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酉年の豊富な抱負

050101_124701何がおめでたいんだかわからないのでずが、
節目は大事。

古い服を脱ぎ捨てて、新しい服に着替えましょうか。

リリッシュさんは、新しいパパさんさがしですか。
勝手にしなさい(笑)。
でも、いいことですね。新しい服に着替えるためには、
新しい人と付き合うのが一番ですね。

あるいは、古い人とのつきあい方を変えてしまうのもいいですね。
でも、こちらの方がエネルギーがいるかな。

こまつさまは、去年は仕事が順調だったようですね。
今年も続けばとお祈りしています。
私の本の装丁を見て、注文殺到、なんて(笑)。
あ、そうそう。
「大人を教育するための、義務教育って、無いんでしょうか?
やっぱり、大人がダメなんだと思うんですけど。」

全く、同感。まあ、社会教育というんでしょうけど
あれは、受けたい人が受けるんだよね。
受けなきゃいけない人が受けない。

でも、それを強制しだしたら、全体主義になる。
ここが難しい。

でも、社会教育みたいな形で
人々を自然と「陶冶」していくことができると
信じています。
芸術もそう。いろんなものがね。

TOMさん、ご指摘ありがとうございました。
ただ、事実を指摘されるだけでは、あなたが見えません。
たぶん、「「どうせ石原さんでしょ?」と思いがちではありますけれど。」
に、あなたの思いが表れているとは思いますが、
ここに込められた思いを、相手に推論させるのはやめませんか?
もちろん、感情をぶつけることではありません。
相手の思いを受け止めつつ、自分の考えや思いをいう。
そういうことをしていきましょうよ。

石原が教育の現場でしていることについてみていくと
単純に「反対」だとは思えないのです。
為政者はそんな単純な手は使わないと思うからです。

那美さん
戦争は遠い。でも、学校に行きたくない、どこにも行けず
「学校の他に行く宛がなくて仕方なく学校へ向かったことが何回かありました。」という気分
「世界が狭くなると苦しいですね。」という気分は、リアルなんですね。

今日の中国新聞(多分共同通信社配信だと思うので、中日新聞や東京新聞にも載っていると思うけど)
に、鶴見俊輔と中村哲(アフガニスタンで医療活動している人)の対談が載っていました。
いいことばがたくさんありました。「足下にある希望」「一括購入(比喩的意味ね)からの脱皮」
その中で、中村さんが、日本の自殺者が35000人もいることを、「戦時中で言えば一個師団がなくなったようなもので、これは、一種の内戦状態です」といったことばが、とても印象に残りました。

自殺は、内戦。

アフガニスタンで内戦がリアルに感じられる中村さんだからこそ見えた日本の現実なのでしょう。

那美さんの苦しさは、内戦の苦しさに、つながるのかもしれません。

ならば、内戦で苦しんでいる地域を助けるための手法が、使えるかもしれません。

内戦は、ただの戦争ではない手法で、解決しなければ行けません。
なにしろ、敵は、
あなたのすぐそばの、よく知っている、その人かもしれないのですから。


では、最後に、hirotakaの今年の抱負。

(1)世界にどんどんでかける

一昨年フランス去年カナダと行って、とても視野が広がりました。
ただ、どちらも、その国出身の人の手引きがあったりその国にすむ
日本人かたのお力添えがあったりして、人と人とのつながりが
その国のことを知る重要な要素だと思いました。
行って帰るだけでは、何もみえなかったでしょう。
今年も、いろいろな人のつながりを頼って、さまざまな国に行きたいです。

(2)日本にもどんどんでかける

これは、去年の長崎行きの経験が大きかったです。仕事なんかであちこち行きますが、
通り過ぎるだけ。外国と同じで、その地域をよく知っている人の手引きでじっくりと
その地域を見つめたいと思います。今年は、手始めに、関東に行きたい。

(3)演劇をいよいよ研究の中心に据える。

これについては、避けてきたんですが、今年はやってみようと思います。
そのような準備が去年出来たと思うので。(これについては、論文を掲載します)
その研究もできるだけ、実践的にやりたい。
どこかの学校の子どもたちと一緒になんかやるとか、広島に根付いている
神楽をもっと勉強して、現在に生かすとか。いろいろ考えたいです。

(4)国語科解体/再構築を本格的に始める
mjさんと語らって、いよいよ、動き始めます。年始にさっそく打ち合わせをするんだよね、mjさん!!

(5)コミュニケーション学を実践的に作り直す
これは、いろいろな分野に散財しているコミュニケーション研究を自分なりにまとめたいということです。

(6)国語教育実践のムックを作る
実践現場の教師たちを元気づけるムックを、自費出版でも何でもいいから作りたい。
徹底的に実践的でマニュアル的で、でも、心根が通った、「現場の」「ミクロな」「どろくさい」
ムックを作りたい。

(7)料理をちゃんと学びたい
今年は、料理をちゃんと学びたい。今まで自分流でやっていたことを、少しずつ修正して
安定した料理が出来るようにしたいし、僕の料理はこれ、みたいなものを確立したい。
食べるときも、ああこんなふうき切るんだ、とか、こんあふうに味付けるんだ、みたいに
見ていきたい。そんなことに興味のある人、一緒に食べ歩きませんか?
というのは、一人だととてもやりにくい。二人以上だと、店の人にも怪しまれないからね。
できれば、地域地域にいるとうれしいけど。また、女の人だとなおうれしいけど、それは甘いか(笑)。

今ねらったいるのは、パスタ料理。大好きなんだよね。これを極めたいとは言わないが、なんとかしたい。あ、あと、酒があまり飲めないhirotakaなんだけど、赤ワインが今とてもおいしい。酔わないワインはないん?)

ああ、書けば書くほどやりたいことがでてくる。
というわけで、これぐらいにします。

みなさんは、今年の抱負、いかがですか?
立ててみたら?

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コメント

TOMです。
どうも最近言葉が引っかかっていて苛立ちしか感じられず、つっかかるようなコメントでした。もうしわけないです。
コメントの内容ですが、元はと言えば、自分も「ああ、どうせ石原さんなんだろうな」と軽く決めつけていたところがあって(たぶん「軽く」というのがポイントなんでしょうけど)、どうやらそうではないということを知った時、本当に自分が嫌になったことが根底にあります。
別にこれは事実がどうこうという話ではなくて、何かを決めつけて満足する心性に対する苛立ちが原因しているのだと思います。
何かについて「これはこうだからこうに決まっている(なんでそれが分からないんだ?)」と理由を述べて、憤る人たち。
それに対して「もっと悩んだ方がいいんじゃないの?」と思っているのに、良く考えるとそう思うこと自体が、大した悩みもなく行われているという事実。自分への裏切り(これは、男性的なものを嫌悪している自分が、どこかで男性的なふるまいをしてしまうのに似ています)。
無限後退になりそうですが、ようするに私が陥っているのは、そんな感じのどつぼのような気がします。
たぶん、相手の推論に頼ってしまうのは、そういった恐れにがんじがらめにされている自分がいるからなのです。
もっと真摯にならないといけませんね。

mjです。
打ち合わせですね。今年、とうとう始まります。
「現場の」「ミクロな」「どろくさい」は、
解体/再構築への動き全体でのテーマです。

「戦争」が隠されてる事、
自殺大国である事。
幻の日常から「はみ出すモノ」と「はみ出た者」。
必要悪としての隠蔽や黙認の犠牲はいつも痛ましい。
どうするか、教育で考えていきましょう。
その過程を楽しみながら。

管理人さん、ヤキモチですか~?笑
リリッシュの武器はエロスですから~残念!!
いや、まじで。
たぶん、生まれつき持った武器です。
これでいろんな人を癒していきます!
SになったりMになったりしながらね。
お酒飲み飲みお話したりね。

そんなリリッシュの抱負は
相手を癒し、励まし、でもうまく転がすこと!
決して転がされるべからず!

こんな感じで♪
自分をしっかり持って、頑張るよん!!

こまつです。

hirotakaさま、那美さま、みなさま。
今年もよろしくお願いいたします。

本当に豊富な抱負!
これまで同様、わくわくしながら見ております。

そして、私もつい今しがた、
2005年最初の課題を見つけてしまいました。

左上隅の人。

なんだか、ちいさい。
かわいいけど、なんだか、しょぼい。

勝手につくります。

(このところ、ずーっと切れ目無く何かつくってきたので、
 何もせずにはいられなくなっています。
 一種の中毒かもしれません。ああ。)

それから。
去年、私は「ペンネの鬼」でした(笑)

パスタは麺選びが難しいけど、
(実際にゆでて食べてみないとわからない上に、
 一度買ったら結構量があって、しかもよくハズレる。)
ソースも重要ですよね。
でも、わざわざソースのために材料を買ってくるのも
なんだか嫌なので、有り物で、おいしくつくりたい!!
そこで、鍵は「スパイス」ではないか?と、最近は思います。
NYで買って愛用してるパーフェクトな魔法のスパイスは、
もうすぐ底を突くのに、この辺では売ってない。
そこで、スパイス単品を組み合わせて自分なりに調合することに、
今年は挑戦してみようかと。

あと。
確かに、芸術は、「戦」を終息させるための、
(人も物も傷つけない)武器になりえます。
(私、小中学生の頃、絵で戦争を止めさせることを考えていました。
 当時は冷戦時代まっただ中でしたから、
 米ソの大統領に、どんな絵を描いて贈ったらいいだろう、と。
 世界を良く変えるためには、どんな絵が在ればいいのか。真剣に。)
人の心に対して働きかけるものであれば、何でも、武器になります。
ひとりひとりが、人も物も傷つけない、小さな武器を持ちましょう。
銃口に、一輪の草花を差し入れるように。


そんな感じです。
 

中国新聞のこと驚きました。
だって昨日書き込みをしている時

この国の戦争は まだ終わっていないんじゃないか

と思っていたんです。
ただ カタチを変えただけ。

今年は
そんな「気分」に負けない自分になること。
が 抱負 かな。
甘えられる場所もみつけられた気がするし。

那美もhirotakaさんに続きパワフルに頑張ります!

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