ハラスメント
今日(もというべきか)学生とハラスメントについて話した。
もちろん、男からのハラスメントについてだ。
(この文章は常体で書いている。そうでないととても書けないからだ)
彼女からは、自分が経験したハラスメントについて何度も聞いている。
(私は異性へのハラスメントをセクシャルハラスメントと呼ぶのはおかしいと思っている。日本語のセクシャルには、別のニュアンスがあるからだ。だから案の定、セクシャルハラスメントは、セクハラと省略され、揶揄の対象となってしまった。異性へのハラスメントは、日本語の「セクシャル」ではとてもくくりきれない、恐怖が存在している)
私は、彼女から、そして多くの女性から、ハラスメントのことについて何度も聞いてきた。
・信頼していた上司にある日急に抱きつかれ、抵抗できないでいると、「感じたのだろう」という言葉を投げつけられた女性
・芝居を教えられた先輩に、本番が終わった打ち上げで襲われ、二度と芝居をしなくなった女性
・慕っていた教師に執拗にハラスメント受け、絶望して卒業していった女性
果ては
・幼稚園の時、公園でいたずらされ、その相手が入学した学校の教師だった女性
あげれば、きりがない。
私は、はっきりいうが、セックスは大好きだし、女性のヌードもとてもきれいだと思う。
だけど、ハラスメントは、全く違う。セックスとは(日本語の意味での)全く違う。
何の関係もない、ものだ。
ハラスメントをセックスと結びつけるのは、万引きをショッピングだ、といいはるようなものだ。
誘拐を、デートというようなものだ。 詐欺を商売というようなものだ。
一瞬似ているようで、全く非なるものである。
なんでこうなるのか。なんで男の中に、このようなやつがいるのか。
そういう男たちによって、日本のセックスはどんどんやせたものになっていく。
力わざのものになっていく。幸せをうまないものになっていく。
もう一度言う。なんでこうなるのか。なんで、男の中に、このようなやつがいるのか。
無抵抗の女性の中に潜む、恐怖と後悔と私が悪いんだという自罰の思いとを、男はどれだけ知っているだろうか。
おまえは知っているのか、と言われるかもしれない。
私は、知っている。少なくとも、そのような言葉を投げつけるような心の持ち主が行っているセックスよりよほど幸せな行為を行っている私は、その人より、知っている。
心のないセックスが、どんなに、つらく、みじめで、砂をかむような、ものか。
男は、一度男に襲われたらいい。何も抵抗できない状況の中で、男に襲われ、愛撫され、犯されてもみればいい。
その方が感じる、とかほざく、自称Mの男は、本当にやられてみたらいい。
ハラスメントは、SMのような「信頼が基盤にあるゲーム」とは、全く正反対の行為であることを
思い知るだろう。
ハラスメントは、犯罪である。それは、多くの場合女性の体と心を、ほとんど永遠に渡って傷つけ続ける、トラウマウィルスを焼き付ける、犯罪である。
教育は、ハラスメントに立ち向かわなければならない。
最近のコメント