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盛岡に行きました(2)

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では、盛岡の続き。

第7回国語教育 in MORIOKAの報告の続きです。


午後のシンポジウムでは、国語科の授業研究について
話し合われました。

話し合いでは、国語科の授業作りの話題と授業研究のありかたについての
話題と大きく二つのことがあったと思います。

授業研究の話題では、鶴田さんが
(1)もっと広くオープンに 
    教員だけでなくもっと幅広い人々との連帯しながら研究すること
(2)「実践的知識」の解明
    授業で時々刻々起こる出来事をとらえ対応している教師の力を研究すること
(3)教科内容を「学び」の生成に結びつける
    授業研究が、学習者の学びとつながるような研究をすること
と、まとめており、大変わかりやすかったです。

また、授業作りの話題では、奇しくも上條さんと私が一致しており
(1)参加型で活動中心の授業を作ること
    学習者の興味の喚起のためだけでなく、学習者も教師もそのコミュニケーション能力を高めることこそが
    国語科で重要であること
(2)対話を重視すること
    一方通行の一斉授業から脱皮すること
(3)活動の中に、つかんでほしいことことがら(私の言葉では学習目標、ふつうはスキルといわれる)を
   うまくうめこんでいくこと 特にその学習目標を明確にしておくこと
などが述べられました。

私は、自分の発表では次のの三つの柱で述べました。

(1)国語科の解体/再構築(長期的事業)
(2)臨床国語教育研究(中期的事業)
(3)既存の国語科授業の再構築(短期的事業)

(2)と(3)は、他の参加者の話題とほぼ一致しておりました。

で、最初の(1)を私は、初めて多くの実践者の前で(学会では話したことがあるのですが)話しました。
どきどきしたのですが、
なんと、とても、くいつきがよかったのです。

これは、驚きました。

何人もの参加者が、この「国語科解体/再構築」について質問していただきました。ざっと挙げると
・今の国語科のこの視点で見直したい
・思想科がとてもいいと思う
・発達段階を考えた枠組みが知りたい
・表現科の授業を今日は見せてもらったのがよかった(例のスイミーの授業ね)

などなどです。
臨床国語教育研究会の各部会では報告をし、実践者からはいい感触を得てはいたのですが、
見知らぬ方々からの言葉は、とても勇気づけられました!!

気持ちよくシンポジウムが終わり、懇親会です。

夜の懇親会には、倉沢先生という、日本国語教育学会の会長であり、戦後日本国語教育史を
主人公の一人である先生も出席され、スピーチをされました。

倉沢先生のスピーチは、衝撃的なことが語られました。

その日は、8月6日です。
先生は、1945年8月6日に死ぬはずだったのです。

その日、ある試験が広島と東京である予定でした。
先生は、その試験を広島で受ける予定でした。
けれど、広島出身の方に頼まれ、替わったそうなのです。
その方は、被爆死されました。

私は、自分の発表で、「思想科」の説明のところで、
平和教育のことを取り上げ、特に原爆についての知識を深める重要性を
話していました。

ああ、何かに呼ばれて、私はここにいるんだと、
私は強く思いました。

最初の写真は、盛岡のものではありません。
佐々木禎子さんが実際に折った折り鶴です。
原爆平和記念資料館にあります。

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