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新連載(1)

では、新連載の続きです。

一人の「作り手」がどのように生きてきたか。

そして、「見てきた人」は、どのように生きてきているか。

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・なぜ私が絵を描き始めたか

時はさかのぼって...
私はものごころついた頃から、絵を描くのが大好きでした。
理由はいくつかあります。
 ・本当に描くのが好きで、得意だった。
 ・近所のともだちはみな2年とか3年保育を受けていたので、
  1年保育しか受けなかった私は、ともだちが保育園なり幼稚園なりに行っている間、
  1〜2年間、家でひとりで遊ぶしかなかったから、描いていた。
  (友だちと同じ私立の幼稚園には入れてもらえそうになかったので、
   自分から「行きたくない」と言った。)
 ・私の親(特に父)は、家で子供が騒ぐことを、とても嫌った。
  (父は家ではいつも不機嫌で、母にも姉と私にも、なぜ?と思うくらい
   よく怒っていた。今思うに、父は「女」と「子供」を嫌っていた。)

私自身が幼稚園に入るまで、昼間は、
近所のともだちが幼稚園から帰ってくるのをひとり待っていました。
小学校に入学すると、知らない人ばかりで怖くて、
同じクラスの人とも先生とも話せず、
(声を出したら「うるさい!黙れ!」と怒鳴られるんじゃないか?と恐れていました。
 家で父に怒鳴られるように)
休み時間も自分の席に座ったまま、
時間が過ぎるのをただじっと待っていました。

そんな時は、ノートに、鉛筆で絵を描き、
色鉛筆でそれに色を塗っていました。
そうでもしていないと、にぎやかな教室の中で、たったひとり、
いたたまれなかったのです。

その時、「事件」が起こりました。
ひとり黙々と絵を描いている私のまわりに、クラスの女の子たちが集まってきて、
口々に、
「かわいい!」「上手!」「私にも描いて!」
と言って、紙を持ち、私の机の前に、列をつくりはじめたのです。
びっくりしました。
そして、とても嬉しかった。
ドキドキしながら、どんどん、何枚も、何枚も、描いていきました。
学校で描けなかった子の分は、家で描いて、翌日持って登校しました。
(二足歩行のパンダが、フリフリの可愛いドレスを着ている絵でした。笑。)

これが、私が今でも絵を描き、描く必要がある、理由だと思っています。
「絵」というのは、私にとっては、「人と繋がるための道具」なのです。
(誰にどんな風に否定されても、これは変わりません。)

私は人と話せなかったし、勉強も運動も、特に優れているわけではなかった。
でも、図工の時間は違いました。
授業中でも、私が描いていると、
私の机のまわりに、クラスの子や先生が寄ってきてくれる。
そして、「上手ね!」「きれいね!」「すごいね!」と誉めてくれる。
その時だけは、私は人から認知され、肯定されている、と思えました。
学校は大嫌いだったけれど、その時間だけは、大好きでした。

小学校2〜3年生頃の話です。

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私(hirotaka)は、大変抑圧的な母親と開放的だがだめな(会社を作ってはつぶして夜逃げするという)父親の元に生まれ育ちました。(ちなみに私は中学生ぐらいまでひっこしは夜するものと思っていました(笑))
そんな子どもが人とうまくコミュニケーションできるわけがない。
いつも母親の監視と抑圧のもとでは、自分のことばがうまれるはずがない。
(私は大きくなるまで、いや、今でも、自分の好きな服が選べません。服とは言葉です)

そんな私の武器は、「おどけること」。
おとなしそうな私が、すこしおどけてみせただけで、周りの大人は喜びました。
仲の悪かった父親と母親も。

ただ、同世代の子どもには、通用しませんでした・・・・・・・・

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コメント

ことばについて、私も深く考えさせられます。ことばと、成長の関係。
hirotakaさまが服を選ぶのが困難とは。だからあんな不可思議な布を頭に巻いたりしていたのですね。あるいはあれはわざと?
服を選ぶのは無理でも、用意されている服を、自分の気持ちいい様に手を加える事は、できる。その差は何なのでしょうか。前、肩こり解消の為に、服の首もとをはさみで広げてるとお聞きしたので疑問に思ったのです。自分がきもちいモノとか状態とかを追求する余裕無く育つと、大人になってからその欠落に気付いた時びっくりしますよね。色々とこれから明かされて来るのかもしれません。続きを楽しみにしています。

「ことば」を獲得するということ。

「ことば」というものが、たくさんのものを指すことに、
最近やっと気が付いた気がします。
「ことば」は単に字面だけの"言葉"ではありません。
人は「ことば」に「自分自身」を託して、外の世界に送り出し、
人とコミュニケーションを取ろうとします。
だから、「ことば」を奪われることは、
「自分自身を奪われる」こと、「人との関係を絶たれる」ことと同じです。
これはとても苦しいことです。

そうですね。
「服」もまた、「自分自身」を託して、外に出すためのものですね。

そうですか。選べませんか。今でも?

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