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立ち止まりそうになるけど

今は卒論・修論の追い込みです。1月31日が締め切りです。

心配なのは3人。

そのうち一人は、かなり難度の高い修論(えっとこれはマニアしかわからないと思いますが、「大河原忠蔵の国語教育論再考」というテーマです。おもしろい)なので、ギリでもしかたありません。

あと二人のうち一人は、就職がうまくいかず引きこもっていたのですがなんとか引っ張り出して、今はがんばって書いています。でも、これはほんとうにぎりぎり。

さあ、あと一人。

彼は、作文をテーマにしているのですが、中味はとにかく自由に書かせようというものなのです。

その彼の筆が全く進まない。

彼は彼自身の中の、「自己検閲」と戦っているのです。

つまり、何か書き出したら、「こんなの書いているなんてはずかしい」「こんなこと書いても人にはわかってもらえない」「もっとちゃんと書かないとだめだ」みたいなブロックがどんどん起こるのです。
だから、書けない。

もうぼちぼち限界なので、かなり叱りながら書かせています。
ちょうどさっきこんなことがありました。

私「この本を読んで、自分が考えた観点で批評してみてね。」
彼「わかりました」

・・・・全然出来ない
で、なんとか文章を持ってきた。

私「これでは、この本がどんなにすばらしいかを書いていることになるじゃない。僕が言ったのは、君がオリジナルで考えた観点で、この本を切りなさい、と言ったのよ」
彼「この本を見下せばいいんですか?」
私「見下すって・・・評価すれば・・・あ、君もしかして、評価するというのは見下すことと思っている?」

彼の中には人の文章はあがめるものか見下すものかしかないんです。そうしてしまったのは、明らかに周囲の影響(学校や親)でしょうね。
あがめるといっても本当にたたえているわけではない。そうしておかないとまずいという意識が働いてしまうのでしょう。その反動が、見下す、なんでしょうね。

やらされてきた学習、外部の強制を内面化した教育の結果、です。

昨日紹介した中学生の対局にいます。
彼は教師をめざし、彼女はどうなるかわからない。
でも少なくとも彼は、そんな自分を単純に肯定せず、でも、受け入れようとしはじめています。
それが救いです。ものすごく時間がかかりましたが。
彼女に、そんな大人があらわれてくれることを期待します。

トリさん
ネグレクトとその反対の囲い込みと
その極端が進行していますね。
mjさんがいうように大学の役割も大きいですが
トリさんのような中学校の先生のやくわりも大変大きい。

表現科 どうですか やりませんか

昨日の生徒は、美術部でした。彼女は美術の先生にセル画の描き方を教えてもらい
七宝焼きの焼き方を教えてもらっています。美術室が彼女の居場所だったのです。
言葉が紡げるからこそ、彼女は、言葉の要らない場所で、力を蓄えていました。

そうしていると、私のもう一人の盟友(で元教え子)の短大の教員から
電話がありました。
「うちの学生が元彼から脅迫されているんだけど、どうしたらいい?」
アドバイスのアドバイスをもとめる声でした。

この学生も、私の盟友と出会ってはじめて、「大人としゃべった」感覚を持ったと思います。
それまで彼女の回りにいた大人は、だますか押し倒すかいじめるか無視するか説教するかしかなかったのですから。
ただ話を聞く人。そんな大人はいなかったのですから。

ここにも、向き合っている人がいます。

明日は北九州。本当に厳しい現実の中で子どもと向き合っている小学校の先生と話してきます。

今日の食べ物
朝:家
食パン、チーズ、ハムエッグ、野菜ジュース
昼:弁当
ごはん、ハンバーグ、ひじき、卵焼き・・・・忘れた・・・(なにしろ組合のハードな会議をしながら食べたのだから)
夜:家
カレー(今日は9時半に帰宅。それからがさがさと食べました)

今日の一品
・・・・・今日は、ない・・・・・・

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コメント

あ、私、小学校です。図画工作科の専科教員をしています。
図工専科としては、14年目になります。現在、2年生から6年生の12クラスを担当しています。

昨日、コメントしようとしてやめたことがあります。気が重くなったので。
朝イチで指導しなければいけない子どもがいたのです。

6年生の男児。
母子三人の家庭で、母はほとんどネグレクト状態。
母は色恋沙汰に疲れ、精神状態が不安定。ほとんどを寝て過ごしている。
家事は中2の姉がしている。(彼女は不登校気味)
家庭は大変厳しい状況。

前日の6限目、クラブ活動でバスケットボールのゲームの最中、転校してきた5年生男児と接触。放課後に待ち伏せ、罵詈雑言をあびせ、殴る。

その日のうちに、彼とも母親とも連絡が取れずじまい。
生徒指導担当者は、翌朝から出張。

そこで、彼の地区担当でもありクラブの担当でもある私が、担任と一緒に朝イチで事情を聞き指導することになったのです。
彼と担任との関係はうまくいっておらず、彼は担任に反発しています。

で、指導の最中に私が担任の胸中を代弁しました。
昨日の夜、心配で眠れなかったこと等。
すると、それまで指導口調だった担任が泣きはじめ、
「いつも、心配してるんよ。お母さんにはおよばへんけど、せめて学校の中だけではお母さんのかわりになりたいんよ…。」
おそらく、はじめて自分の正直な気持ちを彼に話しはじめました。
なんて言うか、プライドというか教師はこうあるべきみたいな殻を、想いが突き破った感じがしました。その場に感情が流れ始めました。(この先生いつもキーキー言うとるけど、今みたいな感じで子どもと向き合えばエエ感じやのに…)

すると、険しかった彼の目つきが、しだいに、きょとんとした目になり落ち着いた表情に変わっていきました。

その日一日、彼はいつもとあまり変わる事なくクラスでは賑やかに過ごしたそうですが、「目が合うと騒ぐのをやめたり、席に座ったりするんよ。」と担任の先生が嬉しそうに話してくれました。その顔に、その先生の変化が感じ取れました。

hirotakaさんがおっしゃるように、ネグレクトとその反対の囲い込みとその極端が進行していますね。状況は厳しくなる一方です。
教師って、安定した家庭で温かく育てられた人が多いので、厳しい家庭環境にある児童を理解できないところがあるようです。でも、プロである以上、そうもいってられないですよね。
受けとめること、向き合うこと。ですよね。

昨日の一件では、心を開くって、大事やなぁと学ばさせて頂きました。

心を開くって表現力ですね。

表現科やります。
手はじめに、ICSで見られたプロファイリングを6年生あたりで教材科してみようと考えています。テーマは「自分をみつめる」。春休みに計画してみます。

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