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児言態の合宿に行った!!

児言態の合宿に行ってきました。

児言態については、ここへ。
もっと詳しく知りたい人は、ここへ。

とは、いうものの、児言態の会員ではなく、ただのおっかけである私が
児言態の実践や理論を軽々しくいえるものではありません。

ただ私が言えることは、この研究会の実践や理論は、国語教育の、いや、教育そのもの
希望だ、ということです。

なぜ、私が追っかけているかについて書いた文章があるので、それを載せておきましょうか。

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『児童の言語生態研究』NO.16 2004年 児童の言語生態研究会

「児言態を追いかけて」

 1999年5月ごろ、私は当時神戸大学に勤めておられた浜本先生から3冊の雑誌を渡された。その雑誌の題名は「児童の言語生態研究」であった。私は、1999年4月から半年、当時勤務していた愛知県立大学を離れ、神戸大学に半年の内地研究に出ていた。私の仕事は、まもなく退官される浜本先生の文献目録を作ることであった。
私は、その年の2月に説明文に関する研究を博士論文にまとめたのであったが、その前から自分の論文をまとめることが苦痛になりかけていた。「こんなことしていられない」という気持ちが、論文をまとめている間に、ずっと心の中にわき上がっていた。自分の説明文に関する研究が、全く無駄なものとは思っていない。けれど、今現実に国語教室で起こっている事態には、私の論文はとても遠いものに思えたからである。

 教員を辞め浜本先生の元で勉強することを志してから10年余り、私は国語教育の実践をなんとか理論化しようと努めてきた。教師は自分の授業がうまくいったかどうか、自分ではなかなか説明できない。教員当時も今も、自分の授業は直感でしか語れない。それは、多くの教師が実感していることであると思う。私は、授業がうまくいくための理論を求め、もっぱら言語学のさまざまな理論から学んでいった。そのことは間違っていないと思うし、日本の国語教育が、世界の言語学の研究の潮流から全く取り残されている事態をかえていかなけれ成らないと言う気持ちは今も変わっていない。

 けれど、論文をまとめながら、言語学的な研究ではどうしても足らないことを私は明確に意識していった。そのことは、ずっと前からわかっていたことだ。教員をやっている当時から、いや、もっと昔の学生時代に演劇をやっているころから、私は、人間の行動やコミュニケーション、心的作用が、言語や意識のような表層のものだけで動かされるわけではないことを、知っていた。人間の心の深い部分に触れるためには、言語がいかに無力かを思い知らされてきた。

 もう一つ感じていたのは、学校で国語科を教えることの空しさである。国語科授業の理論や実践の本を読むと、「子どもがこんなに変わった。できなかったことがこんなにできるようになった。こうすれば、できるのようになる。変わるんだ。」といった言葉のオンパレードである。私は読むたびに、悲しくなっていた。生まれてからこのかた、私たちは日本語という母語に何千時間何万時間も触れている。学校の国語の時間などそれに比べれば羽毛の軽さである。そんなわずかな時間で、私たちに染みついた母語の使い方を変えたりよくしたりできるはずがない。そんなことは、普通の感覚で教壇に立っている教師たちはみんな知っていることだ。

 ならば、学校の国語の時間は無駄なのか。そうではない。しかし、今までの考え方ではだめなのではないか。1時間1単元1学期1年の国語の学習が、たとえ時間数ではわずかであっても、その子どもの1生涯の言語生活に少しは響くような授業ができなくては、甲斐がないのでないか。そのためにはどうすればいいか。目先の目標に到達したかどうかにとらわれている間は、そんなことは不可能ではないのか。

 論文をまとめながら、人の生涯に少しはいい影響を与えることができる国語の授業はどうしたら作れるのか考えるようになっていった。そのためにはまず、その人の<いま−ここ>の言語とその深層にある意識・無意識部分の現況をしっかりと見極めなければならないと思うようになった。その人との、意識と無意識の全部を含み込んだ<ことば>の、現在の有りよう(生態)とその生涯にわたる変容(生態史)に迫り、できればよりよい方向に変容する(学び)ように、学校の国語教育がお手伝いできるようになればいい。こうしてわたしは、「ことばの学び生態史研究」という概念をしだいに持つようになった。

 けれど論文をまとめている間は、このようなことは考えてはいけなかった。ただでさえわけわからない文章がますますわからなくなる。ようやく論文執筆から解き放たれ、私は、考えをじっくり深めようと、私は「浜本詣で」を続けていた。

 浜本先生の書斎は宝の山であった。文献リストを作ることは、先生の思索の後をたどることができる絶好の機会であった。ずっと、新しいことばかり追い求めていた私は、全てが新鮮だった。「先生、この文献は何ですか?」「ああ、それはね・・」「先生、この人は誰ですか?」「ああ、その人はね・・」歴史的なことなど全く知らない私は、文献にまつわる先生とのお話が、この上もなく楽しく勉強になった。

 ある日私は、「ことばの学び生態史研究」の考えについて先生に思い切って話してみた。自分でも固まり切れていない考えを聞いた先生は、本棚から「児童の言語生態研究」を持ってこられたのである。

「なんばくんと似たような考えを持った人たちがいるよ」
「え?・・・ほんまや。『生態』って書いてある・・・・。新しい研究会なのですか?・・・違うわ。20年も前からやっているんや・・・」
「この会を主宰しておられた上原先生は、広島大学の出身なんだよ。」
「え?上原先生・・・どこかで聞いたことがある・・あ、学会のシンポジウムの記録を雑誌で見ました。」
「勉強してみてごらん」

 浜本門下生は、「・・・てごらん」という浜本先生の言葉が、「・・・やれ。」という命令形であること、そしてそれは自分の研究や人生を大きく変えるものであることを身にしみて知っていた。ただ、私は先生の言葉が出る前から、心に決めていた。「この会を追いかけよう。できるだけゆっくり追いかけよう」と。

 インターネットでこの会のこと、上原先生のことを調べまくった。そして、あるホームページにでくわした。そこには、「児童の言語生態研究会」のことや上原先生のことが詳細に記されていた。「ことばの学び生態史研究」など、誰もやっていない。国語教育に言語学を持ちこうもうとがんばってきたように、今度も私は孤独に研究していくんだ、と思っていた私に、大きな光が射し込んだのだ。私はようやく、児言態の入り口にたどり着いた。

 その年の12月、私は、児童の言語生態研究会の合宿に参加していた。

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こんないきさつで、児言態の合宿に行くようになって5年目。
今回は、伊豆市立八丘小学校での研究授業とセットでした。
この授業の中味や、研究討議のもようは、私の仲間がまとめようとしていますし、
私自身もまとめようと思っていますので、お待ち下さい。

ただ少しだけお伝えしたのは、児言態の授業はやはり教育の希望になりうるということです。
人間の表層の意識だけを取り扱う、いや下手したら意識すら扱わず外言だけを取り扱う「国語科」。
だんだん学習者に見むきもされなくなっていこうとする「国語科」が、学習者の希望と、大逆転する
秘術がここにある、と思っています。

今回の合宿は、私の仲間も新たに二人も参加し、この会が少しづつ開かれたものになろうとしている
印象を受けました。大事なものを受け継ぎながら、今の時代にマッチしたものになろうとしている。
この会を今後もおっかけ、研究していきたいと思っています。
これが、国語科の解体・再構築につながると信じて。

あ、そうそう、この合宿では、もう一つ大きな出会いがありました。
でも、このことは、内緒です。うふふふふ。
ヒントは、あさかぜ

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コメント

はい、そこまで。

hirotakaは、この合宿で
何かの「坂」に出会ったのです。

これ以上は、ご勘弁を。

ただ、この「坂」は、登るのがそれほど大変じゃなかったのに、降りた後が結構大変で、
いまだに、この「坂」がつかめないんです。

でも、この「坂」を僕は、これからも登っていこうと思うのです。

だって、この「坂」、登るととても景色がいいんだもん。
ちょっと、人生変わったよ。

あ、「坂」の方も、もしかしたら、僕が登ったせいで
ちょっとは、変わったかもしれんね。

あ、「坂」は変わらんか。いや、そうともかぎらん(笑)。

みなさんも、自分の「坂」を見つけてね。

はずれ。

実際に伊豆から広島まで乗った「あさかぜ」では、
景色を見るどころか、全く眠られず、寝台列車に乗って後悔していました。

車窓の夜の風景は、それほど美しいものでもなく。

あ、車内はなかなかおもしろかったですよ。
個室に乗ったので、いろいろな設備がありました。


で、とにかく、はずれ。

では、少しヒントを追加。

私もあなたも大好きな、ある団体に
かかわることで、その団体のフルネームの
4文字目と5文字目を、○○として、
「あさかぜ」の○○の2文字目と3文字目
  が、答え。

さあ、正解したとして、その正解とそこまでの
プロセスをどうやって書くのか、楽しみ。
わくわく・・・・

ズバリ!
hirotakaさまは「あさかぜ」の美しい夜景と出会ったのですね。
「昼間の景色は知っていたけど、夜景がこんなにキレイだったとは!もっと眺めていたい。」
と、思ったのでしょう。
いかがですか?

那美さん、わかった?!

ほう^^^^


では、「あさかぜ」にはどんな答えが隠されているか言ってもらいましょう。


さあ、言えるかな(笑)。

「あさかぜ」の秘密、やっとわかりました。ふふふ。

一晩中?夜景がキレイだったとか?
「あさかぜ」の中には・・・ベットとかテレビとかシャワーとか食堂?

むむむ・・・寝台特急というもののイメージがまるでないのでわかりません。

ヒント(1)
「あさかぜ」は寝台特急。

一晩中走る列車。

ヒント(2)
「あさかぜ」の中に何がある?

「あさかぜ」?
「あさかぜ」に乗っているとき、何か出会いがありましたか?
全然ヒントじゃないですよぅ。

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