« 2006年3月 | トップページ | 2006年5月 »

2006年4月

ハラスメント

今日(もというべきか)学生とハラスメントについて話した。

もちろん、男からのハラスメントについてだ。

(この文章は常体で書いている。そうでないととても書けないからだ)

彼女からは、自分が経験したハラスメントについて何度も聞いている。

(私は異性へのハラスメントをセクシャルハラスメントと呼ぶのはおかしいと思っている。日本語のセクシャルには、別のニュアンスがあるからだ。だから案の定、セクシャルハラスメントは、セクハラと省略され、揶揄の対象となってしまった。異性へのハラスメントは、日本語の「セクシャル」ではとてもくくりきれない、恐怖が存在している)


私は、彼女から、そして多くの女性から、ハラスメントのことについて何度も聞いてきた。

・信頼していた上司にある日急に抱きつかれ、抵抗できないでいると、「感じたのだろう」という言葉を投げつけられた女性
・芝居を教えられた先輩に、本番が終わった打ち上げで襲われ、二度と芝居をしなくなった女性
・慕っていた教師に執拗にハラスメント受け、絶望して卒業していった女性

果ては
・幼稚園の時、公園でいたずらされ、その相手が入学した学校の教師だった女性

あげれば、きりがない。

私は、はっきりいうが、セックスは大好きだし、女性のヌードもとてもきれいだと思う。

だけど、ハラスメントは、全く違う。セックスとは(日本語の意味での)全く違う。

何の関係もない、ものだ。


ハラスメントをセックスと結びつけるのは、万引きをショッピングだ、といいはるようなものだ。

誘拐を、デートというようなものだ。 詐欺を商売というようなものだ。

一瞬似ているようで、全く非なるものである。

なんでこうなるのか。なんで男の中に、このようなやつがいるのか。


そういう男たちによって、日本のセックスはどんどんやせたものになっていく。

力わざのものになっていく。幸せをうまないものになっていく。


もう一度言う。なんでこうなるのか。なんで、男の中に、このようなやつがいるのか。


無抵抗の女性の中に潜む、恐怖と後悔と私が悪いんだという自罰の思いとを、男はどれだけ知っているだろうか。


おまえは知っているのか、と言われるかもしれない。


私は、知っている。少なくとも、そのような言葉を投げつけるような心の持ち主が行っているセックスよりよほど幸せな行為を行っている私は、その人より、知っている。


心のないセックスが、どんなに、つらく、みじめで、砂をかむような、ものか。

男は、一度男に襲われたらいい。何も抵抗できない状況の中で、男に襲われ、愛撫され、犯されてもみればいい。

その方が感じる、とかほざく、自称Mの男は、本当にやられてみたらいい。

ハラスメントは、SMのような「信頼が基盤にあるゲーム」とは、全く正反対の行為であることを

思い知るだろう。

ハラスメントは、犯罪である。それは、多くの場合女性の体と心を、ほとんど永遠に渡って傷つけ続ける、トラウマウィルスを焼き付ける、犯罪である。

教育は、ハラスメントに立ち向かわなければならない。

コミュニケーションの素地

カナダに行くために提出した書類に書いた文章の一部です。

数多くの授業を観察・分析することを通して浮かび上がってきたのは、学習者のコミュニケーション能力を育てるためには、教師が優れたコミュニケーション技能を持つこと以上に、コミュニケーションの素地を持っていることが重要である、ということであった。

  ここでいうコミュニケーションの素地とは、相手と関係を作り言葉を交わし何らかの共同性を構築しようとする心の態度ということができる。このコミュニケーションの素地を、私たちは、授業の分析を通して、<身体性><協同性><相互作用性>という軸でとらえた。これらの性質を持った教師が学習者に関わることによって、学習者のコミュニケーション能力が育つことを、私たちは実践の分析を通して明らかにしたのである。

  私たちは研究の次のステップの一つとして、教員養成において、教師になろうとする学生たちのコミュニケーションの素地をどのようにして耕していくかという問題に取り組むことになった。日本の優れた教師がどのように育てられてきたかということを調査するとともに、諸外国ではどのように教員養成が行われているか、その実質を知り、そこに普遍的なものを発見することができると考えた。そこで選ばれたのがカナダ、その中でもオンタリオ州・トロント大学での取組みである。

  カナダは周知のように、PISAのような国際調査で常に世界上位の成績を収めている。その中でもオンタリオ州はトップクラスの成績をとっており、そのオンタリオ州の教員養成の中心がトロント大学(とりわけトロント大学教育大学院(OISE)である。

  トロント大学教育大学院(OISE)では、教員養成のプログラムとして(学部卒業が前提)1年コースと2年コースを持っており、両者とも長期の教育実習体制をとっている。また、2年コースでは教職修士号と教育修士号を与える二つのコースを持っている。これら多様なコースの特性を生かしつつ、優秀な人材を教育界に送り出している。

  また、OISEの附属小学校(ICS)は多くの研究者・実践者が訪れる実験校であるが、科研のメンバーの教員が所属する大学の学生がここで海外実習するなど、日本との交流が深い。さらに、OISEの教授で教員養成にも関わるミラー教授(ホリスティック教育)は、毎年日本を訪れ研究交流を行っている。

  私は平成16年、17年とICSを訪れ、授業観察をし、また、教員や実習生にインタビューを行った。また、OISEで教員養成に携わる、ミラー教授やベック教授(リテラシー教育)にもインタビューを行った。その結果、OISEやICSでは、大変優れた教育や教員養成教育を行っていると確信した。また、17年滞在中、ICSのミラー校長には、本取組みのテーマによる研究を共同で行うことに対して内諾を得ることができた。

 私は本取組みにおいて、OISEおよびICSの実践している教員養成システムのハード面、ソフト面および教育実習生に対する特色ある優れた受入体制などについて、約3ヶ月間にわたって訪問し、現場で観察する中で実習生が附属教員や大学教員と関わりながら、どのようにしてコミュニケーションの素地を耕されていっているかを詳細に調査・分析したいと考えている。


ということで、私は、カナダにまで行って、「りんしょう」をしようとしているのです。


これは、国際的にしんどい、ことかもしれません(笑)。


でも、確実に言えることは、外国を見ることは、確実に、突き当たりをブレークスルーする、ということです。

もちろん、海外にどのように行くか、ということが大きいと思いますが。


最近になって、長男がカンボジアに1年行き子どもたちを助けるボランティアをしていることの偉大さに気づきました。

我が子ながら、尊敬しています。


そうそう、今日は夜組合の会議だったのです。私は組合の書記長ですが、組合の委員長はとてもさばけたかっこいい農学系の教授なのですが、この人が未来のノーベル賞候補ということを聞きとてもびっくりしました。
もちろんすごい人だなあとは思っていたのですが、研究でもそんなにすごいとは・・・


研究もすばらしいし、教育者としてもすばらしい。そして組合活動では見事に組合をまとめてくださる。
すごい先生です。HPに行ってみてください。こちら


佐藤先生、こんなもんでいかがですか? アメリカ土産よろしく!!!


りんしょうって難しいなあ

“臨床的”と言われる方法で(ものごとが起こっているありさまを遠くから眺めて頭の中だけで理屈で考えるのではなく、ものごとが起こっている現場にできるだけ近づき、入り込み、そこで起こっていることがらを丁寧に観察したり問題解決に具体的に関わったりしながら考えていく方法で)

近藤邦夫さんの言葉です。

読んでいた本の中に出てきました。


臨床 とは

ものごとが起こっているありさまを遠くから眺めて頭の中だけで理屈で考えるのではなく、ものごとが起こっている現場にできるだけ近づき、入り込み、そこで起こっていることがらを丁寧に観察したり問題解決に具体的に関わったりしながら考えていく方法


だそうです。


なるほど、と 思います。


こうしたことをしていきたい、と心底思います。


ただし、ここには「返り討ち」の現象が書かれていません。

入り込んだ「臨床者」が、
現場に打ちのめされ、敗北し、無惨に撤退すること
問題は解決しても、ただ一人の人を犠牲にし恨まれること

そして。

何年も経って、解決なんかなんにもしなかったことに気づくこと


そういう「返り討ち」のことがここにはありません。

もちろん、わかっていて書かれていないのでしょう。


でも。


ちゃんと書きましょう、最後まで。


臨床 とは

ものごとが起こっているありさまを遠くから眺めて頭の中だけで理屈で考えるのではなく、ものごとが起こっている現場にできるだけ近づき、入り込み、そこで起こっていることがらを丁寧に観察したり問題解決に具体的に関わったりしながら考えていき 時には問題が解決することもあり、時には問題そのものが明らかになることだけに貢献し、時にはいかなる問題解決にもつながらず空しく引き上げるかもしれない、その点で「非臨床的」なアプローチの方がよほど傷つかずにすんだと思ってしまうかもしれない、方法。

教育なんてしなきゃよかった、と思う夜も、ありました。


文章のような音声

浪速のマッケンローさんから次々にコメントをいただきながら
うまく返していませんでした。

>無理に闇を探す必要はない

そうですね。たぶん、あまりにうまく新しいところで仕事が始められたので
不安になっただけだと思います。

いつも新しいところでは肩肘を張っていたのが、今回はそうしなくていいのが
なんか、年をとったというか、なんというか・・です(笑)


>会話で語尾を強くする部分は、文章で言うとどこに当たるのでしょうか?


西尾実という学者は、音声で使われる強調や音調は、文章では「文体」にあたる、と言っています。
なるほどと思います。

語尾を強く発する変わりに、例えば、古文なら、「係り結び」があったのでしょう。
(何しろ文の終わりの活用形が変わるのですから)

現代文ならさまざまな終助詞かもしれませんね。他にもいろいろあるでしょう。

文章を読むときに読む人の頭の中でどんな音声になるかを考えて、書く人は文章を作っていくと
音の様子が、文章に表れると思います。

最近、音声がまるで文章のような人に出会うことが多くなりました。

原稿を読んでいるみたいな人

音声の裏に広がる意味の世界の奥行きが狭い人

自分の思いや感情をできるだけ出さないでおこうとして話す人


みんな、文章みたいな音声です。


だけど。


私たちの頭は、そんな「文章みたいな音声」にちゃんと「向こう」を感じてしまうようにできているのです。

自分の思いや感情をできるだけ出さないでおこうとして話せば話すほど、聞く人には強烈なその人の「思い」を感じてしまうのです。


でも相手は「感情を出していない」という体で話しているので、「あなたはこんな感情でしょ?」とは返すことができない。

すごくその人の感情を感じているのに。その人の感情を受け止めたとその人に示すことができない。


その人の思惑は、とりあえず成功したわけです。


でも。その人は、本当に感情を出したくなかったのでしょうか。
受け止めてもらうことに絶望し続けただけなのではないでしょうか。


その人の思惑は、とりあえず成功した。でも、それは、本当の成功ではない。


その人の感情を受け止めた人は、受け止めた感情のもって行き場に困ってしまいます。

本当は返したい。返した方が、その人が本当に望んでいることのはずだ、ということも感じられる。

でも、できない。


こうして、発せられた文章のような音声の言葉が聞いた人の中に生み出した「感情」は、

お互いの心の中に、冷たく沈んでいくのです。

どんな音声でも、私たちはそこにその人の感情を感じることができる。

そのことを思い出したいと思います。

今夜からふふふ

今夜から、教え子の卒業生が(変な日本語?)がうちに泊まります。

三日ぐらいいるのかしら。

お嬢さんです。

空いている長男の部屋に、泊まります。

この人、最近まで私の研究室に泊まったりしていました。


まあ、ちょっと薹の立つ家出かしら(笑)

4月も後半なのに、まだ寒く。

それでも、草花は育っています。

うまく育ってくれるといいのですが・・・

あそうそう、先日名古屋に行った帰りに、京都で教え子の卒業生の
展覧会を見に行ったのですが、一緒に行ったのが、昔一緒に芝居をやり
今は滋賀で芝居をしている なつみかん さん。

なつみかんさんの写真がうもれていたのが見つかりました。

まあ、見てやってください。


060331_135301

かわいいでしょ!

滋賀で芝居をやるときは見に行ってください!

さて、今夜のお客。

男の子ばかりのうちで、どう対応したものか・・・・

なんか、どきどき。

そうそう、前に留学生のお嬢さんが泊まったとき以来です。

娘の父親って・・・とこんなとき思うのであります

火の出るような言葉

昨日 4月22日に東京に出て 教科書の編修の仕事をしました。

まだ教科書改訂には間があるのですが、準備という段階の仕事です。

今度の教科書改訂には、学習指導要領の改訂、さらには、教育基本法の改悪などがからんで

戦後の改訂の中ではかなり大きな出来事になるでしょう。

自分がその流れの中でどのように行動するか、じっくり考えていきたいと思います。

さて、その東京の仕事の行く途中の品川駅の高輪口で、その言葉を聞きました。


あしなが募金を呼びかける声です。

あしなが募金は、交通事故遺児・災害遺児・病気遺児などさまざまな遺児の進学と心の支援を助けるためのものです。

今、第72回あしなが学生募金が行われているのです。

品川駅の呼びかけの声は、男の子の声でした。

それまでの女の子の声は、訴えてはいるのですが、なかなか届かない声でした。

彼の声は、ただ大きいだけでなく、心に届きました。


教科書会社に行く足を止めて、私は彼の声を聞いていました。


彼は、遺児たちが、どんどん進行していく格差社会の中で、どんなに大変な状況にあるかを、

語っていきます。

考えながら、詰まりながら、でも声の大きさは変えず

語尾をはっきりと

語っていました。

そう、語尾をはっきりと。


私は、声を人に届かせるためには、語尾をはっきりとするべきだと 思うようになっています。

全ての声をはっきりという のでは ありません。

もちろん 最初から最後まで弱くでもなく

そして 声を出すときに多くの日本人が陥りがちな「語尾だけが弱く」でもありません。

語尾が強いこと。

それは、本当思っていることを語っていないと 起こらないのではないか とも考えています。


本当に思っていることを語っていないと

語尾が急に弱くなります。

あるいは

最初から最後まで強くしゃべる(いわゆる劇場調)ようになってしまいます。

(無理して話そうとすると 語尾直前の述語だけが強くなってしまいます。試してみてください)


本当に思っていることを語っているから、彼の声は少なくとも私の心に響きました。


私が中学1年の時、父親が出奔しました。それから私の母との二人暮らしが続きました。

父の居場所が分かるまでの2年間 私の家の収入は母のパートの稼ぎだけでした。

今から35年前 仕事はありましたが 私学に行っていた私の学費と生活費を捻出するのは大変でした。

生活保護のことに詳しくなったのもこのころです。もちろん一時期は受給されていました。


私学の制服を着て、役所の生活保護担当者のところに行ってお金をもらうときの その 恥ずかしさと情けなさは 今でも忘れられません。

大黒柱を失うこととはどういうことか、私も身をもって知っています。


こんな私だから、彼の声はことさら響いたのかもしれません。


けれど、それだけではないはずです。彼の声は、私の記憶を呼び起こす力を持っていました。

他の人の呼びかけの声では、そこまで思い出さなかったと思います。


今でも耳に彼の声が響きます。

助け合って生きていくために 社会 というものが 政府 というものが できたはずです。

しかし その反対のことを 社会 や 政府 が しているとしたら

虐げられたものは 声をあげなくてはいけません。

そのためにも 普通教育における 国語教育は 声を育てなくてはいけないと思います。

いつか 本当に 声をあげなくてはいけないときに 声をあげられるように

力 を つけなくてはいけないと思うのです。


本当に思ったことを語ること

語尾を強くすること

彼の声に促されるように

私が見ている わずかな時間の間に 募金がどんどんされていました。

あるおじさんは 三つあった全ての箱に 1000円ずつ入れていました。

あしなが学生募金4/22(土)・23(日)・29(土)・30(日)全国約250カ所で行われています。

カナダが決まっても

全く実感がありません。日々の仕事と生活に追われています。

でも確実に時間が過ぎるわけで、少しずつあせりも出始めています。


新しい仕事場はとても居心地が良くて、「ほんとうかな」と思うぐらい

気持ちよく仕事をしています。

これが、なんとなく、こわい。

あとで反動が来そうで・・・

まわりがとてもいい人ばかりだと、なんか気が抜けてしまうんですよね。

贅沢な話ですが、

私の場合、「なにくそおおおお」という気概で生きてきたので、

この「なんともいえない、あたたかい雰囲気」は、


「ほんまかいな」と疑ってしまう、悲しい性分で・・・・

暖かさにはかならず「冷たさ」が陰にはあるわけで

(温度はエネルギーだから、どこかが暖かければどこかの熱を奪っているはず)

見えない「冷たさ」のありかを、かってに探し始めています。

まあ、「暖かさ」に慣れるには、だいぶん時間がかかるでしょうね。


変だねえ、なじんでいるのに、慣れるまでに時間がかかるなんて・・・・

場所になれるのではなく、その場所に慣れた自分に慣れる、みたいな感じかな・・・

もう少し、こんな「変な感じ」を楽しんでみます!!


8月からカナダ!!

そうなんですよ!!

8月から3ヶ月カナダに行くことになりました!!

ああああ、英語、どうしよう・・・・・


秘書を新たに募集します。

英語が堪能な方。

8月から3ヶ月カナダに一緒に行ってくれる方。

旅費など自己負担ができる方。

募集します!!


たしかに、mjさんがいうように前にカナダに行ったときのビデオは教材になるかもしれませんが、

なにしろ何を言っているのかわからない。

もう少し腕を(耳を?)あげてからにします!!

さて、後期の授業、どうしよう・・・・

大学の先生になるって・・

今日はポッドキャストだ!ここをクリックしてね

夜の時間割

大学では、だいたい今週から授業が始まるのではないでしょうか。

最初の週は様子をお互いに見る、みたいな感じで、教員も学生も手探りですね。

それがなんとなくはがゆくもあり、おもしろくもあり。


特に大学院の授業は研究室でやることが多く、密室なのでそのなんともいえないぎこちなさが

「せなかがかゆく」なる感じで、新学期らしいです。

そんなフレッシュな学生さんを見ていると、なんだか自分も新しく一歩踏み出したくなりますね。

それで、私は仕事についてはじめてといっていいくらいのことですが、

なんと、自分の仕事と勉強の時間割を作りました!!


私は教員ですから授業の時間割があります。そのほかに会議やら組合の仕事やらで

決まり切った時間の拘束があるのです。

そうなると、それ以外のいわゆる「研究時間」は、だらたらになってしまい、結局雑務やら

たまった仕事を片づけることに追われてしまいます。

これではいかん!! と なんと47歳にして思ったわけです(遅いちゅうの!)

で、仕事が終わった5時半から自分は何をするべきか、考えて、一週間の時間割を作ってみました。

例えば、火曜の9時から40分間は英語の聞き取りの勉強をする、みたいな感じです。

もちろんどこまで続くか分かりませんが、この2年間がちょっとだらだら過ごしたとすごく反省しているので、この「夜の時間割」で当面はがんばってみようと思います。

ところで、この「夜の時間割」を作った効果は絶大でした。

というのも、自分が当面何をしたいのか、また、これからの未来になにをしたいのか、自分で考えることができたからです。


へへへ、「夜の時間割」と聞いて、エッチなことを想像した人、ごめんなさいね。

そっちの「時間割」は書かなくても、体の中に内蔵されていますから・・・・(笑)


まあ、お酒を飲まない私にとっての句読点は、「あれ」ですから、許してください!!


マッケンロー様、ももじ様、ペペロンチーノに反応してくれてありがとう。

お二人に食べさせたいわあああ。

いやあ、料理ってほんとにいいですね。たまに作ると。(これっ!)


うどんのペペロンチーノ

今日は家で昼食を作りました。

仕事がたてこんでいて、自宅で集中して仕事をしていたから。

11時50分になって、パントリーを覗いてみると、

なんと、パスタがない!!

週に一度はパスタを作って食べたい私にとっては、致命傷・・

冷蔵庫の冷凍部門を見てみると、あった!

冷凍おうどんが!!!


というわけで、最近凝っているペペロンチーノをうどんでやってみることにしました。


テレビで見た、「ペペロンチーノは乳化」ということがとてもとても心に残っています。

確か、はなまる。


オリーブオイルがべたついてパスタがべちゃべちゃになったいたのが、全く解消されます。

オリーブオイルとパスタのゆで汁をまぜて乳化させる(水と油を混ぜ合わせる)ことがポイントなんだそうです。

これは、ほんとうに目から鱗、でした。

このことを知ってから、4週間続けてペペロンチーノを作っています。

そして、本日はうどんで作ったというわけ。

冷凍うどんをゆでている間に、ソース?を作ります。

これは典型的なペペロンチーノの作り方でいいわけですが。台湾土産の、唐辛子の酢漬けを刻んで入れます。

フライパンにオリーブオイルとにんにくをつぶしたもの、さらに、唐辛子の酢漬けを入れ、弱火して、じっくりにんにくの風味と唐辛子の辛みをオリーブオイルにしみこませます。

次に、パスタのゆで汁を足して、ここで乳化させます。液がとろとろになるまでかきまぜるのです。

そこにゆであがったうどんをほうりこみ、刻んでおいたブロッコリーと、これまた台湾土産の唐墨のきざんだのをいれ、手早く混ぜます。

さて本日はうどんなので、ここですこし「白だし」を入れ和風に味付けます。

さらに、風味付けにしょうゆを垂らします。

さあ、できあがりました。お皿に盛りつけて、残しておいた唐墨の刻んだのをふりかけ、ついでに胡椒をぱっぱっ。


ああ、なんとおいしそうなんでしょう!!!


あっと、いう間に、おなかの中にはいってしまいました。

ただ・・・・・

うどんのペペロンチーノは、ちょっともちもちしていました・・・・・

今日のゼミでね

今日は4年生の新ゼミ。

おとといは大学院の新ゼミで、なかなか大変だったですが(人数が多いので)

4年生はこじんまりと、でも、なかなかエキサイティングな 研究をみなさんやっています。

生涯にわたって学習(勉強?)しつづけたくなるようにするための学校教育のありかた
自分を楽に表現できるようにするための模索
子どもの活動に的確に「コメント」できるようにするための実践的考察
中学高校で「論文」をしっかり書くための実践

これにつけくわえて、
ひきこもり寸前の若者へのアプローチ
高校演劇と大人の演劇との差異の研究
言語障害感とどのようにかかわっていくか

こんなラインナップでそれぞれが研究をすすめています。

これは、かなり、おもしろい。

ただ残念ながら、私の所属が変わってしまったため、今の私はこの学生たちの陰の指導者となっているのが、ちょっぴり淋しいです。

でも、そんなことをふきとばしてくれるほどの、パワーと繊細さがあります。

さあ、新しい講座の3年生はどんな研究をしてくれるでしょうか。

なんか合同でやれたらおもしろいな、などとも思っています。

こんなふうに書いていくと、私は、「引っ越し人生」「さまようエトランゼ」が大好きなんだなあとつくづく思います。

日本という国とは、ちょっと相容れないのかもね。


ところで、秘書に応募してくれた方は、まだ誰もいません。

ずっとずっと待っていますから、私こそはと思われる方はぜひ!!

秘書募集!

秘書募集!!

時給 500円〜1000円(その人による)
一日 4時間程度
週に何日でも

仕事内容 部屋の整理、スケジュールの整理、文書書き、授業準備の手伝い など多岐にわたる

資格・前歴 特に必要なし

望むこと 気が利くことはもちろん、気が利きすぎないこと

もう一つ望むこと 私の考えていることが実現できるスキルと度胸と意欲があること

さらに望むこと 他の人と話すとき、ちゃんと目をみながらしかもにらまないで話せること

以上の条件にかなう方は、コメント下さい。

web面接をさせていただきます。

私個人で、私個人を動かすことは、もはや不可能です・・・・・・

さあさあさあ新年度だ!!

こっちも聞いてね

おらおらおらおら新年度だ!

こらこらこらこら新年度だ!

ほいほいほいほい新年度だ!

ふわふわふわふわ新年だ!

あ、違った、新年度だ!

あああああああ、新しい年度。新しい研究室。新しい学生。新しい先生。新しい所属。

でも、同じ大学(笑)。

そんな感じで、始まりまする。


わたくし、難波博孝は。本年度より、広島大学の中で異動し、研究室もC612に移ります。

もし、広島駅にお越しの節は、ぜひ訪問することを考え直してください。

なぜなら、広島駅からは、たぶん、1時間以上かかりますから。

広島大学は、東広島市にあります。

でも、広島空港にお越しの節は、よってもいいかもしれません。

広島空港からは車で30分だから近いっちゃ近いがね。

ただ、直通の公共交通機関はないからねえ・・


まあ、とにかく、私の部屋に行きたいと思ってきてね、


ほんでまあ、ブログも内容を変えるがね。

分裂した私を、分裂したまま、分裂したそれぞれの自分にキャラネームを


つけず


そう、つけずに


行こうと思うのさ。


なんのこっちゃ??


今までもそうだけど、わしのコンセプトはたぶん、こう。

(1)私は分裂している

(2)私が分裂していることを私は知っている

(3)分裂している「私s」は、それぞれ性格や行動パターンが違う

(4)もしかして「私s」それぞれが語る人生も違うかもしれない

(5)「私s」のそれぞれに名前をつけたらとっても楽だろうなとおもうけど

(6)つけない

(7)「私s」は、難波博孝であり、それ以外ではない。

(8)で、淋迫真という芸名についての処理は、考慮中


こんな感じですが、この流れを4月からは、より強力に、よりはっきりと打ち出していきたいと思っています。

なんかココログおかしくないですか?

4月に入っていろいろ更新しようと思ったのですが、どうもココログの調子がおかしいようで

アクセスは以上に少ない(5とか???)し、リンクもおかしい。

いつもごらんになっている方々、いかがですか?

« 2006年3月 | トップページ | 2006年5月 »