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AVばなし(3)

琉那さま、おひさしゅうございます。

あなたは毎日がそれこそAV、しかもかなりハードな、かもしれませんね(笑)。


とんでもない台風がようやく去り(でもまだ北海道あたりにいるんですよね)
少し落ち着いて、最近の話題のAVに戻りたいと思います。

若干このネタ、いつも来ている人はひきぎみかもしれませんが、でもとてもとても大事な問題だと思うので、考えさせてください。

今まで書いてきたことの中心は、AVの表現とそのほかの(映像)表現とは同じなのか違うのか、やるがわはどうか、見る側はどうか、社会はどうか、作品としてどうか、そんな感じだったと思います。

そして、見る側といったとき、そこに、ジェンダー(または、生物的性としてのセックス)の問題が絡んでいることもみえてきました。

つまり、男はAVに何を見ているのか、女はAVに何を見ているのか、(この場合の男・女は、ジェンダーかセックスか、はたまた、それらとも異なる区分なのか、が大きな問題ですが)

ここで気になるブログを見つけました。
星川ヒカルさんのブログ、ヒカルンバ☆です。

これは、よくあるAV女優のブログと異なり、かなり星川さんの内面が見えるものです。

おもしろいのは、彼女がどうも時給1000円ぐらいのアルバイトもしているみたいで(もちろんその店には自分がAV女優であることが内緒で)その内緒ぶりやらなんやらが、AVとは何かを考えさせる大きなきっかけになるのです。

このブログにもあったのですが、煩悩ガールズというグループ?がデビューするようで、このグループの説明に、
女の子100人とニューハーフ何人とAV女優何人みたいな書かれかたがあるみたいです。

AV女優とは、職業というより、「ある生き方」と呼んだ方がいいのかも知れませんね。

ただ私の、AV女優理解の根底には、名著「AV女優」があるので、かなりの偏見があるかも知れません。


そしてそのことは、表現者すべてにつながる根底のようにも思えるのです。


演じるとは、結局、肉体の裸も含めた、人生のはだかをさらすこと。
役者とは、さらして見せることではじめて生きている資格を得る人のこと。


AV女優が、他の表現者とことさら区別されるのは、その「根本さ」が
脳天気な人々の平凡な日常を打ち砕くことを、演じることを忘れて日常に流される人々がおそれているからなのでしょうか。

さらさなければ、生きていない、のに。


この問題、もう少し考えます。

考えながら、次々と、AVDVDを見ていこうと思います。

頭だけでなく、しっかり、体も、反応させながら。

(だから私は、研究的態度でAVに接することは大嫌いです。それは、結局、差別、です。)


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コメント

なみおか映画祭が終了したとです・・・ヒロシの姉です・・・

何かを「表す」のにも、正しいものと間違ったものがあるのでしょうか・・・それはどうやって決まるのでしょうか・・・

本当に基本的なことと思うけど、人から聞いたことではなく自分が感じたことなので、ちょっと書きます。

演じることは、「虚」なのだ、ということをhirotakaさんもずっと言っていますが、それを、ふと、リアルに感じとりました。


演じる。
それは現実通りでなくてはならないと思いがちかもしれませんね。
でも、そうとは限らない。


演じることは、現実より、リアルだ。


そう感じました。


人と人との間には、それぞれのリアルがある。
他から見て嘘であっても、当事者たちにとっては、それが真実。


そして周囲はその一部分を見て、その人に記号を付す。


だとすれば、真実は一つではない。
また、現実も一つではない。
いくつもの「虚」が現実を作っているのではないでしょうか。


誰もが、それぞれの真実を演じているのでしょう。


そして、私は、今日も。
嘘ではない、私という私を演じます。

うーん、男です。
単純に モ細工があるかないかでも
みるほうは違った印象をもつ気もしますが・・・
そのあたりはどうなんでしょ?

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