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新連載(7)

どうも。

左の「行ってみたら」にまた一つ増やしておきました。

親方の部屋です(笑)。まんだりんのおもしろさです。(なんこっちゃ)

では、連載、続き。

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・山本陽子の内なる目

1992年のグループ展に、
私は、「だんだん広い層の内部にゆきわたる」(※後に「泉」に改題)
という100号の作品を出品していました。
巨大な卵の殻に穴が空いていて、そこに蒼い水が貯まっている絵でした。
恐らく、N先生の中で、この絵と山本陽子の「泉」という詩が
つながったのではないかと思っています。

N先生から貸していただいた詩集、
「山本陽子全集(第二巻)」(漉林書房)の
第二編目の詩が「泉」でした。
その冒頭を引用します。
(もともと横書き詩なので、オリジナルもこれとまったく同じ表記です)

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初めてご覧になった方、いかがですか?
肉声では読めないと思います。
具体的な意味もわからないと思います。
ただ、彼女独自の、言葉の猛烈なエネルギーが、唯一見える「泉」という
具体的なイメージの中で、しゅりしゅりぷつぷつ、
音をたて、泡をたててはじけ飛ぶ映像が、読む者の心に浮かびます。
「言葉」に拠らない、「心の声」でなら、
この詩を、大きな声で、はっきりと読むことが出来るでしょう。

私が初めて彼女の詩を読んだ時、いちばん衝撃だったのは、
この、彼女の詩がもつエネルギーの特異性でした。
相反するエネルギーが、お互いの反対方向に向かって、疾走し、
どうにも身動きが取れなくなっているように見えました。
詩とは、言うまでもなく、「表現」です。
でも、彼女の詩は、外に向かって「表したい!」という正のエネルギーと同じくらい、
それを拒む、「表してはいけない!」という、強力な負のエネルギーに満ちています。
言葉を使って詩を書き、表現しているにもかかわらず、ふつうでは読めない文字を多用し、
(ああ!なんということ!この人は、自分で「漢字を作る」ことまでしているのです!!)
人に読まれることを拒んでいるとしか、思えません。

「表現したいけど、表現したくない。」

当時の私と同じでした。
否定されて当然かもしれない自分と、
否定されても変われない自分と、
でも自分を表現したい自分と...。


「詩」というものは、もと、
人が発する、言葉にならない声。つぶやき。叫びだったと思います。
でも、山本陽子の詩には、暖かい体温を持ち、涙し、血を流す、感情を持った、
「声」というものが無い。
「肉声で読むこと・読まれること」(表現する・されること)を拒否した彼女は、
彼女の中の「内なる目」が幻視した、彼女の心の中にのみ存在する、
「彼女だけの世界のイメージ(映像)」を、描いているのだと思います。
その世界で、彼女は泣きもしないし、笑いもしない。
そこには「体」も「声」も存在しない。
彼女はただ恍惚と、内なる世界を見つめ、
描写しているのです。
それも、決して「読まれる」ことのないようなやり方で...


なぜなんだろう?

でも、私には、きっと、それが理解できるはずだ...。

・山本陽子を追いかけて...

「山本陽子全集」(漉林書房)は、全四巻の予定で発刊されていましたが、
当時完成していたのは、一巻と二巻だけでした。
N先生に返した第二巻と合わせて、第一巻も取り寄せてみました。

第一巻には、山本陽子が同人誌「あぽりあ」誌上で初めて公に発表した作品、
「神の孔は深淵の穴」から始まる、主に初期の縦書き詩と、
陽子のお母さん、山本昌枝さんへのインタビューが載っていました。

このインタビューを読んで、また唸ってしまいました。

陽子は幼い頃から変わっていて、本当に話をしない子供だったようです。
本を読むのが好きで、映画が好きで、絵が得意で、
お父さんが大嫌い(お父さんは絵を描いていて、かなり身勝手だったらしい)で、
美大付属の高校に通っていたけれど、大学は映画科を選び、すぐに中退。
広告会社でレタリングをしたり、アルバイトで帯の図案を描いたりしていましたが、
書く時間が欲しいからと、午前中だけパートで清掃の仕事をしながら、
最後の10年間は、家族ともろくに連絡を取らず、
ひとり、アパートで詩や絵を書いていました。

まだ家族と住んでいた頃、お母さんが、
「こんなわけのわからないものを書いて、どうするの?」
(私もこの言葉を何度母に言われたことか...)
と問うと、彼女は、
「100年か200年たったら、わかってもらえるから」
と答えたそうです...


なぜ山本陽子に生身の体が無いのか?
なぜ「内視覚」で「内なる世界」を見つめ、描写することに専念したのか?
わかった気がしました。

山本陽子は、幼い頃に、自分の存在が否定されているという空気を
漠然と感じていて、
(それは生まれつき孤独を好む性格と、父親の影響で)
それ故に、存在が許されていない「自己」、消したくても消えない自分の「身体」を
どうしても認めることができなかった。
(お母さんからの送金を受け取った、という、返事のハガキですら、
 「OK」(受け取ったという意味)
 と、一言だけ書き、必ず、破棄するようにと書き添え、
 自分がこの世にいた痕跡を、残すまい、としていた)

でも、自己否定のその先に待っているのは「死」しか無かった...
山本陽子が「表現」しなければならない、理由があったとすれば、
自分の存在を否定しながらも、
それでもなお、どうしようもなく、「生きたい」と願ってしまう、
最後の小さな「いのちの灯」をともすためだったのではないか?
(表現したい気持ちと、表現してはいけないという気持ち、そのせめぎあいの中でともる、小さな灯)
そしてその「灯」は、外の世界ではなく、自分の内へと内向して行くしかなかった。
でも、そのことは、決してネガティヴなだけではなく、
大きな意味があったと、私は思うのです。


山本陽子が詩を書いていたのは、23歳〜33歳までの約10年間。
私が最も好きな作品は、
「縦書き詩」の中では、
「よき、の、し II」「とらじいえあつく寵めいであつく於ろうつく」の二編。
「横書き詩」の中では、
「よき、の、し III」「泉」「遙かする、するするながらIII」の三編です。
山本陽子が残した、詩の傑作です。
「よき、の、し II」以外は、言葉は破壊され、
具体的なイメージは、わずかに断片としてゆらゆらと漂うだけです。
でも、ここには、ギリギリの「波打ち際」で生きようとする、
山本陽子という詩人の、声ではない声が、破裂しそうなくらい、
込められているのです。


彼女は、1984年8月29日、肝硬変のため、41歳で亡くなりました。
最後は体調が悪くても、病院にも行かなかったというお話なので、
これはほぼ、自殺と言っていいでしょう。

33歳で詩を書かなくなったころ、
彼女はすでに「死」を受け入れていたのだと思います。


彼女は発表こそしませんでしたが、クレパスで描いた絵も
たくさん残しています。
その絵には、たくさんの「目」が描かれています。
いくつもの顔が重なっているように。
やはり、「内なる目」が彼女のすべてだったのだと、私は思います。

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みなさんは、山本陽子の詩をどうごらんになりましたか?

彼女の詩は、以下の全集にあります。
絶版になっているかもしれません。

山本陽子全集. 第1巻 / 渡辺元彦. -- 漉林書房, 1989.12
山本陽子全集. 第2巻 / 渡辺元彦. -- 漉林書房, 1990.9
山本陽子全集. 第3巻 / 渡辺元彦. -- 漉林書房, 1994.8
山本陽子全集. 第4巻 / 渡辺元彦. -- 漉林書房, 1996.4

山本陽子はある意味幸せでした。
なぜなら、今でもこうして、見つけてもらえているから。
それは、彼女が、「言葉ではない言葉」を使えているから。
命と引き替えに。

だけど。

そうではない、「言葉を失った」人々に、
「伝達ではない言葉」の存在を、つまりは、
自分の存在を、世界に迎え入れるための装置を
私は、作らなければならないと考えます。


命と引き替えさせることなく。


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コメント

はじめまして、
山本陽子で検索していて、先生のブログに到着しました。おもしろくて、各方面熟読させていただきました。
うちのつたないブログにこの記事をリンクさせていただきましたので、お知らせの意味でTBしましたが、ご一瞥後はこのコメントとともに、どうか消去してくださいませ。

全部読ませていただきました。
それぞれの立ち場でベストを尽くしてるのに
うまくいかないって切ないです。
わざとじゃない。でもどうすればいいか、みんなわからない。
色んな人が、もっと楽しく幸せに生きれたらいいのに。
そのために今から、何ができるのでしょう。
私は、こまつさんの思いを新しい教育に生かす事ができたら、
と願っています。

あ、...あと、もう少しだけ。


トリさま。

やっと登場していただいたのに、
あっと言う間に終わってしまって、すみません。

こまつの、歪んだ、一方的な視点によって、
すばらしかった時代を、おとしめてしまったかもしれないことも。

トリさんの、言い様のない思いも、私の責任として受け止めます。

全部、私が悪かった、とも言えるし、
どうしようもなかった、とも言えますが...

その答えは、これからの20年で、自分なりに見せていきます。
トリさんや、グループ展の他のメンバーに、
認めてもらえるかどうかはわからないですが...。

とにかく。

感謝しています。


まりりんさま。

この連載の文章を書いたのは、実は...(^_^)

私も、「まりりんさん=hirotakaさん」じゃないんですか?
と、先日、hirotakaさんに聞いてしまいました。
さて、真実はどこに...(笑)


そして、
まさか、全部読んで下さった方。
もしいらっしゃれば、
お付き合い、ありがとうございました。

ええっと、泉を

テキスト形式にしてみました。

これで、みなさん開きませんか?

はじめて書き込みします。
やっと、です。今まで書き込みには抵抗がありました。これからぼちぼち始めようと思ってます。

バムセの会ではお疲れ様でした。
おきつさんのHPにも行きました。とても読みやすいです(字も大きいし)。バムセの会のリンクもありがとう♪

泉のファイルは私もワードが入ってないので読めませんでした。数字の1と2しか書かれてなかったです。

こまつさんの話はとても面白いです。身につまされます。
出会いによる転機、自分の中で言葉を探す作業、過去と現在とのつながりをひもとく作業の中に生きることの光が見えます。ついつい、こまつさんが自分で書いているのだ、と思ってしまいます。これからも楽しみにしてます。

ああ、ごめんなさい。
うち、ワードございませんのです。
(劣悪環境です)

余計なこと言ってごめんなさい。
詩集持っているのだから、かまわないのでした。

「親方」ってひどいよ…。

先日はどうもお疲れ様です。
リンクしていただいてありがとうございます。

「泉」ファイルは、我が家のOSXとWindowsでは開けましたよ。

泉ファイルは、ワード形式です。

みなさん、開きませんか?

今回、
内容について、これ以上、書き足すことはありません。


私が山本陽子の詩を読んで感じたことは、
私だけに有効な読み方です。

山本陽子の詩に興味を持たれた方は、
ぜひ、ご自分で読んでみて、
どこかご自身と繋がる部分があればいいし、
関係ないと思われるなら、それも良いでしょう。


「伝達ではない言葉」
「言葉ではない言葉」

このことを考えると、胸が痛くなります。
と、同時に、この詩を残してくれた
山本陽子という人に、深く感謝したいと思います。

今の私は「ここ」から始まりました。


(hirotaka様。私、「泉」ファイルが開けないのですが...笑)

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