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2005年9月

頭がトロント

そんなわけでトロント4日目が終わろうとしています。

今日は一日宿で今までの知識をまとめつつみんなで
知識や情報、考えたことをシェアしました。

(「シェア」ということばは基本概念になりそうです)

というわけで、今日は食べたものを書くだけでゆるしてね。

朝ご飯
食パンとベーグルに、たっぷりクリームチーズとジャムとピーナッツバターをつけて食べた。
んまかったああ。

昼ご飯
またもや別のベトナム料理屋へ。
他の二人は麺を食べましたが、私はごはんのうえにもやしと牛肉と目玉焼きがのったのを食べました。
薄味で自分で味付けるのがよかったです。

夜ご飯
最近トロントで注目されているボールドウィン通りに行きました。ここは、小さな通りなのですが
エスニックなお店や古レコード屋、オーガニックなものや、古着や、などがかわいらしく並んでいます。

ここで、インド料理を食べました。私はガーリックナンとチキンカリー。
そんなに辛くなくておいしかったです。
ここのマスターは中国人ですが、とても愛想が良かったです。
だいたい一人1500円もあれば十分でした。

明日はいよいよICSで授業を見ます。あこがれの、リチャード先生に会います!!

足がトロント

トロント3日目。(書いているのは4日目の朝)

足がトロントです。しつこいか。

でも、とにかくよく歩く。そしてこちらの人は足が速い。そしてよく歩く。

だからおなかがすぐすく。空気がきれい。さわやか。ごはんおいしい。

こりゃたまらんねえ。

では、朝のごはんから。

朝は、いつものようにコンチネンタルブレックファストの食べ放題。
食パンにはマーガリン、ベーグルにはクリームチーズ、そしてコーヒーです。

実はその前の晩は疲れすぎてすぐ寝てしまい、しかも起きたら8時半で、起きてすぐに食べました。

そのあと行っている3人で、午後から行うインタビューの打ち合わせをして、部屋に戻り、それぞれがインタビューのための下準備をし、通訳の方ともう一人の研究者仲間がいる、あのICSに行きました。

ICSは1年前と変わらず、子どもたちの活気にあふれていました。

しかしそこに滞在したのはごくわずかで、すぐに移動して、インタビューする教授がいる
OISE(トロント大学附属教育研究施設)に行きました。

インタビューは2時からなので、食事をしようということで、通訳の方いきつけのイタリア料理へ。

ここのお店は去年も入ったのですが、とてもおいしい。

5人で5皿をたのみ、シェアしました。中味は
いかのトマトパスタ? なんかのやっぱりトマトマカロニ?チーズとなんかの野菜サラダ
あといろいろ。

とにかく野菜が豊富。私ここにきて、ほんまにいっぱい野菜を食べています。

いよいよトロントダイエットはじまるか!!!!

・・・・・・・

さて、いよいよインタビュー。

教授の部屋をたずね、場所を変えて、なんと2時間も話を聞きました。

話の内容は、トロント大学でやっている教員養成の中味です。

その先生は、そこの中心的な役割を果たしている方で、ほんとうにいろんなことを聞きました。

なにから書いてまだまとまっていないので、箇条書きで。

・前にも書いたように、カナダオンタリオ州では大学を出た人が教員免許をとるために、それ専用のコースに入学する。入学希望者6000人に対して、入学許可者はわずか1300人!!
・入学試験はなく、入学前にどれだけ教育的な活動(ボランティアでも仕事でも)していたかという経験によって決まる。だから、入学者の平均年齢は29才!!
・はいったら1年年限の初等教育と中等教育、および修士をとるための2年コースに分かれる。それぞれ600人、600人、100人。
・初等教育コースは、600人を9つのグループ(ここではコーホートと呼んでいる。1グループあたり66人程度。振り分けは希望制)に分け、それぞれに6人!!の教員がつく。(6人の内2人は専任、4人はパートタイムの教員)その6人の教員がほとんどすべての授業を受け持つのだそうです。
・1グループを二つに分けた33人ぐらいが一単位で授業を受け、ときどきは一つのグループとして活動する。グループを超えた授業もあるみたいだけれど、基本はこの66人のグループ。
・つまり、この66人のグループが一緒に生活して助け合って1年間を乗り切るのだそうです。
・教育実習は、なんと!!!
第1部 1週間のおためし期間(これは週に何日かいく)と4週間べったりの実習
第2部 1週間のおためし期間(これは週に何日かいく)と4週間べったりの実習
第3部 べったり5週間

と、それぞれ別の3つの学校に計16週間(計算が合わないのであと1週間については調べます)行くのです。それぞれの実習に、教員は3日くるそうです。

・その教授はいっていました。私たちは全ての教科や領域の専門家ではない。6人ではすべてをカバーできない。しかし、それ以上のメリットがこのコーホート制にはある。このグループで社会性や人と人との関わり方という、教育の基本を学ぶことができるからだ。
・教授はいいます。教育にとって大事ななのは、ほんとうに価値ある生き方を子どもたちに教えることだ(way of life)。そのために私はさまざまな角度から授業している。
・もちろん、1年間は短いし、教科の深い内容にははいれないことがあるので、自分は今教師になった人からインタビューして、自分たちのプログラムに何が足りないかを検討しているところだ。

こんな話を聞きました。あっという間の2時間でした。


日本は、逆行していませんか?こんな教育者は、日本にもかって、そして、今も、いるはずです。

それが、表面的な学力だけで評価されようとする国になりさがってきたのではないでしょうか。

way of life

教授はこれは、「fitting the society」ではなく「construct the society」だといいます。

このことばを肝に銘じたいと思います。

夜は、ベトナム料理屋で、米の麺(フォー)をすっきりと食べました。
心も体もすっきりした一日でした。

が。

心も体も、疲れていたことにはかわらなく、結局21時には寝てしまっていました。

そんなこんなで、4日目の朝を迎えたところです。(つづく)

目がトロント

そんなわけで、トロント2日目。

着いた翌日から、しっかり仕事をしました。

とにかく、歩いた歩いた。足が棒のよう。腰がきしむ。
寝不足&時差ぼけ&歩き疲れで、目がトロント。
というわけです。

まずひさしぶりにごはんについて書きましょう。

(なお国内における、ごはん記述については、よめさんの検閲が入り、やむなく中止せざるをえなくなりました。その理由によれば「あなたはたまにしか作らないのにまるでみんな自分が作っているように思われるし、うちの食糧事情がわかって、いや」ということでした。わたしは、食糧事情をわかってもらったうえで、きっとおごってくれる人がいる、と思ったのですが。。)

さて。
トロント朝ご飯。場所はB&B。(イギリス式の民宿。BED&BREARFASTのこと)
パン、ベーグル、マフィン、バナナは食べ放題。コーヒーも飲み放題。でした。
私は、パンとベーグルを軽くトーストし、塩味の強いマーガリンで食べました。
もちろん、コーヒーで。まさしく、コンチネンタルブレックファスト!

朝を食べ、さっそく、調査に赴く。

今日の調査の一番の目的は、トロント大学では教員を育てる教育はどのようになっているかということ。
WEBを見ても、いまいちよくわからないぐらい複雑なのですが、今日あちこちに聞き歩いて
ようやく見えてきました。

複雑なことは省きまして、大事なところだけ。

(1)トロント大学に教育学部はない!
(2)教師になろうと思ったら、基本的には大学を出てから!!
(3)トロント大学では大きく二つのコースが教員養成のためにある
(4)一つのコースは、1年間学んで実習に行くコース。
(5)もう一つのコースは、2年間通うコース。
(6)高卒でも教員になれるコースがある!!!

(1)と(2)はびっくり。まずカナダオンタリオ州の教員養成は、どこかの大学を出てから始まるということ。しかも、大学の成績が優秀で、かつ、教育経験(ボランティアでもいい)がある人でないと入学できないということ。そういうこともあってか、トロント大学には教育学部はなく、あるのは、修士・博士のための大学院である、OISEだけなのでありました。
そしてこのOISEが、教員養成のプログラムを、正規の大学院の授業とは別に用意しているというわけ。
教師になるためにはふつう1年コースを取るし、こちらの取得者はとても多い。ただしあわただしいしいので、それとは別の2年コースが作られている。
ただし、こちらのコースにもいろいろあるがその中でもとてもスペシャルなのは、OISEの正規の大学院生しか入れないコースがあり、そちらのコースの学生だけが、去年。今年と訪問したICSに実習で行けるのです。
つまり、ICSに実習に行けるのは相当な人ということ。しかもこのコースで教員資格を取った人は、大学の研究者を目指す人も多いと言うこと。つまり、大学の教育研究者の中で実践的な研究を目指す人がこのコースを取るということなのです。

(6)は産業教育(工業や看護、美容、などなど)の教育にたずさわる人を育てるプログラムの中に、高校を卒業して何年か実務経験を経た人が入れるコースがあり、そこを出ると教員資格がもらえるというものなのです。

これは非常に簡単にまとめたものです。詳しくは、OISEのHPを見ればいいのですが、見てわかるぐらいなら、トロントに来ませんって!!
そのうちちゃんとまとめたいとおもいます。

そうこうしているうちに、昼を過ぎました。

近くのお店で昼ご飯。

昼は、グリルチキンのバーガーを食べたのですが、新鮮な野菜たっぷりでとてもおいしい!!
量もちょうどでよかったです。ただし値段がちょっと高い(1個600円ぐらい)
このあたりが頭痛い。

午後も調査を続けたのですが、もう一つきになっていた、教師になった後のプログラムについて調べました。
このプログラムのおそろしく豊富なこと!!
パンフレットをもらったのですが、1冊の本になっていました。それぐらい充実しています。
このようなプログラムが、夜や休みのときに開かれているのです。そしていくつかとっていくと、なんと、教師の給料が上がるのです!!そりゃやるきになるね。

なんでカナダの教育がしっかりしているのか、本当によくわかりました。
教員養成、教師教育がまるでちがう!!!!!!

事務の方に「教員免許とって教師にならない人はどのくらいの比率ですか?」と聞いたところ質問の意味がわからなかったみたいでした。そして、日本の実状を話すと、今度は向こうがびっくりしてました。そりゃそうですね。大学の先生もやりがいがあるでしょうねええ。(ぐすん、うらやましい・・)

さてこんなことをしているうちに、明日の打ち合わせの時間になりました。
あしたは、教員養成にたずさわっている教授にインタビューをすることになっています。
食べながらの打ち合わせで、食べたのが「親子丼」!!
たまねぎが多くて新鮮で、ちょっと卵が固い、でも味はしっかりしたもので、なかなかおいしゅうございました。
値段は800円!!!!

そんなこんなで、2日目終了


ああ、疲れた。ますます、目がトロントです。しつこいか。

ほんじゃ、おやすみなさい。

あ、みなさんは仕事してね!


ただ今トロントです

ただ今トロントの宿におります。

そうです。

この宿は、無線ネットが部屋にはりめぐらされていまして、自由にインターネットができるのです。

自由の国、カナダ 万歳!

成田を19時に発ちトロントには同じ日の17時半に着きました。

天候は曇り。案の定寒いのですが、思ったほどではなかったです。
しかしコートを着ている人もいました。

今泊まっている宿は安くて日本人ばかりでとても気安い。

英語の勉強にはならないですが、私たちのような老い先短いものは
英語なんてしている暇はありません。
やりたいことをダイレクトにやりたいので、いらぬ障害はなるべく排除したいです。
その点でこの宿はぴったり!

(あまり知られたくないので、もうリンクしません)

明日からどうなることがわからない日々が続きます。

あしたはとりあえずトロント大学に乗り込みます。

アポ無しで(泣)!!!!!!!!!

お楽しみに!!

トロント男

というわけで、カナダ直前、準備に追われています。

といっても、その準備とは、返ってからの仕事の準備です。

10月に帰ってくると、後期の授業がもうはじまっており、研究会もめじろおし、

月末には学会もあり、準備を怠ると帰ってきてから地獄を見るので、がんばったわけです。

そしてようやく今日になって、持って行くものの買い物をしました。

一体、どんな服を持って行けばいいのか。そこで。カナダトロントの天気を見ることにしました。

トロントの天気

見ました?

気温、見ました?


最高気温が20度、最低気温が10度ちょっと。

日本より、10度寒い!!!!!!!

これはえらいことだと、半袖の服をみんなスーツケースから出し、あわてて
長袖の服を買いそろえました。

私は、毎年1回海外に行くときにしか原則的に秋・冬服を買わないので(ふだんはどうも買う意欲がわかない)ちょうどよかったです。


それにしても、トロントはもう秋まっさかりなんですね。


そういえば、去年、ナイヤガラで雨に打たれて、飛行機で熱を出してうんうんうなったことを
思い出しました。

今回は、傘ももっていき、あったかいかっこうで活動しようと思います。

ただ今回は、むこうとのコンタクトがうまくいくかどうかなかなか心配で、いきあたりばったりというところもあります。その点で今回は専属通訳さんがいますので、心強いです!

また、今回の宿は、なんと日本人の方が経営する次の宿です。

ここよ


これもまた心強いです。

なにしろ去年は高級ホテルでしたが、宿泊料が高く、えらいお金を使ってしまったので。


さあ、なにが得られるのかさっぱりわからない旅ですが、なにかをつかんできます。

あちらでもネットは使えると思うので、できるだけ、劇的で報告したいと思います。

というわけで、不肖わたくし、「トロント男」となって、カナダ女性のハートをつかんで参ります!!!(あ、ちがうか)


カナダ前

あと1週間でカナダです。

あわただしい。

カナダ行きの準備というより、言っている間の仕事の前倒しが!

そして、返ってきてから仕事をスムーズに行かせるための用事が!

今回は、9月26日〜10月7日まで行きます。

かなり長いです。

そして今回は、前回と違い、いきあたりばったりのところがあります。

ただ、今回は、専属の通訳を連れて行きます。

誰かというと、あ、ばらしたらいかんね、実は、このブログにもおなじみの方なんですが・・


とにかく、心強い!

今一生懸命勉強しているようです。

さて、今回の目的は、下のファイルにあるために行きます。

このファイル、ダウンロードして見てください。ワード形式です。

訪問目的


こういったことをやるのですが、非常に漠然としています。

具体的になにをしたらいいのか、まだはっきり決まっていない。

そういったことを考えたいけれど、他の用事に追いまくられています。

でも、いいんだ!!

カナダに行ってしまえば、日本のことなんて、すっかり忘れてしまうから!!!


ああ、楽しみ〜〜〜〜〜


おみやげがほしい方は、私までメールを下さい。

着払いで、トロントから送って上げます(笑)。


こんな冗談も、メープルシロップに流して、っと。


あ、そうそう、去年も書きましたが、トロントは、革製品が特産だそうです。

カバンフェチのわたしとしては、ぜひゲットしたいと思っております。

あと、6日です!!

夜と夜の夜

三日ほど前、用事があって尾道に行ってきました。

尾道駅からタクシーに乗ったのですが、その運転手さんがホリエモンを追いかけるマスコミ担当の方だったみたいで、ホリエモンを選挙期間中ずっとおいかけていたそうです。50歳ぐらいかな。

その人は言いました。

「選挙が終わってからここらは静かになったよ」

「ほっとしたでしょう」

「いや、つまらん!」

「え?」

「ホリエモンについてまわっているあいだに、わしは、ホリエモンにかけてみようと思うようになった。このままでは、尾道もだめになるばかりや。変わらなきゃいかん。そのためには、あんな新しい風が必要なんや」

「今までずっと自民党だったでしょ?」

「もうしがらみの政治は限界や。みてみ、なんもええことない。このままではあかんと思ったから、今回も自民党に入れたんだけど、今までとは気持ちが違うんや」

変わりたい、変えたい。

都会も地方も、日本ではこんな切実な声に満ちあふれているようです。

それが、今回の選挙での、あのような結果になったのでしょう。


まるで、自分探しをしている、若者のようです。

ほんとうの自分〜日本〜を求めて、変わろうともがいている・・・・


自己愛の固まりのような首相に感化されて、日本では、みんな、自己〜日本〜愛に包まれているようです。この国を(自分を)愛しているから、変えたいんだ、の声。


はっきりものが言える人をあがめる日本の人々は(これは前にも書きましたが、国語教育の敗北です)国を自分をかえてくれる人として、ますますこの首相をあがめるでしょう。


新自由主義が徹底しないことによる愛国心の高揚が怖いです。

新自由主義が徹底したら国をも相対化できるはずですから。


そして。

今日、民主党の新しい代表が決まりました。


自民党よりも、タカ派みたいです。


夜と夜の夜。


昔見た。佐藤信の芝居の題名です。


夜と夜の間の、夜。

日本における、徹底的な左翼の退潮は、左翼自身の「自己愛」のせいだが、

それによって絶望した多くの人民は、

ただ、

歌うだけしかなかった。


夜と


夜の


夜。

観客席は、いつのまにか、舞台になっていました。

宣伝

ついに出た!!

「学校の怪談」はささやく


すぐに本屋に走れ!


さもないと、後ろから・・・・・

誰もいない、恐怖。

AVばなしから(2)

AV女優や風俗の女性は巫女。

そんな言説をふりまく男の人がいますね。


でもそういう言葉は、以下のような言い換え可能な言説です。


AV女優や風俗の女性は菩薩。

AV女優や風俗の女性はマリア。

AV女優や風俗の女性は天使。

AV女優や風俗の女性は聖女。

みんな、女性を、「他者(=わからないもの。わかろうとするきにもならないもの)」扱いにしている。

いや、他人はみんな「他者」だとうそぶく人もいるだろう。
そういう手合いに限って、男同士だとわかりあえるとこもあるんだ、みたなことをいう。

女性を他者にすることは、結局女性に「内面」を認めないことにつながる。

複雑さをもとめないことにつながる。

「女というのは・・・」みたいな。

AV女優が、女優になりきれていないとすれば、結局彼女らは「男の望む内面」を演じている
つまり、「からっぽの内面を演じている」ことなのではないか、と考え始めています。

つまり、だんだん見ていると、飽きてくる。


AV女優が「男が望む内面=からっぽの内面」を演じれば演じるほど、男は女優を他者化しやすい、つまり、あれこれ考えずに性欲の処理だけにぼっとうすればいいということになる。

でも、そうすればそうするほど、途中のお芝居はどうでもよくなる。

つまり、早送りしてしまう。


性欲の処理をしたいがために早送りするのではなくて、「しょせんからっぽの内面を描いているんだからみてもしかたがない」ということに無意識に気づいて、早送りする、のです。


だから、女性の内面が描かれたAVを見ると、途中をみなきゃならなくなる。

これは、男にとって、二重につらい。

普段会う女性に「からっぽの内面」を求めたくても、現実はそうではないのでAVにもとめようとしたのに、それをあざ笑うかのように、AVの中でしっかり内面をもった女性が出てくると、男は自分の「視線」に恥ずかしくなるのです。

そして、自分の中の「からっぽの内面を持つ女性を求めてしまう、男というもの」に激しく気づかされてしまう。


実は、ここから始まるのですけどね。


ここをつきぬけたAVなら、たぶんAVを超える、ジェンダーとセックスを超えた、激しい欲情と激しい認識変革を伴う、フィルムが撮れるような気がします。


林由美香さんの、プライベートチックなムービーはそれに近いかも知れません。

巫女にも内面がある。

いや、巫女こそ、激しい内面がある。


それを、神と人とに奉仕するために、強く強く抑圧しているんでしょうね。


神と人の、両方の声が聞こえるのは、松井さんのような(「白いぼうし」の運転手さん)生き方をしていると思ってしまいます。

両方の声が聞こえるほど、内面には豊かで深くて、激しくも悲しい内面があるのでしょう。

それを覆い隠して、「メッセンジャー」の役割を果たす、巫女は、松井さんは、

そこに自分の「リアルさ」を、見付けているのでしょうか。

「蝶番」であることに。


AV女優は、「激しい内面をもつリアルな女」がもっとも出るであろうセックスの場面で、「男が求める空っぽの内面を持つ女」という正反対を、演じている。


女のリアルにかたどりながら、実は、男のリアルを演じている。のです。

これは、演技ではない。

演技は、どんなものであれ、役者のリアルを演じるものであり、観客のリアルを演じるものではありませんから。

女性は、日常的な場面でも(特に性的な場面に限りませんが、特にそうかもしれません)このような演技をしていると聞きますが、どうなのでしょうか。

それは、演技ではないということは、先に述べたとおりです。

AVからそうではない表現へ。

それは、トランスジェンダーへの道なのかも知れません。

人間ドック&北九州がえり

はい、北九州から帰って参りました。

しかしまあ、人間ドックのおはなしからやりましょう。


ええ、ええ、やはりエロでした(笑)。


今回は、超音波検査に限ってなんでこんなにエロっぽいのか
考えながら検査を受けてみました。

まず担当のおねえさんが、なんとなくエロいということ。
雰囲気というかなんというか。。。

触れなば落ちなん(さわったらきっと落ちるだろう)みたいな
雰囲気がただよっているのです。

ちらっと私をみてちょっと視線をまとわりつかせて、さっとはずす。
え、なんか、わたしに気があるの、みたいに思わせる(もちろん本人は無意識ですよ)
ところでしょうかね。

そのおねえさんと、狭い超音波室に入るわけです。

入ってベッドに横たわると、おねえさんはすぐに電気を消します。

色っぽいおねえさんと二人で部屋に入って電気を消してベッドに横たわる。


正確に書いて、あらためて読み直すと、これほんとに、エロい光景になるでしょう?


もちろん電気を消すのは、超音波検査の画像をよく見るためなんですがどきっとするわけです。

そしておねえさんは、

「おなかを出してください」といい、おなかを出すと、ぬるぬるとしたローション様のものをおなかに塗るのです。

はい、もう一度、正確に描写してみましょう。


色っぽいおねえさんと二人で部屋に入って電気を消してベッドに横たわり、肌にあらわにしてローションのようなものを塗ってもらう。

・・・・・わかると思いますが、男がいかにあほな妄想を頭の中で行っているのか、女性の方に知って頂きたく、正確な描写をおこなっています・・・・・


さて、ローションのようなものを塗ってもらったあとは、アイロンのような物でおなかをこすられて画像を観察されるのです。

はじめはあおむけで見られます。

そしておなかの横の方を見たらもう時に、そうです、おねえさんはベッドサイドに座り、腰をぴたっと付けて、アイロンをこすりつけて画像を見ることになります。おねえさんは脚を組んでごらんになります。

はい、三度正確に描写してみましょう。


私は、色っぽいおねえさんと二人で部屋に入って電気を消してベッドに横たわり、肌にあらわにしてローションのようなものを塗ってもらうが、そのうちおねえさんはベッドサイドにすわり脚を組みながら私の体に腰を密着させる。


となるわけです。


もちろん、本当はこんなにエロいわけではありません。ただ、状況を好き勝手に選択してつないでみると、こんなあほな妄想が生まれる、というわけです。

これも、人間の想像力のたまものでしょう(笑)。

こんなあほなことを考えた人間ドックでしたが、ショックなことが二つ。

ひとつは、私の研究上・実践上の盟友である先生と偶然一緒になったのですが、その方が胃を悪くされていることがわかったことです。もともと胃にむずかしいところがあるということだったのですが、さらにむずかしくなったみたいで、心配です。

もう一つは自分の腎臓に、なんかしらんない「膿胞」ができていると言われたこと。
ほっておいてもいいと言われたのですが、まあ経過を見ましょう、なんて言われるとほんとうに気になります。


そんなわけでいろいろあった?人間ドックも終わり、北九州に向かいました。


昨日は、臨床国語教育会北九州部会です。11人の方が参加され、夜の会も含めて、本音爆発のトークが炸裂しました。
そこで話題になったのは、「どうしようもない偉い人」の話。ほんとどうしようもない、「偉い人」というのはどこにもいますね!

今日は、同じく北九州の別の研究会でゲストに呼ばれ、お話をしました。
その会も、とても気持ちがいい会でした。
「単元学習」「子ども本位」「実態から出発」「国語の基盤に関係形成力をおきたい」など。
私の考えにぴたっとフィットする会話が頻発していました。

ここで私が話したのは、「論理について」です。

論理とは何か・論理と構成はちがう・見える論理と見えない論理

こんな柱で話をしつつ、実際の教材で確認をしていきました。

その教材は「平和のとりでを築く」(光村図書)という説明文教材です。

この教材にこめられた4つの論理とその論理を支えている人々の思いを話させていただきました。

4つの論理とは

(1)原爆の悲惨さを訴える →(だから)→ 原爆ドームを残すべきだ
(1’)原爆の悲惨な事態を思い起こさせる →(だから)→  原爆ドームはのこしたくない
(2)世界の人々に原爆の悲惨さを訴える →(だから)→ 原爆ドームを世界遺産にするべきだ

(2’)(日本の)戦争被害だけを強調することになる →(だから)→ 原爆ドームは世界遺産にしない

(1’)は(1)の(2’)は(2)の対論理(反対の論理)です。この文章は、この二つの対論理とどのように向き合ってきたか、筆者の苦悩と行動と思索の記録だと考え、そのことをお話ししました。


私が広島にいることの意味を、いつも考えさせてくれる教材です。


さて、今までいただいたコメントをふまえ、明日は、AVばなしから展開させてみます。


ちょっとおやすみ

昨日の内容は、ちょっとハードでした。

ふうううう、という感じで。

今日は、脱力系で。

明日は人間ドック。

楽しみ。


なぜなら私がかかる病院は、ここですが、

ここがかなり、エロ(笑)。

まず、栄養士のおねえさんが、かわいい。
その人が、懇切丁寧に、食事指導をしてもらえる。
ついでに、夜の指導も、なんておやじなことも言えないほど、ほれぼれしてしまう。

次に、看護師さん。
これがまたきれい人が多い。
ちょっと「きりっ」系で、そんなひとに、「さ、おなかだして」と言われると
思わず、「下半身もですか」と言ってしまいそう。

最後に、超音波検査をする検査技師のおねえさん。

この人がすごい。

超音波検査ってご存知?

おなかになんかぬって手に持ったアイロンみたいなやつでおなかをさぐって
画像を見るというもの。

わたしはおなかに油が多いためかよく画像が見えないんですね。

そのためかどうかわからないんですが、この技師のねえさん、

わたしが横になっているベッドのはしにすわって、
わたしに自分の腰をしっかりこすりつけながら
アイロンを動かすのです。

思わず、おねえさんの腰を抱きそうになります(笑)。

ああ、明日楽しみ!!


そんなわけで、今から明日の昼まで絶食。

そして明日は午後から北九州でこい〜実践を聞いてきます。
そしてあさっては、北九州ではじめての他流試合。
うううううむ、ちょっとこわいが、がんばります。

というわけで、人間ドックのことや、昨日の記事の続きはあさって以降ということで・・・

AVばなしから

私は以前、あまんきみこさんの作品(そして国語科教材)「白いぼうし」について文章を書いたことがありました。それは、ここに載っています。

その本は、国語教育関係者と文学研究者の二人が同じ作品(教材)について書いた後、互いの文章を読んだ感想を載せているのです。そこに私は次のような文章を書きました。(鶴谷さんは、相手の文学研究者です。)元の文章がないとわかりにくかもしれませんが、読んでやってください。

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AVばなし(3)

琉那さま、おひさしゅうございます。

あなたは毎日がそれこそAV、しかもかなりハードな、かもしれませんね(笑)。


とんでもない台風がようやく去り(でもまだ北海道あたりにいるんですよね)
少し落ち着いて、最近の話題のAVに戻りたいと思います。

若干このネタ、いつも来ている人はひきぎみかもしれませんが、でもとてもとても大事な問題だと思うので、考えさせてください。

今まで書いてきたことの中心は、AVの表現とそのほかの(映像)表現とは同じなのか違うのか、やるがわはどうか、見る側はどうか、社会はどうか、作品としてどうか、そんな感じだったと思います。

そして、見る側といったとき、そこに、ジェンダー(または、生物的性としてのセックス)の問題が絡んでいることもみえてきました。

つまり、男はAVに何を見ているのか、女はAVに何を見ているのか、(この場合の男・女は、ジェンダーかセックスか、はたまた、それらとも異なる区分なのか、が大きな問題ですが)

ここで気になるブログを見つけました。
星川ヒカルさんのブログ、ヒカルンバ☆です。

これは、よくあるAV女優のブログと異なり、かなり星川さんの内面が見えるものです。

おもしろいのは、彼女がどうも時給1000円ぐらいのアルバイトもしているみたいで(もちろんその店には自分がAV女優であることが内緒で)その内緒ぶりやらなんやらが、AVとは何かを考えさせる大きなきっかけになるのです。

このブログにもあったのですが、煩悩ガールズというグループ?がデビューするようで、このグループの説明に、
女の子100人とニューハーフ何人とAV女優何人みたいな書かれかたがあるみたいです。

AV女優とは、職業というより、「ある生き方」と呼んだ方がいいのかも知れませんね。

ただ私の、AV女優理解の根底には、名著「AV女優」があるので、かなりの偏見があるかも知れません。


そしてそのことは、表現者すべてにつながる根底のようにも思えるのです。


演じるとは、結局、肉体の裸も含めた、人生のはだかをさらすこと。
役者とは、さらして見せることではじめて生きている資格を得る人のこと。


AV女優が、他の表現者とことさら区別されるのは、その「根本さ」が
脳天気な人々の平凡な日常を打ち砕くことを、演じることを忘れて日常に流される人々がおそれているからなのでしょうか。

さらさなければ、生きていない、のに。


この問題、もう少し考えます。

考えながら、次々と、AVDVDを見ていこうと思います。

頭だけでなく、しっかり、体も、反応させながら。

(だから私は、研究的態度でAVに接することは大嫌いです。それは、結局、差別、です。)


台風です!!

西日本には台風が来ています。

九州、四国方面のみなさん、大丈夫ですか?

こんなにゆっくりゆっくり来られると、じわじわやられるようで

ほんとうにいやになります。

中国地方はこれから台風本番。

明日は私の大学で大学院試験があるのですが、その影響も心配です。

これは家の庭から撮った風と雨のようす。
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動画はこちらダウンロードできます


これで、小泉マジックからさめて、冷静に選挙にむかえるかもしれません。

この台風の風景こそ、今の日本の近未来だと思うのです。

パフォーマンスで乗り切られるほど、なまやさしくはないのです。


有料か・・・


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今日は、有料老人ホームを二つ見学しました。

とりあえずは親の将来の選択肢のひとつとして。
そして、自分の未来のために。

年老いてからどこで生を営むかはとても難しい問題です。

自宅で子どもや孫に囲まれるのが幸せな人もいればそうでない人もいる。

でも、人間は現実の世界だけで生きているわけではなく、

幻想の中にも生きているので、

本当はその現実の方が幸せなはずなのに、

無理して同居して、みんなが不幸になることもある。

「同居したら幸せ」幻想にとりつかれてしまったのですね。

人間が生きていく中で、人と(特に家族と)ちょうどいい距離を保っていくためには

それなりの訓練をそれまでにしておかなくてはいけないと思います。

そこで失敗すると、過剰に依存したり、無理して離れていたりすることになるでしょう。


さて、今日みた二つの施設。

ひとつは田舎にあるのですが、とてもきれい。上の写真は、各階にある珈琲ラウンジ!!なんですよ。
ロビーも広く、清潔。しかも、介護付きの施設。

もう一つは、まちのまんなかにある。ロビーも狭く、なんとなく古っぽい(こちらのほうが新しいのに)でも、交通の便は比べものにならない。だけど、介護付きではなく、ケアマネ(はい専門用語です。介護している人はよくわかる語彙ですね。)の人と計画を前もってたてたサービスで動きます。


すぐにどちらかに入るかわからないし、もちろんどちらにも入らないかも知れない。

だけど、この二つのうちどちらか、と言われたら、とても悩みます。

帯になんとか、ですね。


この二つの施設を見た後、もし、国のお金の施設を見たら、きっと愕然とするでしょうね。
あまりの貧弱さに。

もちろん安いからしかたないのですが・・・


と、思ったら、なんと!

小泉政府は、老人介護の給付の切り下げをやるみたいです。
現在の老人福祉施設では、食費や室料は国からの給付なのですが、
もうすぐ、自己負担になるそうです。

これでは、有料と無料の施設の差がなくなります。

税金は、どこにいっているのでしょう・・・・


そして。

やっぱり、こんな社会福祉政策をやる現在の政府を、国民は支持するのでしょうか。

なんにも知らされていない、知ろうとしていないのではないでしょうか、にほんこくみんは。


本日、期日前投票に行ってきました。手続きは、簡単でした。

AVばなし(2)

いつのまにか、アクセス数が50000を超えました。

これもひとえにみなさんのおかげです。ありがとうございます。

それにしても、50000とは感慨深いです。

始めたのが、一昨年の暮れ、1年と8ヶ月ちょっとで達成できました。

これからも、なんだかわからないですが、単なる日記でもなく、単なる感想文ではなく

単なる論文めいたものでもないものを、書いていきます。

これは私にとっての、実験場なので・・・・


あ、あと、私的と公的をどこまで交差できるかも考えたいです。

あと、できるだけ、「わかりやすく」書きたいです。

これからもよろしくお願いします。


さて、AVばなしの続き。


これを読んでいる人の中で、舞台で演技をしたことのある人、手を挙げて!


その人に聞きます。もし演出からあるいは台本上、全裸になれと言われたら
どうしますか?その役から降りますか?

まあ、全裸になることがそんなにおかしくない劇団であったり芝居であったりすることが
あらかじめわかっていることが多いでしょうが、まあ演劇やる人でそれを拒否する人はいないでしょう。

あ、もちろん、そんなことするぐらいなら役を降りたり劇団を辞める、という人もいるかも知れませんが、そういう人は、舞台人とはまず呼べないでしょうね。

はだかになることが恥ずかしいのなら、そもそも舞台に立たないでしょう。

ただしそこでよく使われる「条件」が、「必然性があるなら」というやつです。

こいつがくせもの。

舞台上の必然性とは何か。


舞台上の必然性なんて、そもそも舞台は非現実世界なんだから、どうにでもなるわけです。


その上、急に脱いだとしても、それが舞台である以上、観客はなんらかの「意味」を付与してしまいます。


そしたら、この「必然性」とは、現実の必然性なんでしょうか。

その俳優の現実上の要請で脱ぐ、つまり、脱ぐことで前人気をあおるとか、人気挽回をはかるとか、そういうことでしょうか。

しかし、まさかそのような意味で、「必然性があれば脱ぎます」とたとえば女優が言うわけはありませんね。

となると・・・・・

舞台ではどんな必然性もありうる、現実の必然性のことはまさかいわない。

そうなると、この「必然性があれば」というのは、私は次のように解釈せざるをえないと考えます。

「見ている人を欲情させるだけの必然性以外のなんらかの事情があれば」ということです。

見ている人を欲情させること。


これは、現実世界の人の欲望を、非現実世界のできごとがあおることです。


もちろん、演技とは、現実世界の住人の感情を、非現実世界のできごとがあおることですが、

全裸の場合は、観客の感情の、もっと奥の、欲望に、働きかけることです。


通常の演技の場合、役者の感情は他の役者の感情によって引き起こされまた働きかけることになります。そのようすを「かいまみ」することで、観客は、自分の感情を動かすのです。

しかし、全裸という演技?は、他の役者を「欲情」させながら観客を「欲情」させるという、通常の演技の他に、それを見ている観客そのものを「欲情」させることもできるのです(ストリップなんかそうですね)。

なんらかのわざで観客を悲しませたり怒らせたりするのは、もう演技と呼ぶのは難しいですね。

観客を直接喜ばせるのはお笑いのライブだし、怖がらせるのはたとえば稲川淳二の怪談話みたいなもので、どちらも演技と呼ぶのは難しいです。

でも、ストリップは、演技、ですね。あれを演技と思わない人はいない。

こう考えてくると、はだかになる、という「わざ」は、演劇をやる人間の見果てぬ夢をやってしまっている、ということになります。

演技(非現実世界の所作)によって、直接、現実世界の住人(観客)の理性の奥底の欲望を動かすことができる、そんなことなのです。

これは禁断の「演劇的行為」です。だっていままで一生懸命「かいまみ」で観客の感情を動かそうとやってきたのに、脱いだら直接それをできちゃう、しかもかなり深い部分の感覚をあおることができる。
これは、本当に禁断の木の実です。


しかし今までの話はすべて、女→男 でした。

逆はないのか。また、同性どうしはないのか。


つづけて考えてみます。

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