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2005年10月

おひさしぶりいねえ

ローマ字攻撃やら、放置なんとかやら

とにかく最近は、このブログにご無沙汰でした。

もうしわけございませぬ。


カナダトロントから帰ってきてから、ほんとううううううに

忙しかったああああああ。(いまも)


でも、ようやく峠を越えたので、ちょこっとだけ書きました。


ここまでのふりかえりは、明日の朝、書きますね。

あ、そうそう、「国語科解体/再構築」なかなかの評判です。

あちこちで、取り上げて頂くようになりました。

最新号できましたよ!!!

あと、いろんな人の今までのコメントについても、あしたね!

sugoi hann'nou

mae no burogu heno hann'nou ha sugoi mono desita.

ima madeni nai gurai no kazu no komennto ga kaette kimasita.

totemo uresii.

dakedo komennto ga roomaji de kaitearu to yominikui,

souka, sikata ga naina, toha omou monono

hajimeta ijou sukosi tuduke naito to omou no desu,

danndann kono burogu wo miru hito ga heru nodeha to omouto

sukosi kyouhu desu ga........


sate sate kinou ha Oosaka no syougakkou no kounai kennsyuukai ni ikimasita,

hisasiburi ni kotekote no kannsai no kaori wo tanosinnde kita nodeha arimasu ga

igaito minasann ga otonasiku, mata kodomotati mo iikotyan datta node odoroki masita,

sono nakade sinnninn no sennsei no jugyou wo mita nodesu ga ,

kore ga totemo yokatta,

kiritto sita tyotto me no surudoi demo dokoka houyou ryoku mo aru oneesann sennsei.

nakanaka kakko yokatta desu(jitu ha sukosi konomi no okao desita, hahahaha watasi kitume no kao daisuki !)

koutyou sennsei ga koremata omosiroi,

kannzenn ni Oosaka no obatyan. sikamo, kyoutou sennsei ha Oosaka no toboketa ottyann !!

kono taihi ga marude manzai .

tanosi souna gakkou desita,

demo.

kennkyuu ha sadamatte orazu, korekara desu,

houkou ga kimareba , bakuhatu suru yokann ari !

minasann gannbatte kudasai ne !

soreni sitemo yomu noga tukaretak kasira ?

jikai kara ha kanji majiri de kakou kasira.

konnna huuni.

次no burogu ha 漢字majiri de 書kou kasira .

uumu nannka omoroi , nannka tigau kuni no kotoba mitai !!

toriaezu

iroiro tamesitai node , mae nimo kaita youni ,korekara roomaji de "gekiteki" wo kaitemiyou to omoimasu.

yominikui desu ka (warai).

kinou ha "Inhoku-syougakkou" ni ikimasita.

jugyou no teema ha "bunngaku"

"bunngaku" no jugyou wo dokusyo to tunaide, mata "katudou-mokuhyou" wo
tatete jugyou wo siteimasita.

"katudou-mokuhyou" to iuno ha "kodomotati ga sore ni mukatte iku tame no gooru" to
iukoto desu. ippou "gakusyuu-mokuhyou" ha juurai no gakuryoku ya ginou no nokuhyou to narimasu.

tatoeba 6-nennsei deha "Miyazawa Kenji -haku wo hirakou" to iu "katudou-mokuhyou" wo tate
sore ni mukatte kodomotati ha gakusyuu-katudou wo sitei ikimasu.

sono katei de kodomotati ha "Kenji"sakuhinn wo takusann yondari, arasuji ya ikenn wo matometari site,yomu^tikara kaku-tikara wo tutikatte itta nodesu.

kanari kanari omosirokatta desu.

kokono koutyou mo totemo yuniiku na kata de, "ninnkyou "kankei no "anesan"mitaina dyakki to site ite "tubekobe iwazu ni yattimai na" mitaina koto wo ittyau katadesu.
totemo kimoti ga auno nodesu ga, sennsei ha taihen desyou ne(warai).

kono kennkyuukai de, watasi ha kouen mo simasita.
"hon to yomu "art"" toiu dai de hanasimasita.

saikin dokusyo ni tuite tyanto hanasitai to omotteita node yokatta desu.

naiyou wo matomeruto daitai konnna kannji,

(1)kannsou-bunn ha narubeku saisyo ha yamete, "osusume" wo kakou.
(2)"osusume" wo kaitara tikaku no hito to koukann siyou. korede "kokoro no niji "ga kakaru
(3)honn ha saigo made yomanai de iinnda yo.
(4)honn-ya ni ikou. honn-ya ni itte honn wo saigo made yomanai de, honn wo erabu gijutu wo mini tuke you.

mitaina koto wo hanasi masita.

konna koto site, ie ni kaettara, "Meiji-tosyo" kara gennkou no irai ga kiteita no desu ga, sono teema ga "dokusyo" datta node ,"aa souiu koto nannda" to ,hitori de nattoku simasita.

kyou kara tuma ni jikka de, "houji" desu. asita made kaeri asatte ha sono mama Oosaka ni ikimasu.
Oosaka no syou-gakkou no kennkyuukai de koremata bunngaku no jugyou wo mite kimasu,

aa kageki na kotowo iwanaide ikanaku tya!!!!!


せんそうする、にほんは、きもちがいい

10月6日にトロントを発ち、7日16時前に成田に到着。その日の夜に広島に帰ってきました。

翌日はのんびりし、9日はまた東京に行って、教科書編修(教科書のへんしゅうは、編修と書きます。どうしてかわかります?元の文章に手を入れるからです。このことは最近の私の研究の関心のひとつです)がいよいよ始まります。

今度の指導要領の改訂は何が起こるか分かりません。怖いです。
あれだけ自民党が議席をとってしまい、気分が「右〜」の国民の負託を受けてしまっているので
ほんとになにが起こるか怖いです。

あちこちで、言論統制が進んでいます。

あの「のだせいこ」さんも、とうとう「こいずみそうとう」にひれ伏しましたね。


閉塞感を突破するには、せんそう、が、一番です。


ゲリラは、苦しく、やっているほうは展望がないので開放感なんかまったくないでしょう。

でも、

権力者がおこなう、せんそうは、気持ちがいいものです。


まさか、まさか、だいじょうぶでしょう、といいながら、

私たちの親やその親やその親は、せんそうに、かる〜いきもちで、荷担していったのですから。


せんそうは、きもちがいい。


へんに高揚した気分が、選挙後の日本にはありそうです。

民主党の元代表代行の藤井さんが、新聞に書いていました。

「よい戦争とわるい平和はないと思って政治家をやってきた。」と。


せんそうは、きもちがいい。


せんそうする、にほんは、きもちがいい。


わたしは、日本を相対化するために、日本語を相対化したい。そのために
まず、文字を相対化したらどうかと思います。


そう、これからローマ字でブログを書いてみようと思っています。


さあ、どうなることか!!!

涙がトロント

いよいよ最終日です。あと3時間で空港行きのタクシーが来る状況です。

実はきのう記事を書いていたのですが、なぜか消してしまっていました。
もう一度書け、ということなので、時間に追われながら書きます。

まずは、昨日のお話から。

朝いつものようにコンチネンタルブレックファストを食べ、ICSへ。

ICSではすでに授業が始まっていました。スペリングの勉強です。
前にやったテスト(この学校ではテストといわずにチェックといいます)
でできていなかった、過去形の特殊な作り方(後ろにアクセントがあるときは最後の子音を重ねてed)の勉強です。
今までICSの総合的ば学習の話が多かったので誤解されるかもしれませんが、国語や算数の授業はばっちりあります。しかもすべて教科書を使わずに教師の手作りの教材でやるのです。
この授業でも子どもがまちがえたところを例に出しながら、過去形の作り方の規則を確認していきます。わずか15分ほどですがこれがあるのとないのとでは大違いだと思います。

そのあとは、ニュース。
新聞をもってきて紹介し合う授業です。今日は、一人の子どもがもってきた記事でもりあがりました。
それは、最近のカナダ移民に仕事がなかなかない、というものでした。一通り子どもに紹介させて、リチャード先生はこう問いかけます。「みんなの祖先はどこからなんのために来たの?」そうすると子どもが次々と手を挙げます。ある子どもはスコットランドからある子どもはアイルランドから、それぞれ仕事を探しにやってきたことを話します。そのあとで先生は「ネイティブの人を除けば個々にいる人たちはみんな移民だ。みんなのような古い移民と新しい移民とどこがちがうのだろう」と投げかけます。先生のこの投げかけは答えを求めるものではありません。ただこの問いは子どもたちの中に深く入ったと思います。

リチャード先生は、日本の小学校の先生になってもじゅうぶんやっていけると思います。まず子どもへの反応のしかた(専門用語で「評価言」)が多様です。子どもの発言の内容に合わせて、「すばらしい、おもしろい、みんなの考えを喚起した、よくやった、・・」かならずこのような評価言がつき、また時にはその理由も述べます。また、子どもに「今私たちはこんな授業をやっているけれどこれはどんな意味があるのだろう」と問いかけます。今学習している意味をちゃんとわからせようとするのです。
そしてなにより先生は、子どもの方を見て話を聞きます。
こういうことは、教師の全てに重要です。

ニュースの後は算数です。今日は概数の授業でした。四捨五入のしかたを5年は教え、6年は復習のような感じでやっています。これも見事な授業でした。まず、「なんで概数なんか使うのだろう。正確ではないから意味がないんじゃない?」と問いかけ「概数を使うときはどんな場合だろうか」と子どもたちに聞いていきます。つまり、概数の生活上での意味を確認しているのです。その上で、どうやって概数を作るのかのやりかたを丁寧に丁寧にやっていきます。このところは、日本の先生も脱帽でしょう。挙げてくる数字は、子どもたちに言わせます。そうすると、おどけた子どもが「9999」なんていいます。これを10,100,1000の位での概数にするのですが、言った子どもが困るわけです。
それがおもしろい。先生は「これはおもしろいからまた今度やろうね」と残すわけです。そうすると休み時間になって、何人かの子どもが「わたしはこう思う」なんてことを先生や実習生に言いに来るわけです。そしたらそれをまた次の授業の導入に使うということになるのです。

教科書を丁寧に教えるのと、教科内容を丁寧に教えるのとは、違うということを、この算数の授業がはっきり示しているでしょう。

休み時間の後は、作文の時間です。今日は、導入の段落をどのように書くかの指導でした。まず、次のような意見「適切な支出を行うためには適切な収入がなければならない」を黒板に書きます。まずこの意見は何を言おうとしているのかを出し合います。ここが日本の作文にはないところだなあと思います。ある程度この意見が何を言おうとしているのかを自分なりに捉えられたら、先生は「この意見についての自分の意見を説得力がある文章で書こう」といいすかさず「説得力のある文章ってなんだろう」と投げかけます。子どもたちからいろいろ出していく中で根拠が大事だということになります。今度は「ではどこからの根拠なら説得力が増すのだろうか」と問いかけます。子どもたちは「自分の体験から、歴史的な事実から、現在の事実から、本から」の根拠だといっていきます。これをふまえて導入を書こうと言います。
さらに「導入の段落はどういうことが大事だろうか。そもそもなんで導入の段落がいるのだろうか」と問います。子どもたちは「次に何が書いてあるか明確にするため、読み手をひきつけるため」といいます。そこまでして先生は「では導入の段落を書くための準備として次のことをノートに書こう」と言います。

(1)上の意見そのものをまず書く
(2)上の意見を自分の言葉でいいなおす
(3)上の意見について自分が賛成か反対かをはっきりさせる
(4)自分の意見の根拠をどのような例のパターン(上の4つ)から出してくるかを書く

これは導入の段落を書くための準備です。日本の作文教育や一部の人がやっている言語技術教育では(2)や(4)の段階がありません。自分はどう考えるのか、その過程がとんでいるのです。こここそ学ばなければならないと思いました。

もりだくさんのICSの観察が終わりました。リチャード先生と校長先生においとまを告げて、お昼ごはんに行きました。

このお昼ご飯で嬉しかったことが3つ。
(1)ICSに観察に来ていたS大学の院生の人と一緒にご飯が行けたこと。この方はホリスティック教育を研究しているのですが、なんと私と同郷ではなしがはずみました!
(2)行ったのは前にも行ったイタリア料理屋でしたが、入るなり「usually teble!」といって案内してくれたのです。もう常連さん扱いでした。
(3)パスタがおいしかった!!前はパスタを頼まなかったのですが、今回は4つ頼んでみんな見事においしかったです。大盛りパスタに具だくさんスープ、パンがついて一人チップをいれて1500円とは安くない?

そのあと4人で宿に帰り、リチャード先生の授業のふりかえりをテープをみながらやりました。
ここで院生の方とはお別れして、いよいよ最後の晩餐。

いつものようにおばちゃん先生と美人ナースが今日はハンバーグをつくってくれていました。
少し小振りだけど、それがかわいくて、かつ、油っぽくなく、いくつでも食べられました。
ハンバーグと、アスパラガスとキャベツとトマトとなすび。そしてごはん。
心が、なごみます。

私はこの宿に来て思ったのは、ここに来る日本人はみんな関わりを作りたいのだなあということです。
日本でわずらわしいことがあったから簡単には関わりをつくりたくないけど、日本でわずらわしいことがあったからこそ関わりを作りたい。そんなうらはらな気持ちが、でもちょっと日本人の行動をわかりにくくしているかもしれません。

ただ、その姿は状況は違いますが、カナダ人と似てないこともないです。ただしカナダ人は、カナダにいることが絶対とはあまり思っていないところが違うかもしれません。(日本の学生でわたしは香港で小学校の先生をしたい、とはなかなか思わないでしょうね)

食事がおわり、おばちゃん先生は夜の街に出かけ、私たちは美人ナースと、大学や病院の内幕暴露大会をして盛り上がりました。

そして夜が来て、朝。

あと、2時間強で、空港に向かうタクシーが来ます。

今回の訪問は、ほんとうに人と人との信頼関係が大切なんだと強く思わされた旅でした。

そして、こちらが自分の思いをしっかりみつめてしっかり話せば、相手には通じるんだとも思ったのです。

ただしそのためには準備がいります。心と事実の準備が。

私たちは再びここに戻ってくるでしょう。

だけど、日本にも戻ります。

わたしのなかで、音を立てて歯車が回りました。
今年度は私の人生でひさしぶりに大きな出来事がありそうなのですが、その背中を押してくれたたびになりました。


I shall return !

心がトロント

また間が空いてしまいました。

とにかく忙しい。インタビューとそれのふりかえりだけで一日が終わっているという感じです。

では、トロント時間の昨日からの動きを、食べ物とともに。

10月3日

朝はいつものようにベーグルと食パンにクリームチーズとブルーベリージャムをのせて食べました。

そして、ICSへ。

その日の朝はICSで、教育実習生にインタビューしたのです。

その人は、教育実習2年目の院生でLisaさんといいます。

彼女に2年間実習のプログラムの内容をいろいろ聞きました。
彼女は1時間もさいてくれ私たちの質問に一つ一つ丁寧答えてくれました。

そのインタビューでだいたい2年実習のようすがだいたいわかってきました。

以前このHPで書いた教師教育プログラムは1年間のものでしたね。

今回インタビューした院生が属しているのは2年プログラムの教育部門です。

その2年間の予定は次のようになっています。

9月 教育プログラム開始。いきなり6週間の観察実習。空き時間は大学で講義(1コマ3時間の授業を週に三つ取る。ちなみに観察実習は1日実習が2日と半日実習が3日)
10月半ば 1週間だけ休みがあって 上の日程を再び繰り返す。
12月おわり〜1月はじめ クリスマス&正月休暇
1月はじめ〜2月 上の日程を三度繰り返す。
2月半ば 1週間休み
2月半ば〜4月はじめ 上の日程を4たび繰り返す。

つまり、1年生(といっても大学を卒業した人であることは以前書いたとおり)は24週間の観察実習があるのです!!そして観察実習しながら週に9時間の授業を受けるのです。

そして、こんなハードな時期の後は、なんと、4月はじめから8月おわりまでの5ヶ月弱は夏休み!!

この間に、夏の特別授業をオプションにとる学生もいれば、働く学生もいるそうです。なにしろ1年間で60万近く授業料がかかりますからね。

そして2年目。9月から4ヶ月の本格的な実習が始まります。今度は実際に授業をするのです。あとの4ヶ月を観察実習と大学の授業を受けることになります。

そして4月に全てが終わった後、学生たちは教育委員会に登録をし、空きが出た学校に自分で応募して就職していくのです。

すごいですね。こんなに自習があるとは。

ところが、このようなプログラムを取れるのは1年間でわずか40人しかありません。ほとんどの学生は前に紹介した1年プログラムで教員免許を取るのです。

こうしてみると、1年プログラムはあわただしいし表面的な感じがしてきますね。

カナダはいいなすごいな、と思ってリサーチをはじめましたが、だんだん、裏側が見えてきます。

先に紹介した1年プログラムではやはり教師の力量に問題がある場合もあり、採用もなかなかないんだそうです。

こんなプログラムを経験しているLisaさんですが、就職はなんと香港で考えているとのこと。彼女は香港の高校を卒業しており、日本にも来たことがある方だったのです。

カナダにいると、ここに世界の全てがある気がします。

アメリカとちがい、ここはそれぞれの文化が大変尊重され、自分が外国人であることを意識しなくなってきます。

とても楽なのです。

最初英語が通じないことにとてもどきどきしましたが、ここにいる多くの人は英語が適当だし、しゃべれない人もたくさんいます。

そんなことで相手を下に見ることはまったくありません。

「私たちはアメリカとちがう」

カナダの人はよくいいます。ここは文化をまぜて一つにしようとしていない。モザイクです。
アメリカには、アメリカ文化しかないのと違う、と言うのです。

これはとてもすばらしいことですが、そのことの弱点もあるというカナダ人もいます。

今日(4日)別の男子実習生にインタビューしました。

彼は、こういいました。

「大学の討論の授業は時間の無駄だと思う。」

「え?なぜ?」

「だれもふみこんだ発言をしない。みんな相手に踏み込むことを恐れている。私は他の民族の文化をしらない。だから知りたい。でもなにも知らないから質問ができない。質問することは相手に失礼な気がするからだ。そんな精神がカナダ人に流れていて、この場がスムーズに流れればいい、波風を起こしたくない、と思っている。それでは難しい問題を解決できない。みんな表面的なことを語り合っているだけでは、なんにもならない!」

これ、日本人が行ったのではありません。カナダ人が言っているのです。

相手の文化への尊重、相手への信頼 でもそれが、時には、相手にふみこまないでおこうという事なかれ主義になるらしいのです。

日本人とは少し事情が違うのですが、カナダ人もとても臆病です。

ICSの子どもたちはとても活発に話し合います。だけど、外部から来た私たちにはあまり関心を示しません。

と、思っていました。彼ら彼女らは関心を示さないのではないのです。彼ら彼女らは、恐れているのです。躊躇していうるのです。その証拠に私たちがはなしかけ少し仲良くなるととたんに変わります。彼ら彼女らは、大丈夫かどうかじっと見ているのです。

そして、公立学校では、内部での話し合いすらむずかしいといいます。つまり、相手を気にしすぎるのです。ICSは、実はそのようなカナダの子どもたちを変えようとする学校でもあったのです。

カナダはすみやすい。でもそれは、みんなががんばってそうしているのです。

強大なアメリカの影響にありながら、それとは違うコンセプトの国を作ろうとしてる。ほっておいたらばらばらになる文化や民族をなんとか「一つ」にしないで、まとめようとする。

これは、大変なことなのです。

だから、相手をじっと見る。(もちろん本当には見ません。気配で見ています)

この国で教育すること、先生を育てることは、どれほど重要か、身にしみてわかってきだしました。

昨日は実習生へのインタビューのあとは、校長先生と、この学校に影響力をもつ大学の教授にインタビュー、今日は、私たちがずっと追いかけているICSのリチャード先生の授業をみたあと、彼へのインタビューを行いました。

去年も聞いた、校長先生の言葉「safe」

この意味がぐさりと胸につきささりました。

誰もがなんとなく相手に遠慮しながらいる国カナダからこそ、なんでもいえる空間をつくるために「safe」な環境を作ることが大切なのでした。

その他、いいことばかりと思っていた教員養成プログラムにも、教科の学習が少ないとかいろいろ問題があることがわかってきました。

日本がよくわからないまま4年間ふわっと教育のことを勉強して、最後の最後で実習に行って、ああやっぱり教師になろう、というやりかたも悪くはないなと思えるようになってきました。
かといって日本がすべていいとは全く思えませんが。

いいところをお互いに学び合いたいです。

では、最後に食べ物を。

昨日のお昼は、スーパーで買った、サーモン巻き。脂がのっていてうまいが、600円と高い。
夜は、通訳の方もいれて、ベトナム料理屋。前にも行ったところです。みんなでフォー3品とチャーハンと生春巻きを食べました。

今日の朝はいつものとおり。昼は、これも通訳の方おすすめのイタリア料理屋。3人でそれぞれ具だくさんのスープをとり、あとは前菜の盛り合わせですませました。でも量は結構ありました。一人1500円。
そして、夜。
今日は宿で長逗留の、例のおばちゃん先生と美人のナースが、なんとビーフシチューを作ってくれました。他には、アスパラの炒め物、トマトサラダ、野菜サラダ。ビーフシチューには、大きな肉とジャガイモがごろり。そして、ごはん。

ああ幸せ・・・・てな気分で今ブログを書いています。

明日は、リサーチ最終日。


そろそろ帰りたい。

でも。


ここを離れたくない気持ちに、今、はじめて、じょじょに、なりつつあります。


これは。


驚きです。


近い内に、ここにまた戻ってきそうな気が、

します・・・・・

口がトロント

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というわけで昨夜(トロント時間)は、元中学校のおばちゃん先生に連れられて、めちゃくちゃ歩いてコリアンタウンのマーケットでお米やら野菜やらを買い込み、別のスーパーで肉や野菜などを買い込んで、へとへとになって宿に帰り着き、いよいよお食事会です。

そうです。わしの出番です。

劇的でおなじみのように、私が作らなきゃ誰が作る、みたいな感じで次の品々を
すべて、すべて、私が作りました。(ただし、ごはんはおばちゃん先生におまかせ)

・なすびと厚揚げと豆腐の煮物(厚揚げに味が付いていたので醤油のみの味付け)
・サーモンのバター焼き
・サーモンにかに肉がつまったものの焼いたやつ
・野菜サラダ
・青梗菜みたいな菜っ葉の炒め物
・冷や奴

そして、ごはん。


ああああ、おいしかった。ほんとうにおいしかった。

日本にいるみんな!

うちでごはんを食べることが、どんなに幸せか、外国に行ったらよくわかるよ。

どんなにおいしいものでも、例え日本食でも、家でつくったごはんに勝るものはない!!

私たち3人とおばちゃん先生と、もう一人ワーキングホリディーに来ている美人のナースの方と
みんなで食べました。

元気出た!!

そして、そのまま私は片づけもしないで、バタンキューとなりました。

そして、今朝。今から、3人の方のインタビューにでかけます。はりきって行ってきます!!


あ、そうそう、冒頭の写真は、私とよめさんの22年目の結婚記念日に贈った50本のバラの写真であります。よめさんが写メしてくれました。
あ、みなさんには関係なかったですね。ははは、ごめんなさい。

肩がトロント

少しお休みをいただきましたが、トロント日記続けます。

おとといは、リチャード先生の授業を朝から見ました。

まず朝ご飯をいつものようにコンチネンタルブレックファストで食べ、
9時前に教室につきました。

リチャード先生は、5年6年の学級の先生です。
ここの学校は、5年と6年をいつも同じ教室で授業します。
ときどき学年ごとの授業があったりしますが、だいたいは一緒にします。

今日は9時から10時半まで、びっしりと「探究学習」の時間でした。

「探究学習」とは日本の総合的学習の時間と似ていますが、教科とのつながりがあることと
学習者の興味をうまくひきだしながら、探究する方向にもってくるところがちがうところです。

まずリチャード先生は、子どもたちに(全部で25人ぐらい)ニューオリンズのハリケーンのことについて話をはじめ、知っていることをいわせていきます。そのうち、「ハリケーンがきてどんなところに被害が出るだろうか」と聞きます。子どもたちは、「交通手段」とか言います。すると先生は黒板に「交通システム」と書きます。別の子どもが「水道が止まる」といいます。先生はまた黒板に「給水システム」と書きます。このように子どもたちが次々挙げてくる被害のことを「体系(system)」として取り上げていきます。

そうです。先生は、ハリケーンのことをとりあげて学習したいことは「体系」の勉強だったのです。

つまり、さまざまな被害を「体系」に障害が出たととらえなおし、「体系」とは何か、それがどのように私たちの生活に関わっているかを調べさせようとしているのです。

そのうち子どもが、下水道のシステムの話から、「汚水を飲むと体もやられるね」と言い出します。

先生はまってましたとばかり、黒板に「体のシステム」とか「循環システム」とかと書きました。

先生は、ハリケーンの被害の話が、社会科的なシステムだけでなく、理科的な体のシステム(あ、そうそう子どもから電気のことも出ていました。黒板には電気システムと書いてありました)にも及ぶだろうと予想し、そこに子どもの問題意識が及べばそれも含めて、探究の題材としたのです。

いろいろ出た後、先生は「ここに出たシステムの中で、自分が探究してみたいのはどれ?」と聞きます。これから1年間(今は新学期です)それぞれが探究する題材を決めるのです。でもここはとりあえず言わせたみたいです。そしてそのあとで先生は「みんなはニューオリンズの人と違ってなんの被害も受けていない。そんなみんながこのような探究をすることにはどんな意味があるのだろうか」と問いかけ、それぞれの研究の「ゴール」を考えさせました。そうです、国語科教育の専門の方はすぐわかると思いますが、これは、「単元の活動目標(相手意識目的意識)」というやつです。

ここまでの授業は、教室の横の小部屋にまるくなってぺったんすわりをして行われました。そのあと教室に戻り、先生から次のような指示が出ます。

「自分のノートに、システムとは何か、自分の定義をなるべく短い文でまとめてみなさい、そして、それを絵にもしなさい。次に、自分の探究のゴールを書きなさい」

みんなは書き始めます。短い文でみんなみごとにシステムの定義を書いています。

こうして探究の時間が終わりました。

そのあと少し残された時間を使って、宿題となった「単語ノート」と新しい「単語ノート」が配布されました。そうです、もうすぐ単語テストがあるみたいなんです。これはオンタリオ州がやっている標準テストかどうかはわかりませんが、あきらかにテスト対策でした。しかし、その勉強のしかたがおもしろいです。

覚えるべき単語について、その単語を使った例文を自分で勝手に作ります。それをベアの友達に話して聞かせます。相手も同じことをします。こうやって、単語のイメージを印象づけるのです。しかも例文がおもしろいので、楽しく単語の勉強をしていました。しかし一方で、宿題を出すのを忘れた何人かの子どもは、先生に呼び出されて、優しくしかし厳しく諭されていました。

これで10時半です。ここから30分休み時間です。

11時からは、5年と6年が交代で、フランス語と算数を勉強します。フランス語はカナダでは必修なのです。フランス語は特別教室で別の先生が教えます。その間に、一方の学年にリチャード先生が算数を教えます。

算数はパソコンを使った、最小公倍数の学習です。でも、みなさんが思うのとは全く違うパソコンの使い方をします。これの説明のためには、この学校がやっている「Knowledge Forum」のしくみについて知っておく必要があります。

この仕組みを使って、最小公倍数の問題の解き方をやるのです。

その解き方は、日本の算数の授業を知っているものからすれば、とてもまどろっこしいです。

まず、先生が出した文章題をみます。それを、「質問・キーワード・解決・解き方」に分けて考えていきます。まず、文章題を分析して、結局何が聞かれているのか(質問)、何が大事な情報か(キーワード)を明らかにします。そのつぎに、子どもたちが考えた解決と解法を、子どもがパソコン上に書いたものからひっぱりだして、みんなで検討します。先生はひっぱりだす子どものやりかたをちゃんと頭に入れて、順番に検討していきます。もちろん、「これは間違っていますね」とか「このやり方は遅いですね」なんてことはいっさい言いません。一つ一つのやり方に意味があることを認めていきます。

だんだん洗練されたやり方が見えてきたら、途中でとめて、別問題を子どもたちにやらせるのです。

そうです。子どもたちには、最小公倍数ということも、最小公倍数の問題の解き方もいっさい教えていません。

まどろこしいのですが、子どもたちの頭はフル回転しています。

最小公倍数の意味が、よくわかるのです。

こうして、12時半。お昼をはさんで、13時半からは、このクラスが幼稚園クラスの子どもと一緒に遊ぶ時間が45分続きます。

こどもたちはたいへん上手に幼稚園の子どもたちをあそばせます。

大事なのは、これが終わった後です。幼稚園の子どもたちが帰った後、教室で、
「どんなあそびをしたか。どんなふうに子どもにあそばせたか。どんなことに気をつけなければならないか」などを話し合うのです。先生の方からも「子どもがいけないことをしても、だめとしかってはいけない」と指導します。ふりかえりがとても大事だと言うことがよくわかる授業(そうです。これはれっきとした授業です)でした。

そのあとは、去年も紹介した、ニュースの時間です。自分がもってきた新聞を見ながら、 5W1Hをいれて話し言葉でみんなにわかるようにはなしをし、そのあと、質問を受ける、という時間でした。去年に比べてかなり発展した授業になっていました。


以上、リチャード先生の授業です。優れた教師はどこの国でも同じだとつくづく思います。
子どもをたいせつにし、子どもの言葉を正面から聞き、ちゃんとこたえる。

それだけではなく、教えるべきことはちゃんと教える。

リチャード先生は健在でした。

しかし今の私たちには、このリチャード先生を支える教員養成システムがあることがわかっています。
リチャード先生は、偶然に生まれたものではないのです。


この日の昼は、中華料理屋でチャーハン、夜は、イタリア料理屋でパスタを力一杯食べました。

そのため、翌日の朝はなんにも食べられませんでした。

翌日は、研究のまとめをやり、リチャード先生の授業のビデオを見直しました。

昼はサブウェイでサンドイッチ、夜は、メキシコ料理を食べました。

今日は、朝からオフ。それでも朝少しだけ明日からの仕事の準備をして、みやげものツアーに出かけました。けっこういいものを手に入れることができました。ゼミ生の諸君待ってなさいね。

昼は、イタリア料理屋でサンドイッチみたいなやつとスープでした。

そして、夜。実は今から買い出しに出かけるのです。今泊まっている宿で長く逗留している退職教師のおばさまにごはんをつくっていただくため、私たちは助手となって買い出しに行きます。
ああ、ひさしぶりのまともな日本食が食べられそうで楽しみ!!!!

こんな感じです。

明日からは、また忙しくなります。

でも、とても充実しています。

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