totus mundus agit histrionem
totus mundus agit histrionem
世界は全て劇場。
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totus mundus agit histrionem
世界は全て劇場。
前に出した、「空中ブランコ乗りのキキ」について、
周りの人に、「キキって最後どうなった?」
と聞いてみました。
(原文は、「最近の記事」を見てね)
臆病な自尊心と尊大な羞恥心
そう、関係者にはピンときたでしょう、「山月記」。
携帯や手帳を見る見ない、の話をしているときに、
私が第一番に浮かんだのがこの言葉でした。
携帯については、本当にいろいろな意見がありました。
ところで、似たようなプライバシーツールとして、昔からある
手帳というもの。
あなたは、パートナーの手帳は見ますか?
もちろん、この場合の手帳は、プライベートの予定が書いてある手帳です。
携帯と合わせて、教えてください。
会社員さんのコメントについては、お時間をいただいて
すこしまとめさせていただきます。
大変心強いコメントで、励まされます。
さて、話題変わって、携帯のこと。
おもしろい本を読みました。
橋本治 上司は思いつきでものを言う
最近、いろいろな学校に行くことがあります。
町の中の学校、田舎の学校、島の学校・・・
行った学校が荒れていることがあります。
町の学校よりも、田舎の学校で。
地方の中心部に存在している学校は、
今の日本の矛盾を一心に背負って、
立ち枯れているようは気がします。
その地域の中心部だから、一応商店街などもある。
けれど、疲弊している。
学校が統廃合で、広範囲の地域から子ども達が通っている。
だから、子ども同士の結びつきが地域の結びつきと重なってない。
両親が共働きが多く、祖父母が面倒を見ている。祖父母は、驚くほど
甘やかしている。
そして。
教員が、そのような子どもの変化についていっていない。
都会の学校で悪戦苦闘してきた教師にはどうってことないことが、
地方の学校でのんびりとやってきた教師には、とてもできない。
子どもを本気で叱れない。
子どもがおもしろがること授業を考えられない。
昔だったらそれですんでいたのが、いまは、無理になっている。
地域の中心部の学校の、1学年6人しかいないクラスで
荒れている授業を見ました。
教師は、子どもを全く見ないで、教科書と黒板だけを見て
授業をしています。
目の前に、わずかしかいない子ども達と、話しながら授業すればいいのに
それができない。
校長はいいました。「今日はあなたが来ているからおとなしく座っている。
いなければ、たち歩いているだろう。」と。
その校長も、その教師とは、十分なコミュニケーションをとっていないようなのです。
過疎地域の学校の、荒れている様子。
少ない人数なのに、人と人との関係が結べない状態。
もしかしたら、少ない人数だから、結べないのだろうか。
どんな地域にも、テレビがあり、パソコンがあり、携帯があります。
教育、特に国語教育が、「文学」とか「教科書」とかにこだわっているあいだに、
もう、どうしようもないところに、現実はきてしまったようです。
「文学」の読み方なんてしている暇があったら、パソコンや携帯との接し方について
真剣に考えなければならない。
北星余市の義家先生が、「くそおもしろくもないこの現実の中で、ぼろぼろになっている子ども達によりそわなければならない」という言葉が、NHKで流されました。
本当に、そう思います。
「くそおもしろくもないこの現実」を作り出しているのは、私たちなのです。
麻痺してはいけない。
狂ってはいけない。
虚構に逃げてはいけない。
私たちのそれぞれの仕事を、逃げないで、やっていきましょう。
とりあえず、わたしは、新しいプロジェクトをはじめようと思います。
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