トップページ | 2004年1月 »

2003年12月

今年も終わります

今年ももう終わりですね。

私にとってこの1年は、自分が地球に生きていることをいろいろな意味で実感させられた年でした。

自分がフランスに行ったこと、子どもがアメリカに行くこと、そして毎日入ってくるイラクのニュース。

今年一番心に残っているのは、バックナンバーにある「原先生」の授業と、もう一つありました。

それは、私と一緒にフランスに行った在日15年ぐらいになるフランス人の方がいるのですが、
その方の妹さんが現在、パレスチナキャンプでボランティアをしているという話です。
彼らにはユダヤ人の血が流れています。


今年は、料理にはまりました。今まで見むきもしなかった「食」に目がむき始めました。

生きていることを大切にしたいと思います。

来年もよろしくおねがいいたします。


児言態って?

児言態って何?という方に、簡単な紹介を致します。
これから少しずつ更新していきます。

中国四国教育学会レジュメ(抜粋)(2003.11.9.)
                                        
児言態の実践と理論の影響力


1.児言態とは
児言態=児童の言語生態研究会は、玉川大学の上原輝男氏(広島大学教育学部出身)を中心に結成され、1968年には雑誌「児童の言語生態研究」が創刊され、現代にいたるまで15号が刊行されている。なお、上原氏は1996年に死去している。

・「児童の言語生態研究」の各号の特集
No.1(1968) 特集 子どもの連想と仮想と
No.2(1968) 特集 子どもは「場」をどう捉えているか
No.3(1969) 特集 国語の力(言語能力)とは何か
No.4(1970) 特集 子どもにとって、"書くということ"
No.5(1972) 特集 子どもにとって、「うそ」とは何か
No.6(1973) 特集 ことばをあやつる意識と力
No.7(1975) 特集 こどもの感情の発達とことば
No.8(1977) 特集 こどもの構えの変革とことば
No.9(1978) 特集 用具としての言語学習のあり方
No.10(1980)特集 音声言語教育の方法を探る
No.11(1982)特集 子どものけんか
No.12(1985)特集 なまいき
No.13(1988)特集 子どもの泣き
No.14(1990)特集 あの子にこの子 子どもの個性への接近
No.15(1997)特集 子どもにとっての時間と空間 (上原輝男先生追悼号)

・ 「児童の言語生態研究 」発刊に際して(第2号からは児童の言語生態研究趣意)

国語教育の実践と研究は、日日ゆるがせにできない永遠の基礎的課題であります。近来、言語活動を重視
し言語能力の増進を要望される時運に従い、一見、国語教育の実践と研究は、活発さを加えたかに見えま
すが、国語教育は技能的となり、読み書き、話し聞く三領域に分割された言語生活形態の学習を専らとす
る風潮さえ生んで参りました。われわれは成育しつつある子どもの言語生態を、正確に見届けることを、
何よりの国語教育の基礎に据え、そこから出発すべきであります。遅ればせながら、感情・思考及び意識
の発達とともにある子どものことばの実態を、調査、研究して、子どもの側からの発言を世に問いたいと
思います。思えば、子どもの言語生態とも言うべき基礎資料を得ることなしに、国語教育の目的と方法が
論じられすぎました。また、われわれ現場人が、それらの基礎資料をどれほど整えて子どもに接していた
でありましょう。国語教育の目的と方法及び実践の確立に資すべき、最初の条件であったと思うのであり
ます。われわれは相互に連絡協力して、この調査、研究を進め、小冊子といえども、発達途上における子
どもの心とことばとの成長並びにその明暗を正確に写しとった貴重な資料を収集して、広く斯界に頒布す
ることにいたしました。
2.児言態の考え方 (児言態メンバーによるまとめ)

(母語とその発達)
「本研究会におけるわれわれは、母国語の習得過程は、人間の生育段階の生態的現象として把握すべきであることを共同の歩調としている。(上原1977)」
「ここにいう言語発達は文字の読み書きだけではない。それをも含め、なおかつ、その対象に向けられる興味の在り方(志向性)、予見予想、論証、判断における気の配り(配慮)等(後略)(上原1977)」
「われわれの研究は、子どもの気の働きや、思い方の変容について、発達的様相を知ることを何よりの急務とした。子ども自身の気の赴くところ、思うところ、思い方、思いの内容以外のところに、彼等たちの自然な言語形成はあり得ないと思うからである。(上原1975))」
「本来、言語は人間の表情・身振り・行為・行動と音声とのかかわり方(無言をも含めて)をいうものでした。ところが文盲退治から始まった学校教育の成果(?)が、文字言語をことばだとばかり人々にびとに思いこませてしまいましたので、人間の感覚や感情、人それぞれの性質や態度とは切り離された、言語知識や言語技術の習得を言語教育と考えてしまったのです。ことばは人間の成育と深くかかわりをもって発達するといっても、よくかわってもらえない現状となってきました。(児言態編1981 p.166)

(母語の教育)
「私たちの仕事は、母国語の教育なのである。子どもの魂の成長と一つになっていくことばを母国語という。小学校教師に課せられた最も大きい負担は、教科〃国語〃のお仕着せではなくてその子どもの母国語発達だと思うことである。(上原1991 p.3)」
「身につけているのが本物のことばだといえるもので、言語教育ということを本気で考えると、その本人の成長段階と一つになっているものを動かすことでなければならなかったはずでした。(児言態編1981 p.167)」
「 感情・思考・構え・言語作業と四分野に、国語の授業を区別して行うのは、子どもの精神発達の土俵をそう限つてみる方が、子どもたちのただいまの問題点を引き出しやすいからである。(上原1991 p.19)」
「われわれに何かと想定させようとする動機づけとしての何かをわれわれはまず見るとしなければならぬからである。この動機づけの何かを、私は構えと呼ぶのである。(上原1977)」

(「イメージ」)
「それ(=1985の共著に至る「子どものイメージ運動」の研究)以後、私どもの関心は、子どもの無意識層の研究から離れなかったといってよい。(上原1990)」
「こどもたちにとって、ことばを発することは、発言にいたる情動が働くからなのであって、情動をことばに置き換えたり、言葉さがしをする作業だとは思ってはおりません。(児言態編1981 p.170)」
「やっぱり、彼等に先行しているものは、ことばよりもイメージであり、そのイメージもこれまでわが身に適用したことがない人間行動のポーズが、あこがれとして、次々見えて来るところに、こどもたちが、より新しく生きてゆく模索があるにちがいないと思うのです。(児言態編1981 p.180)」
「物思う意識の方が先だということは、イメージ思考がさきだからではないでしょうか。(児言態編1981 p.163)」
「イメージが、我々を行動させるのです。実は、考えてみると、現実の中にイメージ生活があるのではないのです。我々のイメージが、我々の現実生活を誘導していると、考えなければならないのだと思います。(上原1997)」

(「トランスフォーメーション」)
「子どものイメージの働きをトランスフォーメーションとしか言いようがないので、トランスフォーメーションと使っております。つまり、その交換、交換する、交換ができるイメージの特徴というのは、それだと思うのです。(上原1997)」
「我々は時間を超越する能力をもっているということができる。(上原1997)」
「いつ、どこで、誰が何をしたかなんてことを、あんまり小学校で言われすぎたために、いつという問題、時間の問題、どこでという空間の問題、誰がっていう人間の問題。こういうふうに我々は意識を分裂させてしまったことが、過ちだったのではないでしょうか。(上原1997)」

(「心意伝承」)
「人の子が親となり、親が子に何気なく教えている躾のことや、また特に小学校の教師が、当然のことのように注意している心の折り目のことなどはそれらは決して我流の発明によらず殊更にいえば、自分の親から、あるいは世間から、伝えられ教えられて来たことを、次の世代に承けつがせている大変な教育力だということができる。(上原1984)」
「教育は教育者と被教育者との関係に於て行われるところからであろう、ある種の能力の伝授もしくは付与だ(ママ)思わせられるところから、教育は日常性からの乖離あるいは日常性からの脱却だと錯覚する。(上原1984)」
「教育の根本あるいは重大事は、たとえていうなら、三つ児の魂百までという、その魂を得させることである」(上原1984)」
「本研究会は、身構え、気構え、心構え以外に、発想のパターンの獲得という大事な心意伝承を深く考えねばならぬとしたからである。(上原1977)」
(引用文献)
上原輝男(1975)「感情教育待望論(その一)人間発言の動機」『児童の言語生態研究』No.7
上原輝男(1977)「感情教育待望論(その二)母国語学習指導の支柱”構え”の提唱」『児童の言語生態研究』 No.8
上原輝男(1984)「感情教育待望論(その五)心意伝承としての国語」『児童の言語生態研究』No.11 
上原輝男(1990)「感情教育待望論(その八)”夢”作文と個性−その通性を求めて−」『児童の言語生態研究』No.14
上原輝男(1997)「日本人のイメージの世界−かいまみの世界−」『児童の言語生態研究』No.15
上原輝男監修(1991)『小学校 国語の授業はこうする』学芸図書
児童の言語生態研究会/上原輝男編(1981)『はなぢがナンでぇ −子どものことばの記録スナップ−』童心社

葉山から逗子そして鎌倉へ

21.jpg

一昨日、昨日と、児言態の合宿に行ってきました。
児言態・・・聞き慣れない団体名ですね。
児童の言語生態研究会、といいます。
私は、この研究会をこの5年ほど追いかけています。
その辺の話は、「研究」の方に載せましょうか。

さて、児言態の合宿は、葉山でありました。
ここでの合宿に参加したのは3回目。
海のすぐそばに宿舎があり、伊豆の山々を背景にして
太陽が富士山のそばを沈んでいく姿を、目の前に見ることができます。
ワニワニ学級に画像があります。

すばらしい景色をみながら、夜遅くまで、勉強会(1時まで!!)。
翌日は、逗子駅から北鎌倉に行きました。
逗子駅周辺は、私の大好きな場所の一つです。
駅がそこそこ大きくて、駅前に大きな魚屋さんがあって活気があって
ちょっとカッコつけたにいちゃんや、大きな袋を持って小走りに転がるおばちゃんや
乳母車に魚や野菜を詰め込んでゆっくり歩くおばあちゃんが、行き交っています。
視野が開けた駅前に、バスやタクシーが並び、後ろにはJRが、向こうでは、
京急が、警報機の音を引き連れて走っていきます。

逗子を出て、北鎌倉へ。
円覚寺に行って来ました。
円覚寺って、駅前にあるんですね。
駅前寺院。
なのに、奥が深くて、懐が深くて、強者でした。
時宗廟(佛日庵)でお茶をいただいたのですが、
ここの受付に座っておられたのが、なんと住職の娘さん!
円覚寺の住職の娘子さんですよ。驚きました。
同行者が長話をしたようで、円覚寺ゆかりの人々のお話
(その方の娘さんや息子さんはどうなっているかとか)をしたようです。
お経が聞こえてきました。若い修行僧の、張りのある声です。
最初、漢字音で、ついで、梵語で、最後に、日本語で(願わくは、とか)
唱えておられました。

インドで生まれた梵語は、東は海を渡って日本でお経となって唱えられ、
西は大陸を横断し、さまざまな言語を生みだしながら太平洋を渡り、
アメリカでは英語となって聖書が唱和されています。
多様性と、共通性。 そして、「梵語の道」とは異なる道筋を歩んでいる
言語たち。ハンガリー語。アラビア語。ダリ語。中国語。・・・そして、日本語。
さまざまな、差異。

冒頭の写真は、円覚寺の山門を、内側から撮ったものです。
同行者も写っています。

北鎌倉を出発し、新幹線で、帰りました。

合宿でした

昨日、今日と、葉山で児言態(児童の言語生態研究会)という会の合宿に参加していました。
(児言態については、ワニワニ学級参照)
旅の様子は、「おもいつくまま」に、合宿についてのおはなしは「研究」に、明日掲載します。
今日は、休ませてください(眠い・・・)。
あ、2月14日の臨床国語教育研究会東京部会に、児言態がいよいよ登場します!!

できたケーキ

031224_193001.jpg

こんな感じのケーキができました。
スポンジは、コンクリート。
クリームは、なかなかよいでき。
デコレーションは、・・・・。(正直、白くて細い○んこまみれ、って感じ)

生まれて初めての、ケーキ。
こさこ様、ありい様、モントン様 ありがとうございました。

お休みの日

今日の休日は、いろいろなことをしました。

・年賀状の仕上げ
今年は、子ども達の写真をメインにして年賀状を作りました。上の子どもが来年からアメリカに行ってしまうので3人が年末にそろうのは難しいと思ったからです。印刷を終え、投函しました。

・カウンターをつけた
このHPにカウンターをつけました。埼玉住人さんのHPを参照して付けました。
ただ動いているのかどうか心配。そもそも、誰も来ていなかったりして。
・・・ところで、ここに、なんていうか、ほら、クリックしたらどこかにとべるような文字の入れ方は
どうやってするんだろう。ああ、いつまでも超初心者じゃ。

・ケーキをつくった、失敗した
明日のクリスマス・イブにあわせて、ケーキを作ろうと思い立ちました。
「モントン」のケーキの素でやったのですが、全くふくらまず、失敗。
スポンジケーキならざるカチンコケーキでございます。
明日は、生クリームをたっぷり塗りこんで、ごまかそう!
・・・最初の泡立ては、とことんやらないとだめですね。

と、こんな一日でした。

結構力を入れた文章

下の文章は、「学校教育」2003年12月号に掲載したものです。結構力を入れた文章です。「原先生」という方の実践をもとに書いているのでわかりにくいかもしれませんが、どんな授業か想像しながら読んでみてください。


原実践とともに−「外部」への「道」を歩む児童を育てる−
難波博孝


2003年1月、附属小学校の体育館は異常な緊張に満ちていた。そこは授業研究会の原先生の公開授業の場であった。けれども、その場は「たたかい」の場となっていた。真実の「たたかい」の場であった。体育館の向こうで、戦闘機による激しい爆撃の音が聞こえていた。
私はその場にいて、二つのことを思っていた。一つは、この授業プランの話を聞いたときの衝撃である。

「ヒロシマ」のことをとりあげて授業したい。けれども、それは国語科の授業として行いたい。ただ、「ヒロシマ」を知識として伝えるのでは、今の子どもには響かない。特に、アメリカの主導のもと、戦争が「正義」の名の下に行われている、今という時代を生きる子どもには、もっと「ゆさぶる」ことをしないと、いかに広島の児童とはいえ、深く心に響かない。そのことと国語科としての授業成立とをなんとか同時に実現したい。

私は、原先生の授業の思いをこんな風に受け止めた。そして、あの衝撃の記者会見が授業の中で取り上げられた。「私は、ヒロシマ、ナガサキに投下されたように原爆使用を考えています。」このムーミン大統領のようなことばを、かって「ヒロシマ」の授業を行った教師たち、広島の教師たちは、学習者に投げつけたことがあるだろうか。このようなことば、このような授業プランを採った背景にある、原先生の思いの深さに、私はただこの授業が成功すること−学習者の心に届きことばが心の奥からわき出ること−だけを祈った。
私は、公開研の授業で、ムーミン大統領のことば−原先生の思い−が学習者の心に確実に届きつつあることを、自分の目で確かに確認していた。児童たちは、ムーミン大統領のことばに驚き、怒り、なんとか反論しようと試みていた。それは、自分たちの中にある「平和は大事なんだ。原爆は絶対悪なんだ」という安易な思いこみへの問い直しでもあった。原爆を使用することは正義だと傲然と言い張る大統領によって、児童たちは、使い古された「平和ジャーゴン(定型的な言い回し)」から脱却し、自分だけの言葉を誰にでも通用する論理にのせて、自分の意見として書き、質疑に備えなければならなくなった。
もちろん、そのような学習の場が生まれたのは、ムーミン大統領の言葉だけではない。原先生の本気の覚悟に、児童たちが突き動かされたからでもあった。「この先生、本気だ。本気で平和を考えようとしている。本気で僕たちの言葉を求めようとしている」このような教師の前で、「いい子」ぞろいの附属の児童たちも、本気にならざるを得なかった。こうして、体育館は、真実の場となった。

もう一つ、私が公開授業の場にいて思っていたことがあった。それは、私が5年前に行った芝居のことだった。私は名古屋で、小さな劇団の芝居をやろうとしていた。旗揚げ公演に選んだのは、二重人格の少女(の脳に接続されたコンピュータ)に支配された世界が救われるかとみえて、結局その少女の父親(二重人格の原因でもあった)によって全てを失ってしまうという、悲劇的な芝居だった。この芝居の間じゅう、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時に、市街戦の悲惨な状況を空襲の音とともにインターネットラジオで流し続けていた音声を、ずっとBGMとして使っていた。
悲惨な状況は、その悲惨さがすすむにつれ、ますます、「外部」には伝わらなくなる。「内部」の人々が死ぬからである。生物的にも社会的にも「内部」の死者が増えれば増えるほど、「外部」からは、「内部」が何も起こっていないように見える。インターネットラジオの音声は、「内部」を伝えるための、かろうじて「外部」に開かれた「道」であった。
私は、舞台の上では全てを失って「内部」が消滅するという結末でありながら、最後の希望を見に来ていただいた観客の人々に託したのであった。その思いの象徴が、インターネットラジオの声であった。
私が体育館で聞いたのは、インターネットラジオと空爆の音だった。あれは「たたかい」の場だった。
「ヒロシマ」は「内部」にとどまってはならない。常に「外部」に道を開いていかなければならない。それが、日本にすむ人間の責務であり、広島に関わる人間の責務である。けれども、「ヒロシマ」の「内部」は、「外部」に発信する力を、今本当に持っているのだろうか。原実践は、硬直化した「内部」をもう一度ゆるがし、「外部」への「道」を再びつけようとする試みだった。

私も原先生も、国語教師である。国語教師は、学習者の「ことばの力」を育てることに苦心する。では、「ことばの力」とは何だろうか。『学校教育』本年(2003年)10月号に掲載した、「学級集団のコミュニケーションはどうなっているか」という私の文章で、私は、「ことばの力」についてある図を示し自分の考えを述べた。この図を使って原実践を考えてみたい。(読者のみなさんは、大変申し訳ないが、10月号の図を見ながら以後をお読みいただきたい。)
私は、国語科の学力を三つの領域で考えた。一つは、「基盤領域」である。これは、国語科のみならず、学びの基礎基本を成すものであり、「話す・聞く(プライベートコミュニケーション)」と「文字・語彙」「感じること」(前の図では活動領域に置いていた。本論では基盤領域に入れる)が含まれている。
もう一つは、「活動領域」である。ここには、「話すこと・聞くこと(パブリックコミュニケーション)」「読むこと」「書くこと」「考えること」とが含まれている。
最後は、「価値領域」である。ここには、私たち自身の言語活動や思考(内言)活動の根底にあってそれらをコントロールしている「メタ認知(認知を制御するもの)」を獲得し定着させ変革させ時には柔軟にすることが含まれている。
私は、これら三つの領域が緊密に結びついてはじめて、すぐれた実践といえると考えている。具体的には、学習者自身のさまざまな価値観をゆさぶり更新していくような価値的な方向性を持った活動の中で、読む・書く・聞く・話す・考えるという学習がなされること、そしてその学習=活動の背後には、教師と学習者や学習者同士のプライベートコミュニケーションが十分あり、また学習者の言語的知識の増進と感覚の深化が保証されていること、である。
この考えに従って、原実践を考えてみよう。原実践の学習者は、平和について「ヒロシマ」について、今までの表面的な価値観ではないことを求められる中で、自分自身の平和観、ヒロシマ観を再構築しようとしていた。そのような方向性があるからこそ、「人前で発表すること」「人の意見を聞き批評すること」「説得力のある文章を書きまたそれを読んで批評すること」といった学習が、<意味>を持ったのである。
では、なぜ原実践の学習者たちは、(先生へのおつきあいではなく)本当に自ら自分自身の平和観、ヒロシマ観を再構築する「道」に歩みだしたのだろうか。
図をもう一度見ていただきたい。価値領域は活動領域だけでなく、基盤領域とも結び合っている。
価値領域の学びは、基盤領域の「感じること」「プライベートコミュニケーション」「ことばそのもの」と結び合わないと起こらない。具体的には、教師と学習者の心の結びつきがありながらも、また、あるからこそ、学習者の心の内奥に突き刺さるような「ことば」が、教師からあるいは学習者から生み出される。そして、そのような<できごと>が、価値領域の学びを引き起こしていくのである。
「ヒロシマ」の内部から外部へと<呼びかける>「道」を歩み出す学習者を育てるために、原先生はまず、勇気を持って学習者の「内部」に強烈に呼びかけていった。その背後には、教師と学習者との相互信頼があった。
呼びかけた<声>は、学習者の「内部」に響き、それぞれが「外部」へと歩みだした。そして、この私も、この<声>によって、一歩前に進むことができたのである。
「内部」から「外部」へと歩み出す勇気。歩み出させる勇気。国語教室には今、これらの「勇気」が求められている。原実践の「勇気」に学びたい。

雪と原爆とチンチン電車

こちら広島でも、雪が降っています。

私のいるところは、「広島の東北」と言われており
冬の平均気温が南東北地方とほぼ同じだそうです。
だから、雪もよく降ります。

そんな土曜日に、テレビをつけると
蝉時雨の中、広島市内を走るチンチン電車が映っていました。

広島に来てから4年、「蝉時雨」「チンチン電車」「強い日差し」と来ると原爆関係の番組だなあとすぐわかるようになりました。
その番組の名は「チンチン電車と女学生」。
8月31日に放送された番組の再放送でした。

広島市内を走るチンチン電車は広島電鉄という会社が動かしています。
昭和17年ごろから男たちが徴兵され、広島電鉄はチンチン電車を動かすために、広島電鉄家政女学校という、働きながら勉強ができる学校を設立し、多くの女子学生を郡部から集めました。
電車の運転士として働きながら勉強ができる。
貧しい村の女子学生たちにとっては、あこがれの学校だったことでしょう。
300人以上の14〜17才の女学生が、勉強しながら交代でチンチン電車を走らせていたのです。

校舎は原爆で全壊し、多くの女学生も爆死しました。
戦後も学校は復活しませんでした。
復員してきた男たちの職場が必要だったからです。
廃墟の中、仲間たちを必死で看病した、生き残りの女学生たちは、
みんな、故郷に帰されました。
その後、この学校のことは忘れ去られていたそうです。幻の女学校となりました。

広島の人にとっては、よく知っていることかもしれませんが、私にとっては衝撃でした。
二つの場面が心に残りました。
生き残った女学生が、58年ぶりにチンチン電車の運転をしたこと。
たった2年半しか運転していなかったのに、58年も経っているのに、
70才を超えているのに、
体は、自然と動きました。
もう一つ。
被爆後、助けられてそのまま故郷に送り返された女学生運転士がいます。
そのことに自責の念をもっていると、その方は言います。
他の学生は、看護で走り回っていたのに、私は何もしなかったと。
その気持ちから、その方は、「語り部」として、自分の「責任」を果たそうとしているというのです。

戦争は、遠いできごとではない。
今、ここで、戦っている人たちがいる。
ひそやかにおこなわれているからこそ、それは、たたかいなのだ、と思いました。

今も白い雪が降り続いています。

頭痛し

こまつさま、コメントありがとうございました。
(コメントのコメントは新規記事でいいのかな?)

もちろん私も病気になります。
今日もどうも頭が痛く、ぼーとしたまま仕事をしておりました。
こういう日は、人としゃべると「どさっ」と重荷を背負ったみたいな
感じがします。
(「あたまいた」が治ればだいじょうぶなんだけど)
ちょっとした、「軽い鬱」になります。

「あたまいた」持ちの人は分かると思いますが、
激しい偏頭痛でないほうの「あたまいた」になると
妙にのどが渇いたり、めがちかちかしたりするんですね。
のっぺりした日常に「軽い」楔が打たれたような感じです。
少ししたら、このような症状も過ぎ去っていくと思いますが、
時々「あたまいた」になるのもいいかもしれません。

一人パフォーマンスにあこがれがあるのは
私自身、人間関係に、「間」をおきたいのかもしれませんね。

やっとつながりました

昨日は、ニフティーのせいで記事も作れずコメントも書いていただけませんでした。
多くの読者の方(?)にお詫びを申し上げます。

おきつさま、さっそくのアクセスありがとうございました。
なつかしいっすねえ。
しかも、HPを再開したんですって?
アドレス載せておきますので、みなさんも行ってみてください。
このHP、再開前はものすごい数のアクセスがあったところです。
とても「まったり」とした変なHPで、それがよかったみたい。
http://www.oki2.net/

さて。
フラフープを使ったゲームをやってみたく
(以前伊東家の食卓でやっていた、フラフープをみんなで持って、下げていくんだけど上がってしまうというゲーム)
何回実験しても、簡単に下がってしまう。あれみんなで努力して下げていかないと上がってしまうというおもしろさがありそこを狙おうと思ったのに、どうもうまくいきませんでした。百円ショップで買ったフラフープだからかな?
もしみなさんでアドバイスがあったら教えてください。

みんなコメントちょうだい!!

このHPを作ってからいろんな人からメールをもらいました。
それは、うれしいのですが、このHPへのアクセスではないのが
残念!!
みんな、このHPをみたら、なんかコメントして!!
ものすごい個人的なことはコメントでは書けないだろうから
メールでもいいけど・・・

あと、今日の研究会(「研究会終了」参照)で部屋に携帯を忘れました。
電話やメールくれた人、ごめん!!

昨日、寝込んでいたのが、晴れ晴れとして1日を終えることができた
よろこびでいっぱいです。
これは、昨日一生懸命食べた「にんにく」のおかげ!
ニンニクスープは効きますよ!
(作り方)
白菜とえりんぎを炒め、水を入れコンソメを入れて沸騰させ
その後弱火にして煮込みます。最後ににんにくをすりつぶして
入れます。カップに卵を割り入れ、上のスープを注ぎます。
最初はそのままスープを飲み、少ししたら卵をかき混ぜて飲みます。
んまい!!

まだよくわからん

 というわけで、この blog?というのでマイHPを作ってみました。
とても作りやすいし、更新しやすいので、これでどんどん作っていこうと思っています。
ただ、掲示板なんかどうやってつくっていいのかわからないし、まだまだ知らないことが多いです。
みなさん、いろいろ教えてください。
 来年は、一人パフォーマンスを真剣にやろうと思っています。場所は、路上です。
けれどつかまってしまいそうですが・・・ 最近演劇魂に火が付けられることが多く、
また、1月には、演劇で公演、じゃなかった、講演するなんてことがあり、ますます
火がつきそうです。 なんとか実現するぞ!

東京部会のおしらせ

第2回臨床国語教育研究会東京部会のおしらせです。
日時:2004年2月14日(土) 10時〜16時ぐらい
場所:八王子
テーマ:「子どもをよむ」
内容:
いろいろな形で、広く深くこどもをよみながら実践を行ったり理論をつくったりしてい
る人たちを呼んで話をきこうと考えています。
参加者(仮)
児童の言語生態研究会のメンバー
心理学的なアプローチから研究や実践をおこなっている人たち
社会学的なアプローチから研究や実践をおこなっている人たち
その他、隠し球の方が参加します。このHPで随時更新しますので
見てくださいね。

北九州部会のおしらせ

臨床国語教育研究会北九州部会は、
2004年1月24日、北九州市で開かれます。
稲田さんという先生のご自宅で、じっくりと国語の授業について
話し合います。参加してやろうと思う方は、
yaho@isis.ocn.ne.jp 稲田まで

バムセの会おしらせ

バムセの会(臨床国語教育研究会名古屋部会)は、
2004年1月31日 午後1時〜5時に開催します。
バムセの会では
・新しい児童文学の紹介
・最近の子供と親をとりまく動向
などについて話し合います。特に名古屋で起こった子どもの虐待殺人事件を中心に話し
たいと思います。場所はいつものとおりこどもの本屋バムセです。
詳しい場所は、http://www002.upp.so-net.ne.jp/kawakatsu-labo/bamuse.htm
また詳しいことは、QZR04446@nifty.ne.jp 難波まで

ずっと書き足している文章

お初の文章は、この5年の間にあちこちでバージョンアップしながら書いていった文章です。
ここに載せたのは、「国語の授業」2003年12月号に載せました。
思い入れがあります。感想などお聞かせ下さい。

メディアに立ち向かう力を育てるために
広島大学 難波博孝

1.全ての子どもが棄てられている
1998年6月8日号の「アエラ」には、私たち教育に関わる人間に、鉄槌を食らわせる記事がありました。それは、「四割の子供が棄てられている」という吉岡忍氏の記事です。
吉岡氏は、酒鬼薔薇少年がいた学校と町、女性教師を刺殺した少年がいた学校と町、家庭内暴力の果てに父親に殺された少年が住んでいた学校と町を訪ねていきます。環境も立地条件も異なるこれらの学校や町を訪ねながら、氏はそこに共通の問題点を見つけます。それは、学校や教育、教師の存在の希薄さです。あれほど、教育の重要性と改革の必要性が叫ばれながら、これらの事件には学校や教育、教師の影がひどく薄いのです。
そこから、氏は現在の授業がいかに子どもをひきつけら


れなくなっているかを指摘していきます。今や四割の子どもが、授業から棄てられているといいます。「教師の声は、彼や彼女たちの頭上やわきを通り過ぎていくばかりで、体にかすりもしない」
そして、氏はいいます。「いったい、一般の授業−国語や算数・数学や英語や社会や理科や音楽や図工は何をしているのか」「現在の教育がぶつかっているのは、この教科学習の問題なのだと私は思います。学校は四割の子供たちを取りこぼしているというのも、各教科が全然おもしろくないからです。子供たちの日常的な経験や感覚から遊離し、学ぶことの動機形成にまったく役立っていないからです。」
四割だけでしょうか。あとの六割の子どもたちには、教科の授業が生きていくための力を培っていけているのでしょうか。
私が勤めてきた、そして現在勤めている大学は、いわゆる「いい子」の学生たちが集まっているといわれています。小中学校時代は、授業についていけただけでなく、教師の手伝いをしたり生徒会活動をしたりと、学校の中心にいて活躍した学生が多かった。「わが校の宝だ」といわれた学生もいます。
その学生たちにも、小中学校の授業の存在価値は希薄でした。彼たち彼女たちは、「いい子」であることに努めてきました。しかし、その心の奥にある、寂しさ・悲しさに、教師や授業は触れることは少なかった。彼たち彼女たちに、小中学校時代の本当に楽しかった思い出を書いてもらっても、あんなに学校で活躍していたはずのに、ほとんど書けないという学生が多いのです。彼たち彼女たちが、なぜ必死になって「いい子」になってきたか、その心の内部に、学校は、授業は、入り込むことができなかったのです。
国語は、ことばの力を育てる教科です。ことばの力とは、いったい何なのでしょう。いろいろな考え方があるかも知れません。ただ、少なくとも、次のことは言えそうです。ことばの力とは、自分の思いを他者に表現し、また、他者が表現したことを受けとめながら、他者との関係を作っていく力が含まれていると。
しかし、事件を起こした子供たちも、私の大学に通っている元「いい子」たちも、自分の思いを表現し、また、その思いを受けとめてもらった体験が非常に少ないような気がするのです。また、国語科でそのような体験を培うような授業を、私たち教師が、あまりできていない気がするのです。
吉岡氏は、酒鬼薔薇少年の作文の一節にあった、ダンテのことば「人の世の旅路の半ば、ふと気がつくと、俺は真っすぐな道を見失い、暗い森に迷い込んでいた」を引用しながら、「ダンテのことばがリアルな内的体験として当時十四歳の少年の心をとらえていたという事実を見逃すことはできません。教科としての国語、それを教える教師は少年の内部の経験に拮抗できなかった。そこに踏み込むどころか、かすりもしなかった」と述べています。このことは、彼だけにとどまらない。全ての子どもたちが、授業から、国語の授業から、棄てられているかも知れないのです。
2.それなのに、教育界は・・・
最近の教育界は、「基礎・基本」の重視を言い立て始めました。少し前は、国語科であれば「伝え合う力」でした。その前は、「生きる力」だったですね。目まぐるしく、教育のキャッチフレーズが変わっていきます。この変化は、子どもの変化に応じて行われているのでしょうか。子どもが変わったから、教育のキャッチフレーズも変わっていったのでしょうか。
もちろん違います。この変化は、大人の都合です。子どもと直に接している、実践者・カウンセラー・研究者などは、これらのキャッチフレーズが、子どもの頭の上を通り過ぎていること、いや、教師でさえも実感を持てないまま、これらのキャッチフレーズに振り回されていることを知っています。
そして、これらのキャッチフレーズを言い立て、それに乗っ取って行われた、様々な方策についての検証を行ったり、その結果に対する責任を誰かがとったりすることもなく、「教育」というお芝居は、次々と場面転換していきます。
でも、教師は、この「教育」というお芝居の観客ではありません。その舞台に出させられている、当事者です。次から次へと台本が変わっていくなかで、教師は無力感にさいなまれ、ただ変化する台本についっていっているだけなのではないでしょうか。
でも、教師達は子どもの前では真摯であろうとします。子どもの切実な声を多くの教師は聞きつつ、与えられた台本とのギャップに引き裂かれていくのです。その中で、教師の心は、荒廃していきます。
教育界に新しいキャッチフレーズが出るたびに、教師は振り回され、子どもは再び棄てられていくのです。
3.メディアの影響−地道な研究から見えること−
例えば、次のような研究を、教育界(特に国語教育界)の人々は、どのように受け止めるでしょうか。
金原克範氏は、「“子”のつく名前の女の子は頭がいい (洋泉社 1995年)」という著書の中で、テレビの影響が現在の親世代に与えた深刻な影響について指摘しています。それは、現在の親世代が、テレビの登場によって、それまでの相互交流的な情報の処理から、受動的な情報処理をするように変わったということです。つまり、現在の親世代は、それまでの世代が他者と相互に関わりながらコミュニケーションを行っていたのに、テレビという圧倒的で刺激的な情報を送出するメディアの登場で、テレビから送られる情報を自分で吟味しないまま受動的に受け入れるようになり、ついには、主体的な判断を行いながら他者とかかわり合うことができなくなっていったというのです。
そのため、現在の親世代は、子世代ともいきいきとしたコミュニケーションを行うことが難しく、そのため子世代も、小さい頃から他者と相互にかかわり合う体験を経ていないために、それができなくなっているというのです。金原氏は若者がコミュニケーション不全に陥った原因の一つとして、親世代に与えたテレビの影響を指摘したのです。
確かに、現在の若者を含めた子供たちの、コミュニケーション不全の全ての原因を、親世代へのテレビの影響に帰するのは問題があるでしょう。しかし、テレビの出現により私たちのコミュニケーション状況が一変し、実感も経験もないまま情報のシャワーを浴びるようになったのは事実であり、そのような状況は、この40年ほどの特異な現象であることは事実です。
そのような状況に私たちの社会がしっかり対応できているとは思えません。大量情報を受動的に浴びることが、私たちのコミュニケーション状況にどんな影響を与えているかを、私たちはそれほど把握できていません。ただ、そのような議論さえ全くされていなかったテレビ第一世代の現在の親世代に、テレビがとても大きな影響力を発揮したことは否めないし、金原氏は指摘するように、その影響が世代を越えて及んでいっていることも十分あり得ると思うのです。
最近になってようやく「メディアリテラシー」という考え方ができましたが、金原氏の研究のような社会学の成果によって、テレビというマスメディアが直接的に影響を与えるだけでなく、間接的にパーソナルコミュニケーションにも影響を与えている可能性を指摘されたとき、教育界の人間としては、このような指摘をふまえて、ことばの教育のことを考えなければならないはずです。
いや、多くの実践者・カウンセラー・研究者は、すでにそのことに気付き、さまざまな実践や研究を行ってきたはずです。なのに、結局教育界は、そのような「下からの動き」をふまえず、「上からの」キャッチフレーズで動いています。そして、そのキャッチフレーズを疑問を持ちながら、引き裂かれながら受け入れているのです。
4.「今生きていく力」と「未来に生きる力」
地道な実践、地道な研究から見えてくる子どもの姿、教室の姿があります。それに対応して、教育は考えられなければならないでしょう。そして、その対応は、子ども達の未来を開くものでもあってほしいのです。
私は、「生きる力」を二つに分けて考えています。一つは「今生きていく力」であり、ひとつは「未来に生きる力」です。「今生きていく力」とは、子どもがまさしく今、生きていくために必要としているものであり、そこには、最初に指摘したような、「自分の本当の思いを他者に表現し、また、他者が表現したことを受けとめながら、他者との関係を作っていく力」が含まれている、大きな位置を占めている、と考えます。
自分の思い−うれしさ・共感・悲しさ・つらさ・喜び・批判−をなんとか(ありのままではなくとも)表現すること、それを他者が聞き届けること、完全な共感はあり得なくとも、少しでも共感していこうとする「心の構え」を持ちあうこと、そのことが、生きづらさを感じている子どもたち、それさえも実感しないまま「いい子」や「わるい子」を必死に生きている子どもたちの、「今生きていく力」につながると思います。
金原氏が言うようにテレビの影響かどうかは別として、また、インターネットの急速な発達によるかどうかは別として、多くの実践者・研究者は、この力が弱まっていると感じています。また、教師自身も、先に述べたような教育界の状況も重なって、この力が衰弱しているのではないでしょうか。もし、国語科教育が意味あるものとして生き残るのであれば、この力を少しでも支えていくことが最低限必要だと強く思います。
もちろん、基礎・基本も大事でしょう(ただし、基礎・基本とは何かについての人々の考えは様々ですが)し、「伝え合う力」も大事でしょう。しかし、伝え合うことが、明確に述べたり要点を落とさずに聞いたりすることだけならば、ことばの表層をなであっているだけです。
表現された「ことば」と、表現者・受信者それぞれの「こころ」の中に起こるドラマの、三つの絡み合いは、とても複雑で微妙なものです。現在の哲学は、この「ことば」と「こころ」との複雑で微妙な関係をめぐって未だに果てしなく論争しているぐらいなのです(竹田青嗣(2001)『言語的思考−脱構築と現象学』径書房 参照)。
けれど、私たちは、そんな論争に関係なく、「ことば」と「こころ」のドラマの中に生きています。生きて、喜び、悲しみ、怒り、傷ついています。だからこそ、「ことば」の表層ではなく、「ことば」と「こころ」の複雑なドラマに、教育が、国語科教育が関わっていかなければならないのです。それは、「ことば」と「こころ」のドラマを、「ことば」で整理したり、「ことば」で強制したりすることではありません。教師が、一人一人の子どもの中の、また教室の中の、「ことば」と「こころ」のドラマに、立ち会う覚悟を持つということなのです。
「未来に生きる力」は、今、子どもたちがそれほどその必要を実感していなかったり、「子どもたちに今それが必要である」と教師が認識していないのだけれど、将来子どもたちが社会に出たときに、どうしても培っておいてほしい力です。そこには、「メディアに立ち向かう力」が含まれているはずです。
子どもたちは、今現に活字も含めたメディアに対して、主体的の関わることの必要性を感じてはいないでしょう。しかし、さまざまなメディアに晒され続けている内に、自分で考えることができなくっていきます。立ち止まることは許されないような気がしてきます。
それは、子どもだけではありません。教師も同じです。教師は、どれだけ、「教科書」というメディアに立ち向かっているでしょうか。「教育界の言説」にどれだけ立ち向かっているでしょうか。教師が、大人が、メディア、特に権力的なメディアにどのように向き合っているかが、子ども達のメディアに向き合う姿に大きな影響を与えるではずなのです。
教師が、メディアに立ち向かったとき、そこには教師自身が現れてきます。そのことを通して、子ども達も、メディアに立ち向かう勇気を手に入れ、自分を見つめ直しながら、メディアと格闘していくのです。
国語科教育が、「本当のことばの力」を育てる教科を目指すならば、「今生きていく力」や、「未来に生きる力」を学習者がもてるように、教師が支えていかなければなりません。私たち教師は、これらの力を意図的に育てるような授業を組むだけでなく、日々の授業のほんのちょっとした活動や関わりによって、子どもたちがこのような「力」を育む、環境・状況を作っていかなければならないと考えるのです。
メディアとも他者とも相互交流すること、そこから、自分の思いをいろいろな形で表明すること、それを聞きとどけ合うこと、それが、子どもたちの、そして、私たち教師の「生きる力」を養うことにつながると考えます。
5.さいごに
以上のような趣旨の文章を書いたのは、もう5年も前になります。その後、2回少しずつ中味を変えながらも、私はこの文章をさまざまな媒体に載せてきました。
この5年の間に、何かが変わったでしょうか。2003年7月には長崎で、12才の人間が4才の人間をビルの屋上から突き落とした事件が起こりました。多くの人々が、神戸の事件を思い出したことでしょう。
事態は良くも悪くもなっていません。なにも変わっていません。大人たちの無駄な論争に無駄な時間が費やさされただけでした。
みなさん、自分の頭で考えましょう。自分の心で感じましょう。児言研の授業がどんなにすばらしくても、自分の頭で考え心で感じなければ、その人に「メディアに立ち向かう力」ができているとは思えません。自分がいる場所をまず疑うこと、子ども達と共に教師自身が自分の頭で考え心で感じること。今求められているのはそれなのです。
(この文章は、『学校教育』(広島大学附属小学校)2002年3月号に掲載したものに加筆したものです。)

おはつにおめにかかります

いやあ、ようやくパーソナルページを持つことができました。どうかよろしく。ここには、個人的なことをどんどん載せていきます。みなさんもどんどんアクセスしてください!!

トップページ | 2004年1月 »