東京で、前から聞いていた写真の個展に行きました。
場所は、556。
六本木の小さなバーです。
そのバーの壁面に、写真が飾っています。
撮っている人は、郡司蒼さん。
実は、HPを教えてもらって見ていました。
Photo/ism
で、見に行ったのです。
で、みなさん、HPに行ってみて、写真を見て、また、戻ってきてください。
戻ってきましたか?(笑)
郡司さんは、女性でしょうか、男性でしょうか。
ま、それは、内緒にしておきましょう。
私は、この写真を見たとき、「何かを抑圧しているな」と
感じていました。
HPで見たときは、正直に言えば、好きではありませんでした。
でも、気にはなっていました。
それで、行ったわけです。
行ってみて。
写真は、生で見るのにかぎります。
全然違う。
556で見たら、
その抑圧は、とても、叙情的でした。
その日は、撮った郡司さんが来られていて、また、彼が撮ったモデルのhanaさんやこれから撮られるモデルさんもいて、さらにさらに、郡司さんが撮ったなかで、おそらく最大のインパクトのあるモデルさんが、だんなさんとお子さんとともに登場。
たいへんな盛り上がりでした。おもしろかった!!
さてさて、話の中身。
写真は生ものということ。
写真家は、S気質だと思ったいたけど、
M気質の写真家もありうるということ。
写真は、いろんな撮り方があるけど、
郡司さんは、「待つ」撮り方であること。
最後のことは、いろいろな写真家に撮られたhanaさんが
郡司さんは、関係をしっかり作る人だということからはじまり、
郡司さんも、談笑を大事にする、ということを聞きました。
写真に私が感じた「抑圧」は、どうも、「男性性」の、哀しい抑圧だったと思いました。
つまり、写真には、郡司さんが出ていると思ったのです。
普通、写真を撮るとき、たとえ相手がヌードであろうと、欲情することはないでしょう。
仕事なら、特に。
だけど、郡司さんも、モデルたちも、ここにいる人たちは、みんな、
「ノンプロ」です。何が起こるかわからない。
そのような環境の中で、
郡司さんは、「性」を最初から削除しているのではなく、
確かにある「男性性」を、写真を撮りながら、見せ消ちしていると思ったのです。
その「性の見せ消ち」が、モデルとの関係性が深まれば深まるほど
哀しい。それが、写真に出ていました。
一方で、郡司さんに撮ってもらいたいモデルさんは、
「本当は自分が撮りたい人」が多いように思います。
その日に集まったモデルさんたちも、そうでした。
セルフポートレイトから撮られる側へそして撮る側へ
というプロセスの中で、郡司さんに出会った人たちという感じでした。
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再構築された国語科には、もちろん、表現者になることを育てることも
含まれています。
さまざまなメディアの中で、写真もおもしろいなあ、と、強く感じました。
写真と言葉。
写真と、関係性。
撮られたものに、撮った人が現れる。それはもちろんそうですが、
比喩的にではなく現れる、それを強く思いました。
さて、郡司さんに、私は、撮ってもらうのでしょうか(笑)。
ええ、実は、かなり、その方向性で・・・・・・・
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