AVばなし(2)
いつのまにか、アクセス数が50000を超えました。
これもひとえにみなさんのおかげです。ありがとうございます。
それにしても、50000とは感慨深いです。
始めたのが、一昨年の暮れ、1年と8ヶ月ちょっとで達成できました。
これからも、なんだかわからないですが、単なる日記でもなく、単なる感想文ではなく
単なる論文めいたものでもないものを、書いていきます。
これは私にとっての、実験場なので・・・・
あ、あと、私的と公的をどこまで交差できるかも考えたいです。
あと、できるだけ、「わかりやすく」書きたいです。
これからもよろしくお願いします。
さて、AVばなしの続き。
これを読んでいる人の中で、舞台で演技をしたことのある人、手を挙げて!
その人に聞きます。もし演出からあるいは台本上、全裸になれと言われたら
どうしますか?その役から降りますか?
まあ、全裸になることがそんなにおかしくない劇団であったり芝居であったりすることが
あらかじめわかっていることが多いでしょうが、まあ演劇やる人でそれを拒否する人はいないでしょう。
あ、もちろん、そんなことするぐらいなら役を降りたり劇団を辞める、という人もいるかも知れませんが、そういう人は、舞台人とはまず呼べないでしょうね。
はだかになることが恥ずかしいのなら、そもそも舞台に立たないでしょう。
ただしそこでよく使われる「条件」が、「必然性があるなら」というやつです。
こいつがくせもの。
舞台上の必然性とは何か。
舞台上の必然性なんて、そもそも舞台は非現実世界なんだから、どうにでもなるわけです。
その上、急に脱いだとしても、それが舞台である以上、観客はなんらかの「意味」を付与してしまいます。
そしたら、この「必然性」とは、現実の必然性なんでしょうか。
その俳優の現実上の要請で脱ぐ、つまり、脱ぐことで前人気をあおるとか、人気挽回をはかるとか、そういうことでしょうか。
しかし、まさかそのような意味で、「必然性があれば脱ぎます」とたとえば女優が言うわけはありませんね。
となると・・・・・
舞台ではどんな必然性もありうる、現実の必然性のことはまさかいわない。
そうなると、この「必然性があれば」というのは、私は次のように解釈せざるをえないと考えます。
「見ている人を欲情させるだけの必然性以外のなんらかの事情があれば」ということです。
見ている人を欲情させること。
これは、現実世界の人の欲望を、非現実世界のできごとがあおることです。
もちろん、演技とは、現実世界の住人の感情を、非現実世界のできごとがあおることですが、
全裸の場合は、観客の感情の、もっと奥の、欲望に、働きかけることです。
通常の演技の場合、役者の感情は他の役者の感情によって引き起こされまた働きかけることになります。そのようすを「かいまみ」することで、観客は、自分の感情を動かすのです。
しかし、全裸という演技?は、他の役者を「欲情」させながら観客を「欲情」させるという、通常の演技の他に、それを見ている観客そのものを「欲情」させることもできるのです(ストリップなんかそうですね)。
なんらかのわざで観客を悲しませたり怒らせたりするのは、もう演技と呼ぶのは難しいですね。
観客を直接喜ばせるのはお笑いのライブだし、怖がらせるのはたとえば稲川淳二の怪談話みたいなもので、どちらも演技と呼ぶのは難しいです。
でも、ストリップは、演技、ですね。あれを演技と思わない人はいない。
こう考えてくると、はだかになる、という「わざ」は、演劇をやる人間の見果てぬ夢をやってしまっている、ということになります。
演技(非現実世界の所作)によって、直接、現実世界の住人(観客)の理性の奥底の欲望を動かすことができる、そんなことなのです。
これは禁断の「演劇的行為」です。だっていままで一生懸命「かいまみ」で観客の感情を動かそうとやってきたのに、脱いだら直接それをできちゃう、しかもかなり深い部分の感覚をあおることができる。
これは、本当に禁断の木の実です。
しかし今までの話はすべて、女→男 でした。
逆はないのか。また、同性どうしはないのか。
つづけて考えてみます。
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