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2005年8月

AVばなし(1)

AVについては、一度しっかり向き合おうと思っていました。

何に心ひかれるのか。

何がいやなのか。

ただの自己快楽装置なのか。

作品、なのか。

そして。

「AVの観客」は、何なのか。

その手がかりとして、「高樹マリア」さんで考えてみたいと思います。

「高樹マリア」さんには、二つの顔があります。

この顔(A)
この顔(B)です。

この顔(A)には、この顔(B)のことは全く触れられていません。
もちろんその逆も。

時間的には、(B)→(A)なのですが。

同じ表現なのに、なにが違うのでしょうか。


それぞれの顔に付せられた、「記号」が違うのでしょうか。

観客がそのような「記号」を付すのでしょうか。


全く同じ演技をしても、たぶん違うのでしょう。

AV  という表現は何なのでしょうか。

河原乞食という、昔、恥ずかしも誇らしい表現者に付せられた「記号」に
現在もっともふさわしいのが、AV俳優(男優も)ではないかと思うのです。

このこともう少し考えてみます。


一週間のふりかえりとAV

おひさです。

まずは、コメコメントを。

>心太さま

そうですか、ぷるぷるしていますか。あ、違うか(笑)。
定時制に変わるかもということですね。この右のリンクにある
「つめたいよるに天使たちが」は、定時制高校の先生のHPです。
私の教え子です。見てみたらふんいきわかりますよ。
彼が、定時制から離れたくないなあという気持ちわかります。
でも、そんなに甘くもないから、ここのようすで予習しておいてくださいね。


さて。

怒濤の一週間が終わりました。
忙しいと全く別のことを考えてしまいますよね。
そのこともあわせて、載せてみます。

8月21日 結婚式

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新婦は前に勤めていた大学の教え子であり、現在の大学の院生でもあった人。
新郎は現代の大学の院生であった人。今は系列の学校の先生。

新郎も新婦も、私は、その過去の恋をよおおおおく知っているんだけど、結婚式に列席していたほとんどの人も知っているという、和気藹々?とした結婚式。

だれもがスピーチをしていっぱい語りたいけれど「ここではいえないことばかりで」と言ってしまう結婚式。

だれもが、「ああようやく・・・ほんまに時間をかけやがって」とやきもき感がはれた喜びいっぱいの結婚式。

相手のことばかり考えて、でもどこかで爆発してしまうような不器用な人生を生きてきた二人が、自分をぶつけあえるパートナーを見つけて、「自分らしさ」をほどよく出せるようなれたことを確認できた結婚式。

感無量でした。

8月22日 
(午前) M市のある中学校の校内研修会。午前中いっぱい使って、この学校の教育目標である「社会的コミュニケーションの育成」について話をし、みなさんと意見交換。

古典的な竹内郁郎のコミュニケーションモデルでコミュニケーションの類別を確認し、この学校がどのコミュニケーションについて考えていこうとしているのかを討議しました。また、これらのモデルにはまらないコミュニケーションが現れており、そのことをふまえてどのような実践を構築すればいいかを、各教科でかんがえてもらいました。


竹内郁郎のコミュニケーションモデル


(午後)
広島県の私学の研修会。全体講演に宮台さんや身体論の竹内さんを呼ぶなどかなり気合いの入った研究会。私は、図書館部会に参加して、これからの私学の学校図書館がどうあるべきかを議論しました。

ここで私は次のようなことを提案しました。
・私学の学校図書館は、公共図書館でも公立の学校図書館でもないものであること
・私学の学校文化を象徴するもののひとつが学校図書館であること
・したがって戦略をたてて、その学校らしい図書館はなにかをニーズ調査をしたり企画をたてたりしていくこと

みなさんはこの提案に従って、今年中に「学校図書館戦略プラン」を立てていくようです。

この夜から、児言態の合宿にいよいよ入ることになります。

8月23日

K町のY小学校。ここで児言態の先生たちが授業を行います。
前日の朝まで授業検討を加えて臨みました。

テーマは「生命の発露としてのイマジネーション、その体感を語る−雪になる、胎児になる−」

なんとすごいテーマ!

このテーマで、Y小学校6年生、K先生のクラスで授業が行われました。

導入の後、目をつぶって暗闇を意識します。そしてそこに雪を降らせます。
そう、「闇の中で雪が降る」

子どもたちは、見えるもの感じるものを次々と答えていきました。
それは、児言態の先生たちの予想を超えたものでした。

先生たちはただ「地面に落ちないようにしてね。」というだけでよかったのです。
地面=現実世界 そこに落ちないように、非現実の世界=夢の世界=異世界
で、「遊ぶ」ことを求めるだけでした。

とうとう次のような子どものことばが出てきました。
「雪が落ちかけてでもまたあがって雲までたどりついてそこで仲間をつれてきてみんなで虹をつくる」

深層意識の<イメージ>が、闇や雪の「トリガー」によってひきだされ、子どもたちを「浮遊」させたのです。

その後はみんな「胎児」になって、「胎児の記憶」を書きました。

もちろん、「人はだれも胎児の記憶を残してるからそれを書きましょう」というようなものでありません。自分の中の<イメージ>のままに書いたのです。

その作文は、またお見せすることができるかも知れません。

終わった後、子どもたちが、「ふうっ」という気分で「こんな授業うけたことない」と言っていました。私も変なたとえですが、「お風呂に入っていた」感じがしました。

午後からは、Y小学校の授業検討会。秋の公開研究会に向けて、この学校のパワー全開の授業が目白押しです。障害児学級では、2クラスとも、レストランを開きます。子どもたちが作ったほんまののの産地直送の食材を使った、ほんとうのレストランです。楽しみ!

その日の夜は遅くまで児言態の人たちと語り合いました。

8月24日は M市のK小学校で授業検討会。ここは論理力の育成が目標。とにかくおもしろい活動をくんで、授業をつくっています。ここは、独自の論理力育成プログラムを作っています。こんな公立学校、ないですよ!公開研究会は10月27日!!

8月25日 この日は、午前は組合の書記局会議。懸案がほんとうに山積み。ほんとうに。自分の大学の問題点が、ほんとうによくわかります。午後からは、講座会議。夕方から、ゼミをしました。

8月26日 H市のM小学校の授業検討会。ここは「話す聞く」ことを研究しています。研究主任がほんとうによくがんばっている。ただちょっと一人だけになりそうなので、チームを作ってもらうことを提案しました。
その後は、O町のN小学校の授業検討会。ここもおなじみさん。国語専科の先生がコーディネータになってくれて本当に楽でした。

8月27日 科研の合宿。詳しくはこちら

みんな熱心にやっています。


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いろんなことを学びましたが、とにかくなにより、来月の終わりからカナダに行きます!!
そのことが本決まりになりそうなのがうれしい。

さあ、準備をしなきゃ!!!!


あ、いろいろ書きすぎてAVについて考えたことが書けなくなりました。
AV でとんできたひと、ごめんなさい。次に書きます。
話題は、「高樹マリア」さんについてです。


怒濤の前触れ

明日から怒濤の何連勤になりそうなので
(といっても明日は長いつきあいの教え子同士の結婚式。親代わりみたいなもので、
楽しみでもあり、どきどきしてます)

コメントをいただいた方にコメコメントを。

>Lさま

遅くなりましたがブログの新しいデザインをほめていただいてありがとうございます。
あなたのブログと似ていたのは、偶然以上のできごとかもしれません(笑)
それから、しんどい手紙、終わりましたか?きっとあなたをまた一歩、そして相手の方も
一歩、前に進めてくれるでしょう。そのように信じましょう。

>ガメラさま

戦争メタファー、お嫌いなんですよね。
私もメタファーで戦争を語るのはいやです。
メタファーではなく、本当の戦争を語りたいです。
戦争だって、相手を殺すだけのものではありませんから。
本当の戦争を、やりたいです。

>ところてん、あ、ちがった、心太さま

おひさです。お元気ですか?今は高校生でしたっけ?
高校生活はいかがでしょうか。

それにしてもびっくり。お兄様がレスポワールのパティシエとは!!
いつもはデザートを食べるんですよ。とてもおいしい!
でも、よめさんが辛党なんで食べれんかった(泣)
次は、お兄様をご指名させていただき、デザートをいただきます。

> 海鳥さま

お初にお目にかかります。コメントありがとうございました。
そちらのブログにも遊びに行かせていただきました。
食べ物とお馬さんの話が多いんですね。
おなかがすきました(笑)

尾道は今外からの力で熱くさせられていますがそんなことに関係なく
ぜひ秋にはいらしてください。
なお尾道ラーメン、私的にはやはり朱華園が、べたですが好きです!

>梅さま

先日は学会にお越しいただきありがとうございました。
ある意味節目の学会になると思います。
そうそう、冬の合宿はぜひやりましょう。
難波ゼミOBと現役生を入れて盛大にやりましょう!
計画しようね!

ところで花火大会は、誰と?(笑)

>こまつさま

いつもごひいきに。

そうです。思い出は、誰かと共有したら、百万倍。
一緒に行く人がいないときは、行きずりの人でもいいじゃん!
なんて大胆かなあ・・・

まあ尾道いらしたら、このわたくしめが案内致しますよ!!

>ヒロシの姉です・・・さま

そうですか、実家でなかなか苦労していますね。
ずっと一緒に生きてきた人と実は息が合わないことを
発見することは、悲しくもあり、でも、なんか新しい面を見たような気もして

家族って不思議だなあ。愛しいけど残酷だなあと、「東京物語」を見てますます
そう思いました。

ヒロシの姉です・・・さま、こちらにお戻りになる時をお待ちしております。


東京物語を観た

初めて東京物語をDVDで観ました。

車の持たない私にとってネットで予約できて郵送してくれる
レンタルDVDはすばらしい発明です。

これで、あんなDVDやこんなDVDを借りまくれるので
もう、大変。

腰が、いや、目がもちましぇんん。


さて、東京物語。


いろいろいろいろ考えました。


昔から言われる、カット割りの仕方とかせりふの言い方とか
あと、女優さんの美しさとか
日本語は変わったなあとか

ただ思ったのは、日本人と葬式と親子というものの、つながり。
これは今も昔も変わりません。

葬式になったら子どもが集まって日頃は隠れている本音がぶつかり合う。

葬式という儀式は、穏やかに見える日本社会の、裂け目、のようなものなんですね。

ところでこの東京物語。

物語の場所は、東京と、なんと、尾道。

そう、この前訪れた、そして、私の大好きな尾道。

千光寺公園から見た、尾道と向島の間を船が通る風景が、この映画にも出ていました。

静かさと、時間のうつろいと、なんともいえないむなしさとを、この風景がとてもよく表していました。


まあ、映画好き&尾道好きの人にとっては当たり前のことなんでしょうが、すごい偶然で
びっくりしてうれしくなったわけです。

そして。

今夜もう一つの偶然が、尾道で重なりました。

ある人が尾道駅にやってきて、そこの選挙区で立候補することを表明したのです。


選挙民は、彼の宣伝に使われるようです。

馬鹿にしています。

今日は介護補助に

今日は母の介護補助に出かけました。

私の母は大正14年生まれ。最近ある病気が少し進んできて

いろんな病院に行っています。

自分では出歩けないので、この車椅子ででかけます。

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付き添いはもっぱら妻ですが、今日は私も補助としてついていきました。


車椅子というのは扱いが慣れるまで難しいです。
自分が押しているときは、なんかすいすいいけるのでおもしろいような気がするのですが
はっと気づくと乗っている人を無視して動かしている時があります。

自動車から車椅子へ移動する時またその逆の時の、体重のかけ方の介助の仕方
小さな段差をスムーズに乗り越えるための押し方
車椅子を押しながら何か別の時をしなくてはいけないときの、段取り
(たとえば、自分がトイレに行きたくなったとき、車椅子をどこに安全に止めるかをまず決めて止めてから自分が動く、など)

今日は病院の付き添いと買い物の付き添いをやったのですが、
難しいのが、買い物。

病院は「定型的な移動」ですが。買い物は「非定型的な移動」の典型ですね。
これがむずかしい。


車椅子に乗っている人は、もし乗っていなければ自分の思うものを買うために自分の思うように動けます。
しかし、車椅子の移動ではそうはいかない。

押している側は、乗っている人の内心はわからない。
だからといって外言だけで動いていると、乗っている人には不満がたまってきます。
「あんまり色々言って動かしてもらうのは悪いな」
「だからこれ買うのは我慢しようかな」
「と思っているこの私の思いをわからずこいつは言っていることしかやらないな。やさしくないな」

とまでは思わないでしょうが、なんなく微妙なすれちがいが起こってきます。

そのすれ違いの原因としてもう一つ考えられるのが、視線の高低の違い。


わかりますよね、押している人は上の方。
乗っている人は、下の方のみ。

見ている世界が違う。

選択する元のリソースが、違う。

これは、すれ違いますね。

スーパーマーケットの「優先棚」の戦略からは
(子どものそれを除いて)
車椅子人は除かれているのでしょうか。


同じスーパーで買い物しているのにもかかわらず、
車椅子人と介助人とは
なかなか息が合わないものなのです。


何かに似ています。


後で合流した、ベテラン介助人のおくさんにこのことを報告しました。

「あ、あたしは全然買い物のつきそいは抵抗無いわよ。」

と、あっさり。

ううむ、ううむ、ううむ。

単にこれは、私が買い物慣れしていないだけなのでしょうか・・・・


尾道二人行

そんなわけで、ひさしぶりの休み。

休みに出かけるといえば、やはり尾道!!

というわけで、今日もまたまた尾道に行きました。

今回は、妻と二人。

たまたま休みがあったので、はじめての尾道二人行であります。

まずは、出発の白市駅 午後9時26分発の電車に乗りました。

駅の待合室のよめさん
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ちょっと早く来たので少し駅で待ちました。


駅のホームのよめさん

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なんか少年みたいな格好ですね(笑)


電車に乗って尾道へ。


着いたのが10時15分。

海岸側を歩いて千光寺公園に行くことになりました。

歩いて、ロープウェイの駅まで行きました。
歩いても行けるのですが、暑い暑いということで乗ることにしました。
千光寺ロープウェイ

とても急斜面なところを3分ほどで昇っていきます。
多くのロープウェイが案内をテープでやっているのに
ここはちゃんとおねえさんが案内をしてくれます。
なかなか、派手なおねえさまでした(写真は検閲により削除)

展望台にあがって風景を眺めます。
昼間で暑くて堪能する、とまではいきませんでした。

写真もうまくとれなかったので、夜景の写真でがまんしてください。


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あそうそう、千光寺公園の少し淋しい遊園地の一角で、柑橘系の果物で
なんと器をつくっている工房がありました。
びっくりして、一枚。
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ゆっくりしたかったのですが、12時20分にランチの予約をしていたので
少しあわてながら、再びロープウェイに乗って山を下りました。
(おすすめとしては下山の時は、文学のこみちを歩いていくのがいいです)

尾道の商店街を少し急ぎ足で行き、今回のメインイベント、レスポワールのランチへ。
前にも書いたけどここは大好きなレストラン。

今日は初めてのランチ。さあ、よめさんは喜んでくれるかどうか・・・

暑い暑いといっていたよめさんは、まずはビール(笑)
私は水で乾杯。

注文したのは、私はエビフライランチ よめさんはパスタランチ
代表的な料理の写真がここにあります。

では、私たちが食べたメニューを。

(前菜)
私・・・オードブルの盛り合わせ(フォアグラぽいもの、生ハム、魚のでんぶのようなものなど)
妻・・・鯛と蛸と太刀魚とほたてのカルパッチョ

とてもさわやかな2品でした。

(スープ)
コーンスープ 自然の甘さ

途中、餅パンのサービスが。

(メイン)
私・・・大きなエビフライ2匹。山盛りのサラダ、ポテトサラダも、エビ殻のソースとタルタルソースのダブル攻撃。
妻・・・エビとほたてのクリームパスタ。結構量が多く満足して多様でした。クリームには魚のだしが効いていました。

尾道ラーメンが食べたいというよめさんの希望で、ドルチェは省略。グラスワインとグレープフルーツジュースで、おしまい。

さあ、これでいくらだと思います?

場所は海岸。駅から歩いて10分ほど。テーブルはたくさん。ピアノの生演奏付き。料理はおいしく、前に書いたように接客もすばらしい。

パスタランチは1200円ほど、エビフライランチは1400円ほど。

どうです?びっくりでしょ?

よめさんも大満足で、少しお酒がはいってふらふらしながら(笑)再び尾道商店街へ。

古本屋に行ったり、駄菓子屋に行ったりして、のんびり。

よめさんはほしかった、晴雨兼用傘を買いました。


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ほのかな酔いと歩き疲れた疲れでふらふらしながら尾道駅へ。

15時39分の電車で帰りました。

帰りの電車で二人でいねむり。クーラーが効いていて、ああ、気持ちよかった!!


こんな、お休みでした。


選挙なんだけど

保阪正康さんが、どこかで書いておられました。友人の話をしていて、自分たちは保守派の評論家として活動していたのに、いつのまにか左側に移ってしまったと。
つまり、日本社会の右傾化はとても激しいものがある、ということです。

東京都杉並区も、「つくる会」の教科書を採用するようです。

小泉は、新自由主義を個人の怨念に乗せて、見事に大衆を扇動しています。

日本の社会の閉塞感がこれでなくなるかもと思って、人々は小泉劇場に何かを託しています。

激しい競争主義の向こうには、荒野が広がるでしょう。

それを人々が望んでいることが、今の日本社会の最大の問題です。

広島に来て、県内あちこちを回るようになって(私は免許を持っていないので学校などを訪問するときは送迎してもらいます。その車内でいろんな話を送迎していただく方と話します)はっきりわかりました。

恐ろしいほどの、過疎。

広島県内で言えば、広島市内の一部と東広島市(広大がある)をのぞいて、すべて人口が減っています。
山も島も町もみんな。
人が昼間でも、いない。

車できれいな道路を走っても、沿線には人が歩いていない。

学校は、単式→複式→統合→再統合 となり、 地域から消えていきます。

平成の大合併がそれに拍車をかけています。


保守派の人々は、日本社会をここまで荒廃させている新自由主義についてどう考えているのですか?


選挙でもし小泉が勝ったら、あと1年以上このような状況が続きます。
小泉が辞めた後、誰がその責任をとるのでしょうか?


この3年ほどで、なにか変わったでしょうか。
すべてが中途半端。

郵政民営化だけを徹底したい、小泉。


民営化したJRが誕生したために、日本の私鉄がことごとく疲弊しています。
私鉄王国の凋落参照)
そして、大事故。

次々現れる巨大な「元官製民営化会社」が、民業を圧迫するのです
(ゆうパック対宅急便の、コンビニ戦争参照)

なぜ日本人は、「なら政権を交代させよう」と考えないのでしょうか?

不思議で不思議で不思議で 仕方ありません。


今のままでは、高級官僚の天下り場をいっぱい作るだけなのに・・

その一例


法人化した国立大学には、今でも、文部科学省から「交流人事」と称して
部長クラス以上の事務官が送り込まれます。

彼らは、その大学の状況が分からないだけでなく、「法人としての仕事」がわからないから
なんにもできない。

ほんとうに、なんにもできない。


なんにもしないで大過なく過ごして、本省に帰ったりするのです。


組合の交渉で、このような人たちと相手にしても、なんにも事態が変わらない。
困るのは、末端の事務官であり、私たちなのです。


いち早く法人化した国立大学の、悲惨な状況は、
あの[Nature]という有名な理系雑誌にも掲載されました。

このままだらだらこの政権を続けていいのでしょうか?
一時のもりあがりで。

小泉は、靖国参拝を本日行いませんでした。

そういう人なんですよ。

あ、そうか。


これは、国語教育の敗北ですね。

「自分の思っていることを公的な場面ではっきりいう。中身はなくても」
というような授業を、中学高校とまったくしていない、希有の「先進国」
日本の、すばらしい「読むこと重視」の授業のおかげで
「自分の思っていることを公的な場面ではっきりいう人」にあこがれ
批判的に見る目が育っていないんですね。

自分ができないから、中身はなくとも「すごい」と思ってしまう。


国語教育の敗北です。


中学や高校の、「ただただ教材を指導書にしたがって説明している」授業のおかげで
小泉は、その命脈を保っているんです。


最近広島ではやっている「言語技術教育」が
「結論から先に、と、ナンバリング」だけですから、お先真っ暗ですね。

「言語技術教育」の根幹は「批判」ではなかったのでしょうか。


9/11の選挙。

日本が問われています。

8月前半の総括

ようやくお盆に入ってお休みです。
みなさんのお盆はいかがですか?

妻と次男が、義父の初盆に帰り、長男・三男と3人で過ごしています。

少し振り返ってみましょう。

8月8日(月曜)
学思会の国語教育研究会でした。私が関わっている学校だけに案内を送りましたが、
そのほとんどの学校から参加していただきました。60人ぐらいでしょうか。
参加していただいた方、ほんとうにありがとうございました。

サプライズにしていた講演は、同じ大学の総合科学部の
クロードさんにお願いしました。

クロードさんは、一昨年一緒にフランスにご一緒した方です。
社会学を専攻されていますが、現在は広島の中学校でフィールドワークしておられ
広島県の教育システムについて、広島県人よりはるかによく観察しておられます。

講演でクロードさんが強調したのは、「絶望してはいけない。確かに私たちの外側に制度があるけれど、私たち自身も制度なんだ。自分で考えて制度を自分が変えることができる。まずは、ルーチンになっている仕事を見直してみよう」
ということでした。
1時間ほどの短い時間でしたが、多くの先生方の心に響いたようでした。

実践発表もワークショップも好評で、ようやく大会の骨格ができたような気がします。

8月9日(火曜)
尾道市立U小学校。今年から行き始めた学校です。国語の研究をはじめてやろうとしていますが、心意気は本当にすごい。校長先生は穏和な中に鋭さのある方、教務主任は理系の論理屋さん。教員は女性が主体の、子どものことを真剣に考えるあまり手放すことにできない方たち。役者はそろっています。
あとは、私がうまくひっかきまわして、先生たちが自分で授業を作品として作り上げていくことができるようになればOKです。おもしろい活動と、力の付く学習の、表裏一体/虚実皮膜を、ぼちぼちやっていただきましょう。

8月10日(水曜)
午前は安芸郡の中学校の先生方の研修会での講演。30年前のコミュニケーション論の分類では、もう現在のコミュニケーションはすくい取れないことを指摘しました。疑似対面媒介的コミュニケーション行為が生まれたからです(インターネットなんかね)。この結果、対面のようで対面でないベンベン(関西人しかわからない?)というようなことが生まれたわけで、このことに教育がうまくついていっていないから、授業は変わらざるを得ないと言いました。後半はいつものようにワークショップ。今回は5人一組で、相手の音読を相手の顔を見てちゃんと聞く、ということをやりました。
見ていておもしろいのは、プリントを持っていると、「プリント見ないで話している人を見て!」と言っているのに、プリントばかり見てしまう先生が多いんですね。いちいち注意しましたが、意外そうな顔をされていたのが印象的でした。

8月11日・12日(木・金曜)
広島大学教育学部国語教育学会がこの2日間で開催されました。この大学出身者を中心に、実践発表や研究発表、シンポジウムが開かれました。
聞いているとみんな同じことを言っているような気がしました。ちょっと並べてみると
「国語科が国語科にとどまってはいけない」
「国語教育は、学習者の生活や学習者自身の自己に関わらなければならない」
「文章を読むだけでは読んだことにはならない。筆者や作者語り手の思想と対話し格闘し、それを批評し、そのような批評をしている自分を批評していくことが重要」
「ことばに向かわせるエネルギーは、教師の熱意/他者とのつながり/授業のおもしろさ/自己の変革への意志などから生まれる。」

聞いていて「きついなあ」と感じたのは、ここにいる人たちが、おそらく「マイノリティー」であるということです。現場に戻れば少数者(だって国語科の教師の多くは、文章の下手な解説者にすぎないですから)、研究者だって大学に戻れば少数者(教科教育の研究者は、圧倒的に弱者です)であるということ。
みんな、少数者の戦い方はやっていないなあと思いました。
少数者が連合する時代から、多数者を撃つ時代に来たのではないでしょうか。

まあ私などはそんなことばっかりやっているピエロですがね(笑)。

ここに以前に紹介した、「これからの文学教育」のゆくえ 買っていただきましたか?

ここで私はかなり批判されているのですが、それがとても気持ちいい(笑)。
まあ読んでみて下さい。


長男はたぶんデート。男二人の、夏の夜が過ぎていきます。

8月7日に

昨日は結婚式。

私が今の大学に赴任したとき、はじめてチューター(担任)をした学年の同級生同士の結婚式です。

自分が通い、また前に勤めていた大学の経験から考えて、チューターなんてたいしたことないや、まあ、おかざりでしょ、と思っていたのですが、4年たってみると、ゼミ担当とは違う、なんともいえない思い出深い経験になりました。

私の大学では、3年後半まではチューター、それ以後はゼミ担当の教員が、学生の世話をするということになっているのですが、ゼミの教員とチューターの教員とは、なんとなく学生も教員も、受け止め方が違うのですね。

中学や高校で言えば、チューターは担任で、ゼミは部活動の顧問みたいなものでしょうか。

直接的な影響は顧問(ゼミ担当)の方が大きいけれど、担任(チューター)の存在はふんわりとあるみたいな感じですね。

ゼミ生なら直接に「こんなこと教えたなあ」とか「こんなことがあったなあ」などとこゆい思い出があるのですが、チューターとしては、1年に1回ちょっと話したなあとか、キャンプで話したなあとか、そんな思い出なんですが、意外と、お互いに覚えているものなんですよ。(ゼミの場合はそんな経験が多すぎてあんまり覚えていない)

自分がやってみても、濃いつながりではないのですが、ずっと続くつながりだなあと実感しました。

いろんな種類のつながりを作っていくことが、教育としては大事ですし、生きていくことは、生きていけるということは、さまざまなつながりを意図的・非意図的につくっていくことによると思いました。

今日の中国新聞に、8月6日入場式前の甲子園の練習場で広島代表の高陽東高校が全出場校によびかけて8時15分に黙祷を捧げようとしたことを、高野連の関係者に止められたので、自分たちだけで行ったということが書かれていました。

高陽東高校の生徒が自発的に呼びかけようとしたしたのを、高野連が止めたのだそうです。


一番苦しいことは、一番伝わらない

一番伝えなければ行けないことは、一番伝わらない


個人が声をあげて、他の個人に呼びかけて、その人の意志で、なにかを伝え、つないでいこうとすることが、どんなに難しいことかを、
私は、広島に来て、強く強く感じています。


「政治」ということばを「権力闘争」という意味で使うなら
靖国参拝も、原爆死没者への黙祷も、「政治」になっていますね。

それならそれで、向こう側がそのように「政治」を行うのなら、

私も、「政治」をしてやろうと思います。

左翼だって、「素直な馬鹿」ばかりでは、ありませんよ。


つながることが見守ることであることがわからない輩に対しては、

「政治的に打倒」する必要があります。

私は今、大学の組合の仕事をさせていただいて、「政治的に打倒」することの
技術をしっかり学ばせてもらっています。


待ってろよ! 政治屋どもよ!!
きっちり、倒してやろう!!


再現ドラマが流れています

今20時すぎから、TBS系で、私たち夫婦がエキストラで出た、BBCの原爆再現ドラマが使われた番組が流れています。

私たちは、空襲警報が出ても、わりとのんきに防空壕に逃げ、警報が解除されたらこれまたゆっくり家に戻るところを演じました。


警報は解除されたままになりました。


8月6日の、朝でした。

8月です

ご無沙汰しております。

更新が1週間以上空いてしまいました。

これではアクセスが減ってしまいます。

なんてことは、どうでもよくなるほど暑くて、忙しいですね。

では、恒例の(?)1週間のスケジュールをば。

(先週の予定)

7月25,26日 三次市の小学校にて授業案検討
 この学校の5・6年担当の(複式)先生は、子どもにポスターセッションのやりかたを教えて
 新しい教材に入ったら「ほれ、この教材をポスターセッションでやってみい」とかいって、グループ 
 でまとまりどとの教材のポイントをポスターにして、みんなに伝えるという授業をしています。
 つまり、先生はなんもしないの。すごいです。児童が作ったポスターを見せてもらいましたが、先生 
 の板書よりはるかにわかりやすかったです(笑)。

7月27日 大学
 朝の9時から、ゼミ、授業(テスト)、M小学校の先生たちがやってきて授業案検討、授業、ゼミ、 
 ゼミ、で終了は7時でした。

7月28日 いろいろ
 朝から母親の介護、その後大学に行ってゼミ、学科会議、組合の会議、と続き、夜は名古屋に移動
 
7月29日 名古屋児言研の研究大会に参加
 名古屋児言研は、私が名古屋にいる頃から参加させてもらっているところです。ここは一般の先生方 
 に向けた研究集会を毎年やって、今年で31回目(!)でした。
 午前中は、基調報告と講演で講師は山田太一さん、午後からは分科会で。私は、メディアリテラシー 
 の分科会の司会兼共同研究者で参加しました。
 講演、よかったです。「嘘の力」「他人のわからなさを確認することの大切さ」「メディアが変われ 
 ば表現したい内容も変わる」などなるほどと思う話が、山田さんの創作秘話とともに語られてとても 
 興味深かったです。お昼は山田さんと私と名古屋児言研の重鎮と3人でおいしいおいしい鰻丼(名古
 屋のウナギは香ばしく焼いてあるので、うみゃあ!)をぺろりとたいらげました。
 午後からのメディアリテラシーの分科会も、大変おもしろかったです。一本はメディアリテラシーと
 子どもの権利条約の意思表明権をつないで、子どもたちがメディアを使って自分の言いたいことを特
 定の大人たちに発信する6年生の実践。もう一本は新聞や子ども新聞を徹底的に読み込んで、そのう
 えで。自分の意見がはっきり出た新聞を作る5年の実践でした。どちらも、「子どもたちがおざなり
 でない、借り物でない、自分の意見をほりおこして、メディアにのせて、はっきり意見表明する実践
 でありました。児言研、もしかして、メディアリテラシーで大きく羽ばたくかもしれません。なぜな
 ら、一読総合法(知らない人は検索で調べてね)は、メディアを読むときの読み方そのものですか
 ら。

7月30日 大学
 朝9時から所属する講座の関係の部屋の大掃除を、教員・学生・院生で大掃除。といっても私は自分
 の部屋をおもに掃除していました。午後からは、大学の組合の定期大会。私は書記長なので、仕事を
 いっぱいしました。夜は、その組合の懇親会で、医学部の教員や看護師、歯科衛生士の人や理学部の
 科学者、法学部の研究者や非常勤の職員の人、そして組合専従の人・・・・懇談しました。これはほ 
 んまに楽しかった!!
 私が組合活動を好むのは、この「領域越境性」なんだなとつくづく思いました。

7月31日 ひさしぶりのおやすみ たまっていたメールや手紙の整理で一日が暮れました・・・

(今週の予定)

8月1日 因島市I小学校にて授業案検討。一日中。
8月2日 神辺町Y小学校にて授業案検討。一日中。
8月3日 東広島市H小学校にて授業案検討。一日中。
8月4日 午前三原市K小学校の授業案検討を大学で。午後からオープンキャンパスで広告マンに。
8月5日 大学当局との労使協議(つまり喧嘩)
8月6日 原爆記念日。結婚式に出席。乾杯の音頭。

こんな感じで、さあ、どこまでもつか!!!!!!!

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