自民党を支持するのですか?


逃げないで下さい。選挙権を持っているあなた!!

ふむふむ、あなたには・・

私はねえ、夢があるんですよ。

研究室に来た学生。
まあ、いろんな問題を抱えていることがあるわけです。

じっくり話を聞いて、前向きになってもらえる場合もありますが、
なかなかそういかないこともある。

私はカウンセラーではないので、ただ向き合って二人で話を聞くという技術がすごくあるわけでもないし、
ときどき、なにか「はさむもの」がほしいなあ、と思うときがある。

そうそう、喫茶店のマスターがいれるおいしいコーヒーとか、
粋なバーテンダーがもてなしてくれるカクテルとかが、
ふと心を解きほぐしてくれるように。

キャバクラのおねえさんが、単なる「好色」の対象となるだけではなく
おとうさんの癒しになるのは、
おねえさんの姿形衣装が、ふっと「向こう」に連れて行ってくれる効果があるわけで。

そんな「はさむもの」がなく研究室で向き合っていると、ちょっとお互いに苦しくなるときもある。

かといって、私が時々やる「なら、まあ、手のひら出してごらん」というのも、最近では難しく。
ましてや「体も凝っているんだよ。さ」
なんてやると、ますます、やばくて。

で、むかあああし、アロマがそんな「はさむもの」になるんでは、と思ったときもあり
ちょっと勉強してみました。(すっかり忘れました)
「うん、今の君には、この香りが、いいんじゃない?」みたいな「処方」ができたらいいな
なんて思っていました。(「処方」という言葉に憧れますねえ)

今日テレビを見ていると、漢方のことをやっていまして、
実は私、漢方もちょっとだけ勉強して(これも中途半端でやめてしまった)いたんですが、
「あああ、今の君にはこの漢方薬がいいんじゃないかと思ってね、あ、待ちたまえ、すこし処方して上げるから。
うん、じっくり薬を煎じて上げるから、その間に話を聞かせてもらおうか」
なんて、いいねええ。

ただし、これも相当の知識と経験がいりまする。

・・・やっぱり、手のひらで勝負かなあ。触診なしの望診だけの手相見になろうかしら・・・・・・


ツインキャンパスの夢

1

京都で研究合宿をしていました。

学生時代6年半いた京都。
最初の年はまだ市電が走っていました(河原町通を走っていたんよね)。

京都を出てから何度か訪れていますが、その変貌ぶりには驚かされます。

今回泊まったホテルは、四条高倉を上がったところにあるのですが、
あのあたりの町屋は、表のたたずまいはそのまま、中が、
おしゃれなブティック、イタリア料理店、雑貨屋、そして京料理屋、など
大きく改築して若い人に店をやらせている。

文化が、ますます更新しています。

ここに住んでいることは、とても刺激的だろうなと、うらやましく思います。

その刺激は、行くことでは味わえません。
住んで、その空気を吸わなければ。

文化は高いところにますます流れていっています。
人とお金の動きといっしょに。

ひるがえって、広島。

その努力には頭が下がりますが、あまりに涙ぐましい。

広大よ、もう一度、市内(こちらでは広島市内のことをこう呼ぶ。ここにも、それなりのニュアンスが・・)に戻ろうよ。

その全ての機能を戻すのは無理としても、新しい機能を付加した新しい高等教育機関を、千田にもう一度作り、若者を市内に戻しませんか?
10年かかって。

そしたら、西条と広島と、ますますツインキャンパスとしてかっこよく(場合によっては直通高速バスをチャーターしようよ)飛躍するのではないかしら。

変化を恐れることは・・

変化を恐れることは、破滅へと通じる。
日本の社会が壊れかけているのではなく、壊れていると考えて、行動を起こす。
しかも、その行動は、「勝ち組」がやるような「ドーダ」的な行動ではなく、
また、飛び跳ねたような旧左翼的行動でもなく、また、自我肥大的な旧右翼的な行動でもなく、
落ち着いた、じっくりとした、行為でありたい。

今の日本は、ぐるっとまわって、ふたたび、「変化を起こすための行動」を起こす人に対して
あしをひっぱりあたまをおさえつけふいうちをくらわす輩が増えています。

それは、きっと、恐れ。
変化への恐れ。

ちょっと前までは、嫉妬かな、とも思ったのだけど、
それだけでは説明できない。

成功体験ということばがあるでしょ?
昔の成功にしがみつくということ。

今の日本の場合は、成功ですらないものでも、とにかく自分が生きてきた基盤にすがりつく、
ということ。
これって、ひどい目にあった恋人にすがりついてしまう人、虐待にあっているのにもかかわらずそれを否定して「いいところもあるんだよ、あれでも」と言ってそこから出ようとしない人、に似ている。

ただ残念なのは、変えようとする意志を持ちそのように行動すると、政権の広告塔にされてしまうということがあるようだということ。

・・・・教育再生会議は、ほんとうは、民主党が作るべきだったんじゃないだろうか・・・・・

今のままでは、とにもかくにも、政府と党と議会が足並みをそろえないでいろんなことをやっているのが、「統一していないじゃん」というマイナスのイメージだけでなく、「結構いろんなことやっているね。多様かもね。」というような、「多元的なプラスイメージ」を作ってしまっている事は否めないと思います。

もしかしたら、野党の方が、変化を恐れているのかもしれない・・・

特に、旧左翼の政党。

どうして、どうして、同じような行動パターンなのだろうか。

時代や社会が変化していることをどうして見ようとしないのだろうか。
変化しているからこそ、その変化をしっかり受け止めつつ、受け止めた姿を見せつつ
「だけどかえてはいけないことがあるよ」と言ってくれないのだろうか。
変化を認めず(下に見て)自分も変わらず、そして「変えてはいけない」なんて言っても
人は振り返ってはくれない。

変化を恐れた結果が、廃墟のヒロシマだということを、私は心に刻みたい。


このままで

このままで日本は政権交代をしないのでしょうか。

2007年の冒頭にツヨクツヨク思います。
(ツヨクツヨクはmihimaru の歌だったっけ?あそうそう紅白見逃したんだよね。だれかDVDにしてくれないかなあ)

一時期を除いてずっと同じ政党が政権を維持する国は、やはりおかしいでしょう。
選択肢がない、それがこの国の「閉塞感」の一つの原因であることは疑いないのではないかと思います。

どうして対抗政党が育たないかその理由と、なんでもすぐ一枚岩になって(内実はばらばらなのに外側に対しては「日本人というのは」なんて臆面もなく言える、ということ)しまう国民性とはつながっているとも思います。

ネット世界の匿名の興隆は、この「閉塞感」をなんとか回避しようとするあらわれだとも思います。
ただ、自分をさらけることなくそれをやろうとするから、一層「内閉的」になるのだとも思います。

自民党がいいか民主党がいいかということではなく、選択肢を政治世界にもたないのは、あまりに不幸です。

そもそも政治の話を忌み嫌う人がこんなにも多くては、どうしようもない。

政治の話をする人は、変な人。
政治をするのは、プロ。
(なんとなくイメージだけど、表向きはやたら愛想が良くて裏ではなにやっているかわからない、顔がてかてかの人、そんなイメージ持っていない?ちょっとあたっているかも)

だからといって素手で政治に立ち向かうのは、ドンキホーテみたいだしねえ。

他に選択肢がないからしかたなく現在の政権政党に票を入れるという行動が、パフォーマンスのとても上手な戦略もしたたかな政治集団があらわれたら、一斉にその方向に動くような予感を、私にさせてしまうのです。

パフォーマンスの「劇的なおもしろさ」を小泉で知り、内の世界の変革が外の世界の革命につながる幻想を「オウム真理教」で知り、原爆にしても阪神大震災にしても廃墟を廃墟のままおかないで見事に復活できるのだという経験によってかえって「崩すことは次へのステップになりうる」という幻覚を与えられてしまった私たちは、(だから原爆ドームを残すことは重要なのです。復元などできはしない。元の生活は全滅していることをいつも知らせてくれるから)
少しずついい方向に変えるための努力をせず、なにかが一挙に代えてくれる幻像をみせてくれるのを、待合室で待っているのではないでしょうか。


教育基本法が変わりました。これは、少しずついい方向に変わっていくステップなのですか?
ならば、どんなふうにいいように変わるのか、私たちは政治家からちゃんと伝えてもらっていますか?
「そんなこと聞いていないよ」と、あとで言うことになりませんか?

私は今教育基本法を変える積極的な理由がみあたらないだけでなく、変えることで教育の現実がどのように変わるのかについて実態が見えないので、反対でした。
ただし、その基本法によって教育の現実をどのように変えようとするのか、それをしっかり見てから
おかしければおかしいと積極的に発言していこうと思います。

なにしろ、前の教育基本法がいいとしても、教育の現実はよいとは言えない現実だったのだから、大事なのは、「現場」だということです。

2007年あけまして

あけましておめでとうございます!!

去年はカナダ滞在中の最後から年末まであまり更新ができませんでした。
なんかブログの更新よりもやらなきゃいかんと思うことが多くて、
もちろん、このブログを大切に思っていないわけではありませんが、
時々これはなんのためにやっているのだろうか、と思うことも多くあり、
またブログに関わってショックなこともあって、
なかなか更新できないでいました。

それは、匿名という問題と、現実世界とブログ世界との関わり、という問題です。

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