ああ書きたいことがいっぱいあるのに
臨床国語教育研究会広島部会の公開研究会終わりました。
70名近くの方が参加していただきました。
ほんとうにありがとうございました。
このことについて、いろいろ書きたいのですが、再び忙しくなったので
一つだけ。
その前に、うっぷんばらしにこれからのスケジュールを見よ。
8月28〜30日 研究合宿 岡山大学
31日 組合執行委員会(なんと夜の6時から開催 朝からその準備)
9月1日 かわいい4年生6名(プラス1名)卒論ゼミ11時から17時までぶっとおし
2日 ある中学校の校内研修会(船で渡る)
3日 大学院ゼミ
4日 (午前)大学院ゼミ(午後)評価について書かれた英語文献の輪読会
5日 休み!!!!!!!!!!!!!!!!
スケジュール管理ができる敏腕マネージャーまたは秘書を募集。
条件・・・私好みの方であること
待遇・・・私の愛とやさしさ、と、生協の定食
では、その一つということ。
研究会で会のメンバーの先生が、宮沢賢治の「やまなし」をとりあげたのですが
それについてある小学校の校長先生が、いつもは陽気で豪放磊落な女性校長先生が
絞り出すようにお話しされました。
「わたしは、「やまなし」を何回も手を変え品を変えさまざまな工夫をこらして
子どもと読んできた。けれど、どうしてもある一定の解釈以上のものが子ども達から出てくることはなかった。
この「やまなし」は本当に、子ども達の感性を耕す教材としてふさわしいのだろうか。宮沢賢治の作品にしてももっと他のものの方がいいのではないか」
この言葉、私にはとても重く響きました。敬愛するこの校長先生は、子どもと向き合って
なんどもこの「やまなし」にチャレンジされたのでしょう。でも、どうしても壁をつきやぶれなかった
のです。 その先生が、「やまなし」の教材性に大きな疑問を投げかけられたのです。
何十年もの経験に裏打ちされた、そしてその時間の積み重ねから到達した、この結論。
他人に安易に責任を転嫁することのない方の言葉だからこそ、重みがあります。
こんな苦しみを現場の教師に追わせる前に、
私のような人間が、教材の教材性を見抜く力をもち、それを現場に伝えなければならないと思いました。
私の仕事は、国語教育の後方支援なのですから。
もっともっと書きたいのですが、合宿に行きます。
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