アクティブ・ストック!!!!

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今こういうノートを作っています。外で食べたごはんなんかの写メとメモを書き込んでいます。
めんどくさがりの私がこんなことができるのは、ふたつのおかげ。

一つは、これ。

LGプリンタ

前にチェキを使っていたのですが、シール式の写真でなかったので、いつの間にか使わなくなりました。

これはシール式なので、手軽にノートに貼れます。

後もう一つは、このノート。

ノート

これをもらったんだよね。

この二つが、「外食をなんかノートにしたい!しかも気軽に!」という私の長年の思いを実現させてくれました!! 


いやあほんとに気軽にできるし、見返すと楽しい!!


ちょっと、女子の「こまごまメモ」を書きつける気持ちがわかります。

最近、残すことはとても大事だな、でも、デジタルは、ストックにはふさわしくないな、と思い始めましています。(見直すためのストック、ね。倉庫のためのストックは、デジタルはピッタリ)。

アクティブストックとしての、アナログに、今後注目していきたいです!!!

全国大学国語教育学会 難波の発表のレジュメ

下記の部分をクリックしてください。

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2016年2月6日広島大学附属小学校のファイル

2016年2月6日 広島大学附属小学校で開かれた

初等教育全国協議会のプレゼンファイルです。

「namba.file」をダウンロード

細川先生のメルマガから

よい実践とよい論文──表現者の活動の自由へ
                              細川 英雄
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
世の中には,よい実践か,よい論文か,という二つの基準がある。

一般論としては,よい実践とよい論文は一致することが望ましいと考えられて
いるが,いわゆる研究業績が評価される世界においては,よい実践ではなく,
よい論文が決定的だと思っている人が多いようだ。

しかし,その実践を見ればすぐ化けの皮が剥がれるという体験を何度もして
た身としては,そんなに簡単に,論文のほうが実践より上だということはいえ
ないという気分になっている。

まず,よい論文を書いているという人の実践は,そんなに見られるものではな
いからだ。だいたい,論文を書くことを第一にしている人は,自分の実践を他
人に見せようとは思わないからだろう。

このあたりにすでに論文を書くということのエゴイズムが潜んでいる。つまり,
論文を書くことが目的化している人にとって,実践のよしあしはどうでもいい
ことなのである。そういう人は,もし研究授業や教員研修とかでその実践を公
開することになれば,きちんとした教案をつくり,それに沿って整然として実
践を行うだろう。しかし,それは,よい実践でも何でもない。

僕に言わせると,よい実践というのは,以下のような条件を満たすものでなけ
ればならない。

・他者を管理せず,他者から管理されない自由を尊重すること。
・すべての解決に自己と他者の対話を尊重すること。
自己と他者の存するコミュニティのあり方について責任を持つこと

この場合の自己とは,教師であり学習者あるいはその活動への参加者すべてを
指す。つまり,それぞれの立場で,この3原則が実行されること,このことが
重要だ。当然,実践活動そのものは,相対化され,批判の対象となる。しかし
同時に,その活動そのものが,新しい創造へ向けて動き出すような,そういう
実践である。

考えてみると,こういう実践を記述し論文化するのは,並大抵のことではない
だろう。たとえば,教案をつくるという行為そのものが,教えるべきことを項
目化し,それを順序だてるという作業だから,僕の言う「よい実践」にはそぐ
わない。

このように考えると,本当によい実践をしている人は,論文もよいはずである。
この場合の「よい」とは,仮説を立ててそれをデータで検証して,というよう
な仮説検証型の論文ではないことはもはや明らかだ。自己と他者の間を循環す
るさまざまなことばのエネルギィーをどのようにしてやりとりに巻き込み,そ
れを対話化しながら,コミュニティのあり方について,参加者全員が考えてい
くような,創造的な試みは,仮説検証とはまったく異なる次元のものである。
あえて言えば,課題の提案・提唱に近いかもしれない。そういう実践の内実を
具体的に描くことはとても創造的な仕事だと思う。

本当に,よい実践をしていたら,そういうエネルギィーは,その人の活動全体
からほとばしり出て,いろいろな表現形態をとっていくにちがいない。そのエ
ネルギィーを表現することが,その人にとっての存在なのだから,もはや論文
という形式にこだわること自体,それほど意味を持たないことになるだろう。

必ずしも論文という形態をとらずに,その人の活動は,さまざまな表現形態を
とって実行されるにちがいない。もちろん,その際に,書くという行為の意味
を問うことにはなるだろう。だからこそ,一口に論文といっても,こうしたこ
とを考えるような土壌がその論文掲載誌にあるのかどうかということが問われ
るのだろう。むしろ,そうした表現形態の可能性を大きく捉えた場の形成が必
要になっていると思われる。

論文か実践かという二元論は,こうした無限の可能性を排除してしまいかねな
いものだと思う。つまり,お利口さんとして姿かたちのよい論文を書いて満足
している人は,本当は実践には近寄りたくない人たちであるし,実践をしても
論文にならないと嘆く人は,本当によい実践ができないから,論文のせいにし
ているのではなかろうか。実践とは人間の活動そのものであるし,論文という
のは,その人の表現形態のほんの一部分に過ぎないからだ。

表現者の自由は,もっと過激に認められるべきであろう。「でも,世の中では
・・・」という反論がきっと出るに違いないけれど,あなたの,その「世の中
では・・・」という発想そのものが,あなた自身を貧しくしていることに気づ
くべきだろう。

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全国大学国語教育学会課題研究のスライドファイルです

全国大学国語教育学会の課題研究のスライドファイルです。

下記のアドレスを、使用しているブラウザのアドレス バーにリンクを入力または貼り付けるようにしてください。

6月末まで公開します。

https://www.dropbox.com/s/il92uo47cwo0hoc/%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%91%EF%BC%95%E8%AA%B2%E9%A1%8C%E7%A0%94%E7%A9%B6.ppt?dl=0

国語教育思想研究の全目次です。

雑誌「国語教育思想研究」の全目次です。

国語教育思想研究 第1号

目   次

伝いあう言葉                       鈴木愛理

論理/論証教育の思想(1)                難波博孝

国語教育における新たな自己観の提案

−先行研究に見る自己観の整理と課題を中心に−      永田麻詠

胞衣(えな)と教育

−胞衣(えな)と胎児と児童の言語生態研究会−     秦 恭子

国語科教員養成に必要な授業実践の思想

−広島大学教育学部の授業「初等国語」を手がかりに−  原田大介

戦後国語教育思想について −倉澤栄吉のばあい−      森美智代

 

国語教育思想研究第2号

目   次

学習者の授業を前提とした表現指導の研究         加藤健伍   

    −「適応」を手がかりとして −

コミュニケーション教育における演劇的活動の意義と可能性 谷口直隆 

    −目標と方法の対応という観点からの一考察 −  

論理/論証教育の思想(2)               難波博孝 

国語教育におけるクィア概念の導入            永田麻詠 

    −エンパワーメントとしてのことばの力の育成を目指して−     

こどもの『死者の書』                  秦 恭子 

    −渡りくる夕日とむすばれるための一小節−     

国語科に必要なコミュニケーション教育とは何か      原田大介 

    −「関係的な生きづらさ」の考察を中心に− 

 

国語教育思想研究 第3号

目   次

認知的な「ズレ」を手がかりにした文学テクストの教材論的考察

   −『ごんぎつね』の悲劇的結末の可能性− 青砥弘幸  

国語科教育における「論理」・「論理的思考」概念の整理       幸坂健太郎 

納得は説得をこえて                       鈴木愛理 

小論文指導の制度的確立に向けて

   −「高校教養科」設立の提唱−                長岡裕子 

国語科におけるコミュニケーション教育の成果と課題

  −「自分への自信」を取り戻すコミュニケーション教育に向けて− 永田麻詠 

論理/論証教育の思想(3)              

  −テクストの観点から見た、論理/論証−            難波博孝 

暴力の観点からコミュニケーション教育を考える

  −「キレる」児童・生徒と性をめぐる問題を中心に−       原田大介 

ルーブリックを取り入れた文学作品の評価研究の成果と展望     細 恵子 

 

国語教育思想研究 第4号

目   次

(特別寄稿) 実践から方法を導く研究

 −望月誼三「主体的なよみ」理論の生成過程−              浜本純逸

教師の学びに学ぶ文学の授業                      出雲俊江

「伝え合う力」のために −姜尚中「受け入れる力」を手がかりに−     鈴木愛理

小学校国語教科書に見る隠れたカリキュラムの考察

 —ジェンダーおよびクイアの観点から−                 永田麻詠

説明的文章における単元構成の原理                   中村 暢

論理/論証教育の思想(4)

 —論理と読むことの授業—                        難波博孝

身体感覚をめぐることばの学び

 —自閉症スペクトラム障害の考察を中心に−               原田大介

「読むこと」の学習で育てる読書力の考察

 −アメリカのリテラチャー・サークルのヒントと日本の国語科教科書の

 てびきの比較を通して−                        細 恵子

GID者へのインタビュー調査 −国語教育への展望−             本渡 葵

言語規範形成における教育の影響 —ら抜き言葉をてがかりとして−      山浦 渚

 

国語教育思想研究 第5号

目   次

コミュニケーションとしての評語の研究                 加藤健伍

社会形成の能力向上のための教材の開発に向けて

 −評論「未来世代への責任」を対象にして−               篠崎祐介

村井教育学の視点から捉える国語科教育の問題点             中村 暢

改善したリテラチャー・サークルによる読書指導の実践

 −小学校3年生の場合−                        細 恵子

 

国語教育思想研究 第6号

目   次

<特別寄稿>

高校紛争が教育・国語科教育にもたらしたもの               浜本純逸

<論文>

国語科論理的思考力育成のための一方法としての仮説実践授業の援用可能性

−学習者の思考過程に着目した一斉指導の方法の検討−           幸坂健太郎

問いを立てて読み深める<自立した読者>を育てる授業

—中学1年「少年の日の思い出」実践を年間指導のまとめとして−     小入羽さや子         

「子どもの原像」の蘇生をめざす国語教育の探究

−上原輝男の教育思想に学びながら−                    秦 恭子

PISA読解リテラシーにおける「熟考」についての一考察          本渡 葵

 

国語教育思想研究    第7号

目   次

<論文>

Common Core State Standards for English Language Arts における 

Reading Standards for Informational Text(K-12)

−スパイラル構造をもった説明的文章読解カリキュラムの実際−      青山 之典                    

文章教育理論の検討(1)〜形式・内容軸と一義・多義の二軸を通しての分析〜 

                                  佐々原正樹

通過儀礼としての文学教育 −イメージ療法との比較からみる可能性−    秦 恭子

「トラウマを抱えた学習者」のための国語教育              本渡 葵

文学体験に関する理論的検討

   ルソーによる「解釈から証言へ」の移行に着目して        森 美智代

 

国語教育思想研究 第8号

目   次

<特別寄稿>

明治維新期の「国語」教育—中等学校国語教育史(二)          浜本 純逸

<特集1 「文学教育の未来を考える」>

続〈主体〉の構築 ―魯迅の『故郷』再々論―              田中 実

<特集2 「言語教育と生きること」>

「生きる」ことと英語教育                柳瀬 陽介

国語科における性をめぐる「抑圧」と「救い」の両義性

  —生活に支えられた批判的思考力の育成を手がかりに―        永田 麻詠

生き延びるためのことばの学び ―障害当事者の立場から―       原田 大介

言語活動主体の充実とは何か -言語教育の目的と市民性形成-     細川 英雄

ことばの教育のめざすものは何か

  社会・コミュニティ参加をめざすことばの教育           佐藤 慎司

<論文>

説明的文章の授業における「論理的認識力」設定の意義

論理的で豊かな意味内容の創造と検討を実現するために-        青山 之典

個体史的研究の再考

  野地潤家『国語教育―個体史研究―』を手がかりに         黒川 麻実

「語り直す力」を育てる文学教育

  〜社会的過程の「メタ認知」に着目して〜 佐々原 正樹

社会形成に資する読むことの教育に関する考察             篠崎 祐介

教員養成の国語教育学科目における教育内容と方法に関する一考察 

  国語教育の意義を問い続ける授業の試み              鈴木 愛理

外国人児童への国語科入門期教育の研究 —文型と文成分指導の必要性—  妹尾 知昭

国語科教育における実践研究の考え方と実際

  —「国語教育としての実践研究」というあり方—           難波 博孝

 

国語教育思想研究 第9号

目   次

<特別寄稿>

中学校教則大綱期(18811889)の「国語」教育と「国語」教科書

 −中等学校国語教育史(三)− 浜本 純逸

<論文>

児童文学の「読み」の授業と自己物語の語り直し            佐々原正樹

森田信義の説明的文章指導論の変遷                  篠崎 祐介

国語教育学的思考を求めて  

 「話し合い」とその教育についての考察を手がかりに         鈴木 愛理

国語教育におけるイメージ観についての一考察—有定稔雄と深川明子の論を中心に−                                                                                                                                    秦 恭子

 

 

 

講演会のお知らせ

論理の教育についての講演会を企画しました。
小学校から高校、大人の方だれでも参加可能です。
二つのテキスト(当日配布)を使って説明します。

Photo

よろしければ、県内外の方参加ください。
参加希望の方は、qzr04446@nifty.comまで。

第9回国語教育研究大会の案内

第9回国語教育研究大会の案内を掲載します。

ぜひご参加ください。

子どもとインターネットを考える会 中高講座 報告と資料

6月30日、子どもとケータイインターネットを考える会の中高講座を開催しました。

思いのほかたくさんの方が参加してくださり、慌てたぐらいでした(笑)。
ここに、私が作成した分の資料を載せておきます。
また、問い合わせの多かった、「言語力ドリル」ですが、下のところで注文できます。
なお、注文数の多い場合は、直接、第一学習社にお願いします。
小学校用のアンケートもアップしておきますので、みなさん自由にお使いください。適宜改変してくださって結構です。

「anketo_syougakkou.doc」をダウンロード


子どもとケータイインターネットを考える会は今年度で一旦休会します。
ケータイの問題について、私学を中心にようやく広がり始めたところです。
これから、個人的な活動を続けていこうと思っています。

高校教員向け、公開講座のお知らせ

私は3年前から、高等学校教員向けの勉強会「教師の学校」を、河合塾講師の結城先生、第一学習社講師の長岡先生とともに、開催しています。

このたび、公開講座を以下のように開催することになりました。


公開ですので、会員以外の方の参加も大歓迎です。

日時:2013 年7 月13 日(土)
15:00~18:30
場所:河合塾広島校 7階171 教室
内容:「教師の学校」が送る大学入試に向けた教員研修講座第一弾
(1)結城ゼミ:文章を読み解く力とは何か――センター試験の評論文を用いて――
(2)長岡ゼミ:小論文の表現について考える――入試出題例と答案例による演習
(3)難波ゼミ:論理の教育の姿――「言語力ドリル」作成の背景と実際――

また、8月31日には、なんと
田中実先生をおよびして、公開講座を開催します。
ご期待さい!

参加希望者は、難波までメールでご一報ください!
qzr04446@nifty.com

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