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ブログやってて、はじめて相手意識が生まれました。


ポッドキャストを始めて

いろんな感想をもらって

特に声について

落ち着いているという「声」と

暗い淋しいという「声」と


全く両極端の「声」


というか


同じ特徴の声についての


両極端の評価の「声」

私がブログを書き、それを読んでいた人たちの


多様性


に、気づかされました。


今私のブログには200から250のアクセスがあります。


その一つ一つのアクセスの、その多様性に


なんか


恐ろしく


おののいている

そんな感じです。

ポッドキャストという、実音声を使わなければ


決して気づかなかったことでした。


ということは、


多くの、音声なしでやっているブログやHPや掲示板などでは

その多様な相手が向こうにいるという意識は、送り手にはないのかもしれませんね。

ただ「書いている」だけでは、相手が、やっぱり見えていないのでしょう。

たとえコメントやら返事やらがあっても、それは、実音声に対してのコメントではないのです。

ポッドキャストによる、私の実音声が、読んでいた(聞いている)みなさんのなにかに働きかけて

私への、表面的には私の声への、評価を生み出したのでしょう。みなさん自身が生み出す個性的な評価を。

そしてみなさんが生み出す個性的な評価の「声」により、私はみなさんの「多様性」に気づかされたというわけです。


やはり、ポッドキャストはすごい。

HPの送り手に対し、リアルな相手意識を思い知らされる力があるのですから(受け手のリアクションを強く生み出すという点において)。


声は


力ですね。


クララさん、おちょう婦人さん、こんなことを私は考えてみました。


あ、そうそう、教え子のおふたりさん、いつもありがとう。


出会いは偶然かもしれないが、実は求めていたかもしれない。
求めていてそれを意識的か無意識的かわからないが、だれかなにかが、その人が求めている「声」を
聞き届ける。聞き届けただれかなにかと、その人が「出会う」。あたかも偶然のように。

それは、偶然のようで必然のようで・・・・

そうなのかもしれません。


あ、また「声」!!


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